アゲハ蝶の鱗粉
アゲハ蝶の鱗粉
作者 鑑
https://kakuyomu.jp/works/16817139556916206770
クズな自分が嫌いな男が街をさまよい、アゲハ蝶に誘われて踏切をくぐる物語。
私小説だとおもう。
かといって、作者は高校生なので創作なのは間違いない。
主人公のクズな自分は嫌いで、周りに恵まれているのに他人にやつ当たっては卑下するなど、作者の内面の一部がひょっこり顔を出しているのかしらん。
ぜんぜん違うかもしれない。
主人公は男、一人称俺で書かれたですます調の文体。自分語りで実況中継しながら内面を吐露している。
女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
彼女をなくした主人公は、自己矛盾をかかえては自分を卑下し、そんな自分を拒絶しては他人にあたり、言い訳ばかりをくり返す自分自身がクズでどうしようもない甲斐性なしで嫌いだと思いながら、一週間前にやってきた雨降る街を歩いている。
思い出の屋上へと行き、屋上に咲いていたタンポポを摘み取って、金網がない一角に花を添える。
バーにお酒を飲みに行き、自分が嫌いだと再確認しながら、二十三歳に出会った彼女と愛し合ったことを思い出す。
マスターから『アゲハ蝶の鱗粉』を勧められて、「耳に妙にザラザラとした感触」を感じて主人公はうなずく。
彼女と一緒にいたような酒を飲んでいたような、錯乱した状態で夜の街をさまようと、一匹のアゲハ蝶が「Shall we dance」と誘ってくる。導かれるように、遮断機の下りた踏切をくぐっていくのだった。
村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を、ちょっと彷彿させるような雰囲気を感じる。
主人公の、冷静に達観しては状況を俯瞰している様子を、ですます調で書くことで、ドキュメンタリーや記録映画のような世界観を書いている。
なので、書き方がうまい。
しかも、「コンクリートの地面には、集団心理の絨毯が敷かれています」「ピンセットで摘むように慎重に言葉を選んだ場所に行こうと思います」など表現が独特で、主人公の精神状態や性格をうまく表現していて、おもしろい。
おそらく、二十三歳のときに出会った彼女が、六階建てのマンションから飛び降り自殺をしたのだろう。
「左に見える少し古そうな一軒家からスパイシーなカレーの匂いが流れ出て鼻を刺激したのがフラッシュバックして思わずお腹がなりそうになってしまうほどなんですから」とあるから、食べに来たことがあるのだ。
あるいは、スパイシーカレーを彼女が作ってくれたか。
「雲で太陽は隠れているのに、あの向こうに見える公園のベンチで座った時の木漏れ日の角度まで鮮明に見えてしまうほどなんですから」といい、「きっと気の所為ではないのでしょう」と、見覚えがあることを示唆している。
これらに違和感を感じ、「それは……なぜでしょうか」と自問する。
いつも隣には彼女がいたからだ。
けれど、いまはいない。
だから、見慣れた景色が違って見えているのだ。
基本、自殺の明言はないけれど、花をそえるのは、なくなった人に対してだけ。
だから本作は、失意にある主人公は彼女が住んでいた街に一週間前に引っ越し、雨降る街を歩いて彼女が住んでいたマンションを訪れ、たんぽぽをそえに来た。
自分がどうしてそれをしているのか、あやふやなところがあるのは、それだけ彼女の喪失は主人公にとっては大きかったのだろう。
衝撃的な死だったのがうかがえる。
「他人に理想を押し付けます。そして勝手に失望します。俺は自分がされて嫌なことを平気でします。それを言い訳しています。要するに自分勝手なんです」
女性っぽい性格の主人公。
だけれども、先人もおっしゃってるように、人間というのは他人の心に理想郷を作りたがるもの。
誰しも理想を押し付けては、だめになったら勝手に失望して、勝手に傷ついて、自分で自分自身を高めるのではなく貶めている。
十代は自己のアイデンティティーを確立させるために、いろんな人に出会って影響を受けながら、考えすぎて自分の殻に閉じこもりがちになる時期でもある。
自分はだめだと殻に閉じこもっていた所に、彼女ができて、世界観が広がる。でも失って、後半はマスターに勧められたものに手を出してしまう。
殻に閉じこもっている状態なら、マスターの勧めがあっても手をださなかったはず。
というか、そんなものを避けに混ぜて売らないでください。
アゲハ蝶の鱗粉は隠喩かしらん。
鱗粉はドラッグと推測。
蝶は鳥と共に、浄土の使者としても描かれ、空を舞う様子は死者の霊魂を連想させ、古代ギリシャではプシュケ(霊魂)とされていた。
ローマ人はパピリオ(アゲハチョウ)とみなし、イギリ人はツバメの尾をそこに見、中国人は鳳凰の変形を感じて鳳蝶と名付けた。
それが日本では翅を上げている特徴から、揚羽蝶と和称した。
しかも荘子の『胡蝶の夢』に登場する蝶は、アゲハチョウのことだという。
なので、最後にあらわれたアゲハ蝶は、彼女の魂かもしれない。
しかも、主人公は「彼女の世界に自分を入れないように、彼女の人生を歪ませないように」思いながらも彼女に想いを伝えると、「驚いたことに彼女も同じ想いを抱いていてくれていました」とある。
なので、彼女も主人公と同じ性格をしていたのかもしれない。
そう考えると、自分のことがクズで嫌いだからと、彼女は死を選んだとき、主人公と心中を求めたのではと邪推する。
結果、彼女だけが死んだ。
主人公は、そこまで人生に絶望し、悲観していなかったのだろう。
でも彼女が目の前で死んで、おかしな精神状態となったのだ。
「だから俺は眺めようとしたのです。それは間違っていたのだと、今になって思います」とあるように、いっしょに死ぬべきだったと、いまでは思っているのがうかがえる。
「Shall we dance」と蝶々は耳元で囁いたのは、かつて彼女が屋上から落ちる前に口にした言葉だったのかもしれない。
アゲハ蝶となって主人公の前に現れたのは彼女の魂か。
それともただの幻覚か。
でも主人公は、今度こそはと踏切をくぐっていくのだろう。
主人公の生き方を反面教師にした方がいい。
十代二十代は、自分の殻に閉じこもらず、とにかくたくさんの人に会って、多くの価値観と選択肢があることを知るのが大事だと思った。
自分のやりたいことが決まると、集中して視野が狭くなり、閉じこもるもの。
なので、主人公はみんなのようにやりたいことがなくて、自分はクズだと決めつけるのが早かったんだとおもう。
自分が思っているよりも、この世界にはクズな人間は多い。
上を見れば上があるように、下があれば下があるもの。
つらいなと思ったら大阪の街を歩き、自分よりクズな人を見つけては「あの人達よりまだましだな」とか、「まだ自分は大丈夫だから」と、奮起した方が良かったとおもう。
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