時の悪霊

時の悪霊

作者 綿飴まき

https://kakuyomu.jp/works/16817139557698316701


 時の悪霊が自身の心を作り直すために、時間が奪われている話。


 ホラーである。

 現代の御伽噺のような怪奇もの。


 主人公は時の悪霊、一人称私で書かれた文体。自分語りをしている。本編は男子高校生、一人称僕・ぼくで書かれた文体。自分語りで実況中継している。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 時の外側に放り投げた自分の名前や顔などを作り直そうと心を集め続けては、生物から時間を奪ったり与えたりしている「時の悪霊」がいた。

 勉強嫌いなのに進学校に入学した男子高校生は、大量の宿題に追われながらも先延ばしにして一時間のDVDを見た。

 なのに、三時間が立っている。その後も、気づけばあっという間に時間が過ぎていることがあり、誰に相談しても「ただぼんやりしてるだけだろう」と相手にしてくれなかった。

 時間が奪われるようになって、自分がいなくても世の中変わりないと感じるようになり、誰にも興味を持たれない自分に切なさを覚えていく。

 高校三年生になり気づけば時間を奪われることに慣れてしまい、貴重な高校生活に目を向けると、奪われた時間ごと、時のたまり場に取り込まれていた。時間を返せと、同じように奪われていった者たちの心が混ざり合っては一つとなっていく。

 時の悪霊は、自身の心を作り直すために、心を集め続けていく。


 あっという間に時間が過ぎてしまう体験をした時、「それは時の悪霊のせいなのじゃ」とご老人が語る様を想像させてくれる。

 昔、時間を無駄に使っていた人たちの後悔の念が集まって悪霊化、自我を持ちはじめ、はじめから無かった自身の存在を手に入れようと同じように時間を無駄に使っている人から時間を奪いつづけ、終いにはなにもかも奪ってしまうという、それはそれは恐ろしい妖怪が……みたいな話。

 

 あっという間に時間がすぎる体験を、誰もがしている。

「ジャネーの法則」といい、年月の長さに対する主観的評価は、年齢に反比例する。同じ時間の経過であっても、年少者は長く、年長者は短く感じる。

 五十歳の人間にとって、一年の長さは人生の五十分の一。

 五歳の人間にとって、一年の長さは人生の五分の1。

 つまり、五十歳の人間にとっての十年間は、五歳の人間にとっての一年間に当たります。

 年を取れば短く感じていく。少しでも時間の経過を長く感じるためは、「新しい体験」をすることで時間が長く感じられていく。

 神経学的にいえば、新しいことに遭遇するたびに脳はその情報をできるだけ記録しようとする。くり返すにつれて「新たな体験」も古くなり、脳はエネルギーを使わなくても、その情報の符号化を簡単におこなえるようになる。新しく何かを記憶することがなくなり、脳も刺激を受けなくなる。


 高校に入ったら楽しいことを満喫するんだと夢描いてきたけれど、いざ高校生になったら、やることが多いし勉強は難しいし宿題も多い。

 挙げ句コロナ禍で、気がついたら毎日同じことのくり返しで、新しい体験をしなくなって気がつく。「あと半年で高校卒業? マジですか?」となっている人もいるかもしれない。

 コロナ禍だろうとなんだろうと、高校生でいられる時間は短い。

 小学生は六年間あるので長く思えるし、中学までの義務教育は九年間。幼児の頃を含めてふり返ると十五年以上生きてきた。

 それにくらべて高校は三年なので、どうしても短く感じてしまう。

 卒業して、大人になったら「青春ってあったかしらん?」とふり返るかもしれない。

 勉強ばかりしてて、愛だの恋だの友情だのと他人が描く青春像とはかけ離れていて自分には何もないという不安が、こんな話を想像させたのではと邪推してしまう。


 夢中になれるものが一つでもあれば良い。

 決して、誰かと協力して励んだものではなくとも、あの時の自分は必死になってがんばったと言えるものがなにか一つでもあれば、過ごした時間は決して無駄にはならない。

 

 

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