15日目 誰の役にも立ってないことが、何かの役に立っている

 字を書く練習をしようと思ったんだよ。

 ほら、俺は日記帳だろ? 書かれるのには慣れていても、字を書くことってそうあるわけじゃないんだ。それこそ、ウソ日記を書き始めてからかな。

 でさ、わかったことなんだけど、俺は字が汚い。

 いやぁ……色々な『もちぬし』のさ、書く字を見て俺はとやかく言ってたけど、ダメだ。俺にはその権利がない。人のこと言えた義理じゃないな。

 ほらさ、俺に書かれるものだから、字は綺麗な方がいいとか偉そうなこと考えてたんだよな。俺は。

 これはもう、字を書く練習をするしかないよな。自分を練習帳にするのは業腹だけれど、背に腹は代えられない。練習しようったって『もちぬし』のノートを使うわけにはいかないんだ。

『もちぬし』は許してくれるかもしれないけどさ。

 言語は……日本語でいっか。

 7月3日、あいうえをなんて書き始めたらさすがに俺も日記帳としての矜持が傷つけられる。だから、一応日記の体を為す内容がいいよな。

 ん-、そうなると、小説でも書き写してみるか。

『もちぬし』が持っていた手近な本に頼んで、その冒頭を聞かせてもらう。

「春が2階から落ちてきた」

 さすがは名著、なんだか日付と一緒に読むと今日がすごい一日になりそうな気がする。生憎、実際の春はとっくに手を振って遠いどこかにに行ってしまった。来年の再会を約束したばかりだ。

 それから、自分の字を見直す。

 やっぱり汚いよなあ……。文章の綺麗さとは裏腹にミミズがのたくったようなこの字は、文章が意味深なのも相まって、まるでダイイングメッセージだ。

 消す時間も勿体ない。その下に再度同じ文章を書く。さっきよりは少しマシか。それでも汚いことには変わりはない。

 今の俺の『もちぬし』は随分と達筆だから、他のページと比べたら違和感が浮き彫りになってしまう。

 こりゃ、本腰を入れて練習をしないと。


 気が付いたら、シャーペンで何度も書き直した7月3日のページは、折れてよれよれになっていた。字の綺麗さというか、収穫は……まあ、頑張ったんじゃないか? ダイイングメッセージが小学生の落書きくらいにはなったと思う。

 今日はこのくらいにしておくかとうなずいていると、『もちぬし』が帰ってきた。机の上に置いたままの俺を見て、「あれ? こんなとこに置いたっけ」と不思議そうにしている。まずい。

『もちぬし』は何気なく今日の日付を見ると、よれよれになった紙とその文章を見つけて、「怖ぁ」と呟いた。

 そりゃ怖いよな!

 ごめんて、なんかごめんって。

「なにしてたの?」

『もちぬし』の代わりにウソ日記を書こうと思って、まず字の練習をしてたんだ。

「はぁ」

『もちぬし』こそ、今日はどうだった?

「こっち? こっちは、いろいろなことがあったよ」

 それを、俺に書いてくれよ!

 そしたら俺はこんなことをしなくて済んだんだ。

「割と楽しくなってきてるくせに」

 ……それはそうなんだけどさ。

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