君と空

君と空

作者 雪蘭

https://kakuyomu.jp/works/16817139557029448731


 大好きだった君に僕が贈る鎮魂歌。


 サブタイトルに『かける』とある。

 書き方は気にしない。

 本作は鎮魂歌とあるので、詩的表現の一つだと思う。

 

 主人公はおそらく男、一人称僕で書かれた文体。描写がなく、詩的で自分の思いが綴られている。


 女性神話の中心軌道に沿った書き方をしている。

 主人公は芸術性に秀でた君が好きだったが亡くなってしまい、いま一人でいる。

 そんな相手に対して鎮魂歌を送ることで、これまで秘めてきた思いを溢れさせていく。君が好きだったことを認め、芸術性は遠く及ばないけれど精一杯の気持ちを、君が空にかけた思いとおなじくらいの思いを込めて送る。

『私のことなんか忘れて、前を向いて生きて』と最期に残した君の思いに答えるべく、主人公は君に対する思いに別れを告げるのだった。


 韻を踏んで行変えした書き方なので詩歌を彷彿させている。

 本作は小説なのか。

 大長編の冒頭、あるいはラストにつけられるような内容におもえるので小説である。


 最初の四行詩にそえられた僕の思いを読んでいくと、主人公が『君』と呼んでいる人は、おそらく飛行機設計をしている人だったのだろう。

『君が空を〝描けた〟とき』は、図面を描いた横顔の嬉しさを見ていた。つぎに『空に〝掛けた〟とき』は自慢し、『空に〝懸けた〟とき』は祈り、『空に〝駆けた〟とき』は一人ぼっちになったと続く。

 つまり、設計した飛行機を作り上げ、自らが操縦して空に挑んで墜落、帰らぬ人となったのだろう。

 いまだ君が亡くなったことを受け止めきれない主人公が、自分の思いを吐露することで手向けとし、「だけど、前を向けるように鎮魂歌に付け足させて」と、もはや叶わぬ恋に決別するために読み上げたことがわかる。

 

「今さら気づいても、遅いのにな」とあるように、主人公は君の存在、自分をどれほど支え、どんなに好きだったのかに、亡くなってから気づいている。


 けれども『私のことなんか忘れて、前を向いて生きて』と君からの最期の言葉をみると、どうやら相手は主人公の気持ちに気づいていたと読み取れる。

 相手の性別はわからないけれども、「私のことを好きでいてくれてありがとう」という思いを、最期の言葉から感じることができる。

 

『僕が君から〝翔ける〟とき』とは、主人公の人生が終わるときのことだろうか。

 そのとき「君の愛した青空を、僕も笑って見上げるよ」とは、ようやく君に逢えるという思いに溢れているのかもしれない。

「君と僕を〝架ける〟、あのときとは少し違うように見える青空を」と続くところは、二人で一緒に空を飛びながら世界を見ようと約束しているように思える。

 

 これが「君と僕の、鎮魂歌」なら、あの世で再会するまでのしばしのお別れ、だからそれまで待っててね、と空に誓う主人公の姿が浮かんでくる。


 ベタに考えると、自殺に憧れていた君が死んでしまい、主人公は鎮魂歌を歌った話……かもしれない。


「空からの左側は風が吹くと寒かった」とある。

 君は主人公の左側にいつも立っていたのだろう。

 一般的に右利きが多く、攻撃に使える右手が自由に空いていることで、男性は無意識のうちに女性を守ろうとする。

 なので、主人公は男子で、君は女子だと思う。(同性、あるいは主人公が女子で君が男子の可能性の捨てきれない)

「僕はあなたの横顔見つめてた」とある。

 いつも主人公が右側にいたのなら、相手の右側の横顔をみていたことになる。

 心理学では左側の顔が本音の顔、右側の顔が建て前の顔という。

 なので、主人公がみていたのは、相手の建て前の顔だった可能性が高い。

 また、相手は主人公の本音の横顔を見ていたことになる。

 だから主人公の気持ちに気づけた君は、『私のことなんか忘れて、前を向いて生きて』と最期に言えたのだろう。

 相手が自分のことをどう思っていたのか、主人公はなにも描いていないのはそのためだと推測する。


 人がなくなると、空に昇って天国へ行く考え方がある。

 空にかける情熱と、あの世である空を重ねているのだろう。

 私は浄土真宗だし、多くの人が自分は無宗教と言いながらお参りに行ったり葬式に参加したり、何かしらの宗教に関わっているのに認めないところが大きい。それはこの際どうでもいい。

 とはいえ、人が死んだら空に昇るという考えは西洋、キリスト教的な気がする。

 幼馴染も友人も恩師も近親者も亡くしてきたけれども、空に向かって思いを告げることはしない。

 私の場合は、同じ空のどこかにいる誰かを思う時に見上げる。きっと、お墓という場所があるせいだ。もし亡くなってもお墓を設けない地域の人たちなら、故人を偲ぶ時に空を見上げるかもしれない。

 たとえば、火葬場で煙が上がってそれを眺めながら空へと昇っていく魂を想像するというのはあると思う。


 本作でいいなと思ったのは、鎮魂歌を空に捧げようと感じる「君の愛した青空を、僕も笑って見上げるよ」のところ。

「空からの左側は風が吹くと寒かった。空だけは、変わらず青かった」くらいしか映像描写がほとんどなく、雲をつかむような、ぼんやりした印象しかない。

 だけれどもそのおかげで、好きな人をなくした時の人の心の虚しさ、悲しさ、行き場のないやりきれない思いは作品全体で表現しているように感じられる。

 正直、悲しみに沈んでうつ状態になると、視線が下る。

 顔を上げることができなくなる。

 猫背にもなるし、膝を抱えてうずくまることもしばしば。

 だから視界が常に狭くなり、空なんて目に入らない。

 私が空を見ることができたのは、二年ぐらい経ってからだった。

 なので、本作の主人公も大好きな人を亡くしてから歳月が過ぎ、ようやく鎮魂歌を作れるまでに心の傷が癒えてきたに違いない。

 ここまで言えるようになるまでには、どれほど相手が自分にとって大切な存在だったのかによるけれども、大切であればあるほど五年や十年、それ以上の時間がかかるから。


 大切な人はなくさないようにしよう。

 代わりなどいないのだから。

 

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