涙雨

涙雨

作者 夢咲彩凪

https://kakuyomu.jp/works/16817139558824739814


 見舞いに来てくれていた初恋相手の椛田優は、実は心臓が悪く亡くなった事実を白血病が治って退院したあとで知った雨音は、亡くなって一年後の雨降る日に、彼への想いを乗せて、彼の好きだったショパンの雨だれを弾く話。


 もの悲しい話である。

 それでいて、よく考えられて作られている。 

 どきり、びっくり、うらぎりがあり、上手い。


 前半の主人公は椛田優、一人称俺で書かれた文体。後半の主人公は雨音、一人称私で書かれた文体。自分語りで自供中継。回想、二人のやりとりが自然に描けている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 椛田は心臓病だと隠しながら、白血病の雨音の面会に来ている。

 雨ばかり降って落ち込む彼女を元気づけようと、好きな曲だからと「ショパン作曲プレリュード第十五番『雨だれ』」を聞かすも、ピアノを習っていた彼女は知っていた。

 移植手術があるが、いまのままでは死ぬ確率は十分あるからもう来ないでと告げられる。不安や泣きたい気持ちを我慢していた彼女に「泣けばいいだろ」彼女の涙を拭い、「俺もう来ないから。約束しよう。──生きて」と約束する。

「私が退院したら、また会いに来て」という彼女に「行けたらな」と答え、雨音がだいすきだとつぶやいて泣くのだった。

 移植手術が成功して、診察のために久しぶりに病院を訪れた雨音は、一番信頼していた看護師からメモ書き『まだ会えなそう。ごめん』を渡される。看護師から、心臓の病気だったのは彼の弟ではなく、彼自身だったと知る。

 診察も忘れて病院を飛び出し、彼女は泣く。

 彼がなくなって一年たった梅雨。窓を開け絵、古いグランドピアノでショパン作曲プレリュード第十五番『雨だれ』を奏でながら、彼に今通信制高校に通いながら看護大学を目指して勉強していること、少しでも患者さんを支えられる看護師さんになりたいことを伝え、彼にありがとうの気持ちが届くようにとメロディーを奏でるのだった。


 本作は、どんでん返しがなされている。

 どんでん返しとは、登場人物と読者を騙すこと。

 一行目から仕込んでおかなくてはならない。


 冒頭、点がさめざめと泣くように雨が降り、「拝啓。もう二度と会えない、初恋の人へ。大好きでした。かつての逢瀬の時に思い馳せ、目を瞑る──」と誰かが初恋の人へ綴った手紙からはじまる。

 本文は、椛田視点で語られていくので、冒頭の手紙は彼の書いたもので、きっと彼女は死んでしまうのだろうなと思って読者は読んでいく。

 二人は別れをつげ、「雨音がだいすき」と呟いて二人は泣く。ここまででおよそ半分。続きがはじまり、看護師から渡されたメモ書きのあと、「酷く、嫌な予感がした。そう、私が白血病を宣告された時と同じような感覚」で、主人公が変わっていることに気付かされる。

 後半は雨音が主人公で書かれているのだ。

 彼は心臓の悪い弟の見舞いのついでに、雨音の見舞いに来ていたとかたっていたが、彼には弟などおらず、わるかったのは彼自身だった。

 移植しても死ぬかもしれないと不安だった雨音以上に、彼も死ぬかもしれない不安を抱えていたことを知って、彼女は泣いてしまう。

 自分だけ助かっても意味がない。

「私が退院したら、また会いに来て」といった彼女に、「行けたらな」と彼は答えていた。

 行けたら会いに来ただろう。

 でも来れないのだ。


 白血病だと面会は大変で、身内や親戚以外はまず会えない。

 弟の見舞いに来たついでに彼女の見舞いに来る椛田に違和感を覚えた。

 おそらく、彼は嘘をついているのだろうとは感づいていた。


 彼が「住んじゃうか?」といって、彼女が「住んじゃお」といったあとに「ほらおうちだよ、と白い毛布を頭からかぶる雨音。俺もその隣にお邪魔する。ふたりで顔を見合わせて、笑う」ところもモヤッとした。

 病室とは別に、面会ルームがあって、そこで会う。もちろん、ベッドでの面会もできるけど、他にも治療している患者がいるので、はしゃいだりとかはまずできない。ベッドでの対面は身内だけだし、一人だけと決まってる。

 個室ならできるけれど、個室の場合は、病状具合や有名人、移植をするための準備をする場所に用いられるので抵抗力が下がっている。

 移植する話はあっても、まだ準備前だろうから、はしゃぐのは可能だけれども、微妙に難しい。

 彼が病院にすでにいるから「住んじゃうか?」という発想が普通に出たのだろう。二人にしてみたら、このときが一番楽しい時間だったと思う。


 冒頭の手紙は、雨音が椛田優にあてたものだった。

 彼の亡くなった一年後の梅雨、雨が降る日に、彼の好きだったショパンの雨だれを弾く。曲を奏でながら、近況や思いを、彼に届けようとする。

 雨が、涙の代わりなのだ。

 冒頭に「天が、さめざめと泣いている。涙の雫はまるで祈りを捧げるように優しく雨音を奏で、地に降り注ぐ」とある。

 この雨は、雨音の涙だろう。

 この「〝雨音〟を奏でる」という表現は、彼が好きだといった『雨だれ』のことであり、雨が降る中で、雨音の名前の彼女自身がピアノを弾く行為、すべてがかかっているのだ。

 冒頭の表現にモヤッとしていたけれども、最後まで読んでスッキリした。

 雨はいつかやむ。

 また歩き出すために、明日は心が晴れますように。


 ショパンが二十四の前奏曲作品を作曲していたとき、「ショパンと女流作家ジョルジュ・サンドとの恋」というスキャンダラスな話題でパリの街は色めき立っていたという。

 繊細なショパンにとって「スキャンダラスな話題で騒然とするパリの街」は精神的に耐えられず、二人はパリの街を離れてマヨルカ島に長期滞在することを決意する。

 もともと修道院だったところへ宿泊し、お気に入りだったプレイエルのピアノも遅ればせながら到着、作曲を再開する。だが、持病の肺結核をこじらせてしまい、生きるか死ぬかの境を彷徨ってしまう。

 ある日、滞在に必要な日用品などを手に入れるため、サンドは買い出しに出かけるも、その先で強い雨と風に見舞われてしまう。川は洪水になり、足止めされて帰りがどんどん遅くなる。

 精神的に落ち込み、肺結核からからくる熱によるだるさと不安定な精神状態に苛まれながらも作曲していく。

 やっとの思いでサンドはショパンの待つ修道院へと戻ってきたのは真夜中のことだった。

 その時、修道院からしずかに聞こえてきたのが『雨だれ』


 この夜の彼の作品は、マヨルカ島のヴァルテモ―ザ修道院の瓦の上で反響する雨のしずくに満ちていたが、そのしずくは、彼の想像と音楽のなかでは、彼の心に天から落ちる涙となっていた。


 ――ジョルジュ・サンド回想録より


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