僕はあなたの“神様”なので。

僕はあなたの“神様”なので。

白鷺緋翠

https://kakuyomu.jp/works/16816927861374675661


 神様と崇められた少年は、僕は神様だから君だけのために力になると言葉をかけて信者を増やしていく話。


 注意喚起の作品かもしれない。

 最近再び言われだした某宗教団体のことで騒がれているので、宗教団体なんて言葉巧みに人の弱みに付け込んでくるのであって、「その人は神様ではなく自分と同じただの人間なのだ」と目を覚まさせるため、あるいはこの先ダマサれないためにも、疑似体験できる作りにしたのかしらん。

 そんなことはなく、たまたま偶然かもしれない。


 主人公は神童と呼ばれ「神様」と崇められている学生、一人称墨で書かれた文体。自分語りで、青年の主張のようで勧誘語りの体をしている。


 女性神話の中心軌道や、それぞれの思いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感を得る書きたかをしている。

 母親は幼い息子の運の良さを利用して、我が子を「神童」「神の生まれ変わり」と言いふらし、新興宗教を立ち上げて利益を得ようとするかのごとく思いがあったかもしれない。

 子供の主人公と大人たちの関係は逆転する。

 助けを求めてきた大人たちに適当な嘘を言うも、助けて欲しい願望は尽きない。

 高校生になった今も注目を浴び、学校へ行って生徒の悩みを聞き、帰宅後は家で待ち構えてる信者の悩みを聞き、夜は母の悩みを聞く。

 人は自ら行動するのが恐いと知った主人公は、困窮から逃げ、失敗からやる気を無くし、批判されて落ち込む者を認めて、話を聞きに来ることを勧める。なぜなら主人公は神様であり、求める者のためだけに力を貸してくれるのだ。


 主人公の「神様って何なのか。結局、神話に残る偉大な神も昔の人間が作り出した想像の者でしかないんだ。きっと」「僕だって君たちと変わらないただの人間なのに。神様に祈るような人間なのに。周りが神様と呼んでいるからというだけで、人間は神様になれるのだ」というところに本質が語られている。


 そもそも、宗教は人間の生み出した発明の一つなので、彼が言っていることは特筆なことではなく周知の事実である。

 まだ科学もなにもなく、目の前で起こる自然現象にただただ怯えるしかなかった原始の人間は、根拠がなくとも意味や理由をつけることで恐怖心を克服しようとした。

 それが宗教の始まりといってもいい。

 鰯の頭も信心から、といわれるとおり、信じる者にとっては相手が子供だろうと、神にも悪魔にもなれるのだ。


 適当なことを言っても、ありがたがる大人たちをみてきたことで、主人公は思い上がってしまったのだろう。そもそも、周囲が崇め奉るのだから、周囲が求める姿やそれなりの振る舞いをしなくてはならない。

「僕は可哀想な人を助けるために産まれてきたのだと思うようになった。そんな一人じゃ何もできない弱い人間を、助けるために」「だって、僕は“神様”なんだから。そんな可哀想な人間を助けてあげられる」

 一種のアイドル化したわけだ。


「学校へ行って生徒の悩みを聞く。学校から帰り、家で待ち構えてる信者の悩みを聞く。夜、母の悩みを聞く」とある。

 きっと教師の悩みも聞いているに違いない。

 通行人の話も聞いているだろう。

 ラインやメールにも悩み相談が持ちこまれ、ひょっとすると夢龍診断のサイトが解説され、詳しい内容が知りたければ入信を、という形で有料会員のページに飛ぶようになっているのかもしれない。

 収益を得る仕組みは信者がやってくれて、本人の知らないところでは一大組織に拡大しつつあるかもしれない。


 ただ、彼が純粋に人を助けようとしているかといえば違うのがわかる。「結局、人は自分から行動するのが怖いだけなのだと、最近分かった」といい、勇気のない臆病者に対して「心の底から尊敬するよ」といい、失敗してやる気を失い、批判されて諦める者に「そうだよ、それで良い」と肯定して「僕の所に来ることを勧めるよ」「話すだけでも良いんだ。楽になるかもしれない」「信者になんてそう簡単にならないよ」「あんな狂人に、君たちがなるとでも思ってるのかい?」と言葉巧みに招き寄せて、トドメとばかりに「だって、僕は“神様”だから。君のために、君だけのために。僕が力になるよ」と甘い言葉をささやくのだ。

 新興宗教の勧誘にしか聞こえない。

 心が弱っていて、密閉空間で、二人きりだったら、ころっと彼の言葉を信じてしまうだろう。

 あとで、信者が現れてお布施と言ってお金を回収し、末端は吸い上げられて中間層やそれ以上の上位信者は潤っていくのだろう。


 こういう怪しげな宗教まがいに引っかからないためにも、推し活に走るのがいいといわれる。

 オタクはすでに、なにかしらの信者になっているのと同義なので、布施という形でグッズを買いあさり、教祖様に会うためにイベント会場に足を運び、教えを学ぶべくムック本や写真集などを正・複・予備の三系統を購入しては、布教活動と称して友人知人に勧め歩いている。

 もし、何かしらの勧誘がきたら、すでに入信しているので間に合ってますと断ることができるのだ。

 

 本作の「結局、人は自分から行動するのが怖いだけ」、これがすべてな気がする。

 行動しなければなにも始まらない。

 怖がっていてはだめなのだ。

 

 読後、心が弱っている人が本作を読んだらどう思うのか気になる。

 人によって感想が変わるかもしれない。





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