くじら

くじら

作者 森 瀬織

https://kakuyomu.jp/works/16817139558839205543


 ぬいぐるみのくじらを本物と思って描いてきた絵乃は、海に棲息する鯨を写実的に描いた凜花に嫉妬し、理想だったからラフを盗もうとしたことを告げるも「これはもう私のラフじゃない」と言われてわだかまりが溶けた話。


 私小説。

 すごくいい。

 揺れたりぶら下がったりする気持ちが、よく伝わってくる。

 自分が好きなもの、他人が求めているもの、本物について書かれている。

 タイトルは「くじら」でサブタイトルが「クジラ」とわけて表記してある。くじらからクジラになっていく話を暗示しているのかもしれない。


 主人公は高校の美術部に所属する絵乃、一人称あたしで書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。ぬいぐるみのくじら、精緻な絵のクジラ、生物の鯨、を使い分けて書いている。また、くじらを比喩表現に使っている。

 描写も良い。

 比喩表現が上手い。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 エンちゃんとよばれる主人公の絵乃は、幼い頃はぬいぐるみのくじらを本物と思って疑っていなかった。だから海に棲息する鯨をみたときグロテスクに感じ、コンクールに選ばれて美術室の入口に展示された写実的に描いた凜花のクジラを見て、築き上げてきたプライドを奪われていた。

 部員の雛に「エンちゃん」と呼ばれてごみ捨てを頼まれる。親しい子はエンちゃんと愛称で呼び、クジラを描いた凜花は「絵乃ちゃん」と親と同じように名前で呼ぶ。

 審査員が求め選ばれた凜花のクジラを見るたび、主人公は自分の名前、「絵乃」が嫌いになっていく。

 ゴミ箱に入っていた真っ青な紙には、微妙な視点に遠近法で、少女が水に飛び込んでいく構図が描かれていた。凜花が書いたものだと思い、シワを伸ばすようになでて右ポケットにしまい込む。

 片付け終えて凜花と一緒に帰り「おめでとう」と伝える。凜花は「ありがとう。でも絵乃ちゃんの絵も私は……」と謙遜するので、「素直に喜んでくれればいいんだよ」とバイバイも言えないままホームを降りた。

 コロナにかかったかも、とうそぶいて部活をさぼる主人公。

 部屋で青い紙を取り出し、真ん中あたりを消しゴムで消して自分の作品に書き換えようと、ベッドの上に居座っているぬいぐるみのくじらをみてキャンパスに描いていく。

 描き上げたキャンパスをもって電車に乗り、『凛花、部活向かってる?』とトーク画面に書き込む。隔離かと聞かれ『いつもの乗り換えの駅のホームにいくところ』と送る。『え、私も絵乃ちゃんのとこに向かっていい?』『向かうね』と届く。

 駅のホームで出会うと、「凛花、ごめんね」と涙ぐむ。

 改札を出て出口の向かいにある公園の、噴水のヘリに二人は座る。

 主人公は素直に「凛花のラフのアイデア盗もうとした」と描いた絵を凜花に見せる。凜花は「これはもう私のラフじゃない」という。

 主人公は、凜花の写実的なクジラが嫌いで羨ましく、理想だったと素直に告白する。ぬいぐるみのくじらが自分にとっての鯨で、本物の鯨から目を背けてきた、と続ける。

 園児の声を聞いて噴水を見、「この噴水の噴き方、鯨みたいだよね」凜花の言葉に同意する主人公。人がいなくなってから、凜花は噴水に登ってニヤッと笑う。

 鯨の潮吹きのように噴水が吹き出し、しぶきで濡れる姿に主人公は笑って、自分が描いた凜花のラフを、ホワイトで塗りつぶす。

 浮かんだアイデアをメモ用紙に書き込んで。

 凜花に「絵乃ちゃん」と呼ばれても、彼女の描いたくじらも、もう嫌いではなくなった主人公は、数年後の自分たちはくじら――本物になれているだろうかと思いを馳せるのだった。


 正直、一度読んだだけではよくわからなかった。

 なんとなくわかるのに初見ではモヤモヤ感が残ったので、何度も読み返した。

 前半がわかりにくいのは、「くじら・クジラ・鯨」を中心に主人公の心象風景からはじまっているせいかもしれない。

「ゴミ箱から広がった紙屑に紛れていた青いラフ下絵を見た瞬間、あの日の鯨が脳裏をよぎる」ここから「青い紙のシワを伸ばすように撫でながら、右ポケットに仕舞い込んでいた」を冒頭にもってきた方が、主人公が美術室にいてゴミ捨てに行くのがわかるし、美術室に戻るまで、くじらについて思いにふける流れでもいいのではと考える。

 でも、回想などは途中に挟むより冒頭に描いたほうがいい。

 なのにすっきりしないのは、顧問の「なにか、足りないんだよね」とコンクールについての回想がその後に来ているせいかもしれない。

 だけれども、前半のスッキリしない感じは、主人公が味わっているコンクールの結果に納得がいかなくてモヤモヤして頭の中がぐるぐると廻って落ち着かない様子を、読者に追体験しているとも捉えることができる。

 前半にくらべて後半はまっすぐスッキリなので、前半は意図的にしていると考える。


 ぬいぐるみの鯨を「くじら」、写実的に精緻に描いた鯨を「クジラ」、実在する生物の鯨を「鯨」と表記を使い分けているのは面白い。

 私には姪がいるのですけれど、犬を飼っていたのでファンシーな動物の姿を描いた絵本の類が受け入れられないのではと考え、犬の写真をまとめた絵本をプレゼントしたことを、本作を読んで思い出した。

 犬を飼っていたし、ぬいぐるみはダニの温床になるからという親の方針もあって、ぬいぐるみをプレゼントしたことがなかった。小さな子猫のぬいぐるみをプレゼントできたのは九歳になってからでしたね。

 本作を読んで、ぬいぐるみの姿を実在する動物と思っていた主人公の気持ちは想像できる。たしかに犬や猫などのぬいぐるみは、本物みたいに毛が生えているから、鯨も毛が生えてモコモコしてると思うのは無理からぬこと。

 最初に、テレビの映像や水族館で本物に触れるのが大事なのだ。

 図鑑がよく売れていると聞くのは、本物の姿を見せてあげようとする親心なのかもしれない。

 

 自分のプライドをさらっていった、凜花が自分のことを「絵乃ちゃん」と呼ぶのを嫌い、愛称の「エンちゃん」こそ自分の呼び名だとする考えはちょっと共感できるし、現実的な気がする。

 あなたには呼ばれたくない、それでも呼ぶのなら「エン」でいいとする主人公がいじらしい。

 凜花のクジラをみると、自分の名前「絵乃」も嫌いになっていく。絵乃は自分の名前なので、自分を自分で嫌いになっていくのも同じ。悪循環にハマっていく。

 だから、ゴミ箱でみつけた凜花のラフをこっそりポケットに入れて持ち帰り、構図を真似て描こうとしたのだろう。

 

「ただ、あたしのポケットの中でメモ用紙ぐらいの小さな紙がカサカサと音を立てるだけだった」この気にしている表現が良い。

 悪いことをしてる後ろめたさを感じさせる。

 実際はポケットに入れた紙が音を立てていないだろう。

 もし音がするなら、ポケットに手を突っ込んでいたり、歩く度に制服が揺れて、そのときにこすれて音を立てるのだと思う。

 

 ずる休みする理由が『あたし、コロナかも』は、嘘をつくにしては大げさな気もする。気もするけれども、これぐらい言ってしまうほどに主人公は悪循環に陥っている現れ。この表現は良いと思う。

 

「審査員が求めるものはどうしてもあたしには掴めなかった。精緻さに、大胆な構図に、“らしさ”。あの子の絵にはそれがあって、あたしにはないらしい」

 絵の審査基準はよくわからない。精緻であれば、大胆な構図であれば、必ず選ばれるわけではないと思う。らしさというのは、作者がテーマに対してどう捉え、どのように表現しようとして、狙いどおり描けているか。

 言葉ではなく絵でどう表現するのか、その表現に作者独自の感性や見方などがあるのか。その辺りが、凜花にはあって、主人公には足らなかったのだろう。


 凜花にメッセージ『いつもの乗り換えの駅のホームにいくところ』と送って、『え、私も絵乃ちゃんのとこに向かっていい?』『向かうね』と来てくれる凜花は、本当に主人公を心配してくれているのだろう。

  

 二人で会話しながら、「くじらは、あたしの小さな頃の夢だった。後ろで噴水が吹き出して、甲高い歓声があがる」「せんせ、ふんすいで遊んできていい? 保育園児の声に振り返る。あたしがくじらを描いたのはあれぐらいの時だった」背景で起きていることをさりげなく書いていき、「園児がいなくなって、誰かの静かな寝息と風の音だけになった噴水にのぼる。凛花はあたしのほうを向いてニヤッと笑う」「噴水が──くじらが、クジラが、鯨が潮を吹く。スカートの裾が水しぶきに濡れて、あたしの笑い声がくじらにこだまする」につながっていく流れがいい。

 とくに「スカートの裾が水しぶきに濡れて、あたしの笑い声がくじらにこだまする」と暗喩しているところがいい。

 ここでのくじらは、噴水のこと。

 笑い声が吹き上がる噴水の音にまざって響いていく様を、表現している。


 凜花が噴水に濡れたのは、主人公の行いを水に流した意味合いもあるだろう。言葉ではなく描写することで隠喩で表している。

 つまり主人公をゆるしたのだ。

 主人公もそれがわかっている。

 だから

「絵乃ちゃん」

 と凜花に声をかけられても、

「なに?」

 素直に答えることが出来、「あたしの名前も、くじらも、嫌いじゃない。あたしの意識のなかを泳ぎ続けるくじらは、絵乃とともに」悪循環に囚われていた、いままでの主人公はもういない。

 友達同士になれたから、

「数年後のあたしたちは、くじらになっているだろうか」と新しい未来に思いを馳せることができる。

 ここでのくじらは、もちろん噴水のことではない。

 主人公が好きなぬいぐるみのくじらであり、自分にとっての本物を指す。

 なので、自分の好きな理想の自分、本物になれているかということだろう。


 比喩を多用した作品だと思う。

 素直に上手い。

 彼女たちが、思い描くとおりの生き方ができることを願います。

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