水仙を吐く

水仙を吐く

作者 水神鈴衣菜

https://kakuyomu.jp/works/16817139558763247029


 否定的な言葉を吐こうとすると口から水仙を吐く瑞樹に、幼馴染の由花はキスして花を食べ告白する話。


 サブタイトルに「病気か、それとも」とある。

 続きをつけるなら「恋の病か」かしらん。

 童謡の『王様の耳はロバの耳』がふと浮かんだ。

 本作の場合、言えないことを溜め込んだ結果、花を吐く。

 短い話なのに、よく考えられている。


 主人公は女子学生の瑞樹、一人称私で書かれた文体。自分語りで実況中継している。後半、幼馴染の由花と公園に出かけるあたりからより描写されていく。


 女性神話の中心軌道にそって書かれている。

 主人公の瑞樹は、否定的な言葉を吐こうとすると口から水仙の花びらを吐き出す。学校で花を吐くと居場所がなくなる恐れから吐かないと決め、親と幼馴染の由花だけは知っている。

 文化祭において、主人公のクラスでは劇をすることになった。皆が嫌そうな声を上げる中、なぜか主人公に声がかかる。否定しようとすると、咳が込み上がる。

「瑞樹も無理かもってさ、ね、瑞樹」

 と、横から聞こえた声にうなずきながら、吐きそうになる花びらを咀嚼して飲み込む。

 その後、由花が心配してくれる。

 翌日は朝から体調が悪く、喉に違和感を覚える。

 心配してくれた由花が電話をかけてきて、いつもの公園で合う約束をする。着替えて公園に出かける主人公は由花に、花を吐く前の喉の違和感と目が重いことを打ち明け、帰宅してから花を吐いてないことを伝える。

 体調が悪い原因はそれじゃないかと告げる由花。彼女以外みている人はいないからと頭に手を置かれたとき、涙のかわりに花びらがこぼれ出る。

 昨日、吐きそうになった花びらを食べたことを伝えると、それが原因だと由花。

 咳と同時に花を吐く主人公を由花は抱きしめ、口元にあった一枚あった花びらを食べつつ唇を奪う。

「私、瑞樹が好きなんだ」

 打ち明けられたとき、キスと告白に戸惑っているうちに花びらは止まっていた。

 花を吐きそうになったらまた食べてあげると話す由花に、毒があるからと拒もうとするも、「いいよ。瑞樹のために死ねるなら、それで」「毒を吐いてもいいんだよ。なんでも言って。約束だからね」と由花に微笑まれるのだった。


 汚い言葉や罵詈雑言などを使って人の悪口や嫌味を口にするのを、毒吐きという。

 他には「毒づく」「毒舌を吐く」も使われる。

 一般的に毒を吐く人は嫌われる。でも、嫌われない場合もある。

 言い方はきついものの真実を述べていたり的を射た内容だったりするなら、日ごろ口にできないことを代弁をする人と思われることもある。また、信頼関係がある場合や発言内容に思いやりがあるなら嫌われることはない。


「ふと人に毒を吐くくらいなら、花を吐いて生きたいなと思ったところから考え始めた」と作者さんはコメントに書かれている。

 着眼点が面白く、花にしたことで負のイメージがきれいに転換されている。

『きれいな花には棘がある』のことわざもあるように、毒と花は表裏一体、相性が良いのかもしれない。

 なにより水仙を選んだところが良い。

 ヒガンバナ科に属する水仙は全草、つまり、球根や葉、茎だけでなく、花にも毒が含まれているのだ。

 一般にヒガンバナ科植物にはヒガンバナアルカロイドが含まれており、それらが有毒成分となる。 有毒成分は「リコリン」と「シュウ酸カルシウム」 などである。全草が有毒だが、鱗茎(球根)に特に毒成分が多い。 食中毒症状と接触性皮膚炎症状を起こす。

 リコリンの人に対する致死量は十グラム。

 吐き気を誘発する催吐作用がある。

 水に溶けやすい性質があるものの、熱には強いので、ニラなどと間違えて炒めたりしても毒が抜けることがない。今でも南アフリカなどの原住民たちは、ヒガンバナ科の植物に含まれるリコリンを矢毒として利用されるらしい。

 シュウ酸カルシウムは、ヤマイモや里芋、タロイモやほうれん草などに微量に含まれており、一般的に結石が尿管に詰まって激痛が走る尿管結石の原因になる成分とされている。

 シュウ酸カルシウムが皮膚に触れると、接触性皮膚炎症状を起こし、かぶれやかゆみを伴う発疹が出る場合がある。


 由花は、瑞樹が好きだから力になろうとしている。

 花を食べてしまった瑞樹が花を吐き出し、その口に由花はキスして花を食べ「私、瑞樹が好きなんだ」と告白する。

 吐き出していた花びらが止まった。

 ということは、瑞樹も彼女が好きだったのだ。


「家で花びらを吐いている私を見て、親はぎょっとしていた」や、母親の言葉の「いい? 絶対に学校では花を吐かないこと。どうしてもなにか言いたくなっても我慢するのよ。その分、家で思う存分吐きなさい」「誰もいないところで全て吐いてしまうの。とにかく見られたら、あなたが周りからどう思われるか──」から、母親は主人公が同性に興味をもっていることに対して、はじめは驚いたが、一定の理解をしめしていると想像する。

 だけど主人公は「私のためを思ったような言い分だったが、実際には自分が周りの親の目が怖いだけなのだ。親の偽善に、また私は花を吐いた」と反抗気味。

 それだけ主人公の瑞樹は、以前から由花が好きだった。

 でも同性だし、告白して嫌われたくもない気持ちが根底にあり、自分の気持ちを素直に言えなくなって花を吐くようになったのではと邪推する。


 なぜ花だったのか。

 きっと、由花の名前に花がついているから。

 彼女を好きになってはいけないと否定する気持ちが、具現化しているのだろう。

「花びらは本物ではなくて、私が零したかった本音が、具現化して私にだけ見えるようになってしまったのかもしれない」とあるように、具現化したのだ。ただし、瑞樹だけが見えるのではなく、誰の目にも見える形で。

 瑞樹にとって花は否定する毒そのもの。

 だから、食べると「苦い。嫌いだ」となる。

 でも、由花にとっては瑞樹の本音であり、由花が求めているものだったから、よほど苦くてまずいと想像していた花を食べても「そんなにまずくないね」となったのだろう。

 むしろ由花にとっては好ましいものだったに違いない。

 瑞樹が由花を好きでいる間は、由花は花を食べられる。

 なのできっと、花を食べても由花は死なないだろう。

 ただし、二人の関係が崩れたとき、味が変わるかもしれない。


 多くの人が、自分の好みと感情に従うことを「考える」ことだと思いこんでいる。

 好みと感情は、天候や体調、財布の中身や空腹などによって簡単に変わる。損得や利害関係でも同じく変わる。

 あなたも、そんなあやふやなものを自分の考えだと思い込み、悩み、迷い、苦しんでいないかしらん。

 あなただけでなく瑞樹にも、好き嫌いの感情や損得から離れて、一度冷静に考えることを勧めたい。

「考える」は、六つに分類できる。

 一つ目が、利己的選択の思考。自分にとって何が利益をもたらすのか、打算的考えによって手段を決めることである。

 二つ目は、経験に基づく思考。これまでの人生経験をものさしにした行動や性格、文化に影響される。

 三つ目が、感情的混乱の妄想。喜怒哀楽からくる妄想、句沃沮する性格や心配性も妄想から来ることが多い。

 四つ目は、知識の連絡による思考。読書や資料などの情報から理解しようとするときの一般的な状況をわかろうとする考え。

 五つ目は、本質把握の思考。何が本質で重要なのか、哲学や学問研究などがこれに当たる。

 六つ目が、論理的思考。論理のみによる考えで、抽象的な思考である。

 これらを組み合わせながら考えているが、誰しも一人で正確に考えを出せるものではない。互いに話し合い、本を読み、試行錯誤してベターな考えや手段を模索してもなお、正しい答えにたどり着けるのか難しいのが「考える」だ。

 人として、何が喜ばしいことなのかを基準にすれば決断も正しくなる。

 注意しなければいけないのは、自分にとって何が喜ばしいのかではなく、自分を含めた多くの人にとって何が喜ばしいかを判断基準にするといい。

 

 瑞樹は由花の話「毒を吐いてもいいんだよ。なんでも言って。約束だからね」を鵜呑みにするのではなく、話し合いながら、なにが喜ばしい生き方なのかを考え、決めていって欲しい。

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