第2話
その昔、この国には魔術師と呼ばれる職業があった。徐々に引き継がれる能力が減り続け、居なくなってしまったのだと言われている。
ある者は空を飛べた、ある者は天気を操作できた…など様々な言い伝えが残されている。今となってはそれが事実であったのか、長い年月の中で積み重ねられた物語なのか、知る術はない。
ただ、消えゆく自分達の力を知り、彼らが作り上げたとされる一つの装置がある。
それは人に残された「自覚できないほど微力な力」を使うことのできる、禁断の発明であった。
*****
目を開けると、果てしなく広がる草原の中にいた。終わりが見えない地面とは対照的に、空は落ちてきそうなほど近く、明るいのに太陽は何処にも見当たらない。バランスの悪い絵画の中のようなこの光景を見るのは、もう何度目だろう。
温度のない風を感じながら、少年は辺りを見回す。そして振り返った先に佇む人を見つけて、動きを止めた。
長く靡く銀色の髪。膝まである長いコートを着て、彼もまたこちらを振り返った。どれほど目を凝らしても、その顔は逆光であるかのようによく見えない。
しかし誰なのかと確認するまでもなく、少年は彼をよく知っていた。
“ギルディアス”
彼は少年の名を呼んで手を差し伸べた。それに応え、軽くなった足で草原を蹴る。
聞きたいことは山ほどあった。
どうして、と問いたかった。
貴方が残したものが、呪いのようにこの身に絡まって消えない。
しかし少年の手が彼に触れた瞬間、舞い上がったのは花弁。淡い色をした多種多様な花弁が弾け、空へと吹き飛ばされていく。
そこにはもう人影はなく、残された少年は花弁を瞳に映し空を見上げた。胸の圧迫感に奥歯を噛み締めたが、悲しげに目を細めるだけだった。
世界はどこまでも美しく、自分はいつまでも取り残されていた。
「さぁ、ここへ」
部屋の中には、所狭しと物が置かれている。どれも歴史が古く価値のあるものばかりで、文化財管理人という特別な資格を持った人たちが管理しているのだ。
机や椅子はあるものの、少なくとも人が集まって会議をするような場所ではない。
そんな場所で十人も集っているというのに、異議を唱える者はいない。
「対価の提示を」
一人がその場の指揮を取っているらしい。彼の言葉を合図に、二人が机の上の金属製の物体を挟んで向かい合う。片方はまだ若い青年で、ここで働いているようには見えぬ質素な身なりであった。
青ざめたようにも見える固い表情で、伸ばした手が宙で止まる。
「どうしました」
「…あ、の」
「早くしてくれ」
相手の男が急かした。
「その無駄な時間も請求することになるぞ」
「…!いえ、それは…」
「案ずることはない」
指揮役の男が、青年の肩に触れる。
「休みの日に寝過ごすことと、変わりはない。その時間を有効活用できるだけの事だ、何を躊躇う必要がある」
「…はい」
返事をしたものの暫く迷いを見せた後、青年は漸く手を伸ばした。
両者がその物体に触れて三秒、突然青年の身体から力が抜ける。
ダンと音が響いて、皆は目を見合わせた。青年は後ろで控えていた数人が支えたため、床に叩きつけられることはなかった。それなのに何故音が、と思ったのも束の間。
「全員、動くな」
それが扉を破られた音だと気付いた時には、もう遅かった。
黒の制服と帽子は、治安部の証。部屋に入っていない者も含めて、十人以上だ。
「な、なんだ!」
「何かはおたくらが一番分かってんだろ?」
一人だけ制服ではない男が、少し小さく作られた扉をくぐるように入ってきて前に立つ。ギルディアスだ。
いつもの気の抜けた笑顔ではない、穏やかにも見える静かな視線が相手を貫く。
「この国で禁止されているのは、人の売買と…『刻』の売買、でしょ」
「ちが…!違うんだ!!」
青年と共に物体に触れていた男が、青年を指差して叫んだ。
「こいつがどうしてもと!それでわたしらは仕方なく…!」
「お前は戯曲家のレオモンドだな」
治安部に名前を言い当てられ、彼は息を呑む。
「大方、締切に間に合わず手を出したのだろうが、仮にどれほど頼まれても犯罪は犯罪だ」
彼の合図で、部屋にいた者が次々と取り押さえられて行く。
「それでは、ギルディアス殿は…」
「おー。これは俺が預かる」
金属製の物体を持ち上げる。このためだけに現場に来たので、回収できればもう用はない。治安部の一人が、呆然と呟いた。
「…本物を見たのは、初めてです」
「まぁ『刻』を渡せるなんて、魔術でしかねぇよなぁ」
譲渡できる限界は、一日に満たない。
『売って』しまった青年は、一日弱眠り続けるだろう。『買った』側は、そのあと一定の時間、作業をしていても時間が進まないのだと言う。
「ギルディアス殿は、その…不思議な物体の仕組みが分かるのでしょうか」
「俺?いや、殆ど解明できてないけど」
ただ本物かどうかは分かる。そのため、調査はギルディアスに任せられているのだ。
しかし本格的に取締が始まってから、まだ十年も経っていない。その理由の一つが『刻売りが本当に存在すると思われていなかった』ということ。
「受け取った側の本人しか実感出来ないことだから、実際に目にしたところで、信じられない人が多いのは仕方ねぇよ」
ギルディアスは笑う。思っていたことを言い当てられた相手は、目を泳がせた。
****
「だがこれは古くから存在する、事実だ」
市長になったライミリアンは、ここ数年で強化されてきた取締を一層強くすると宣言した。
「単なる詐欺、薬物と同様の幻覚…、どう思っていても構わない。確かなことは、刻を売ることを禁じるべきだということだ」
一般の人々は、こう言われれば反対する理由がない。反対するのは『刻売り』に関わり、その存在を知り、利益を得ている者だけ。
そして取り締まると断言できるのもまた、『刻売り』が現実にあると知っている者だけ。
だとすれば。
「…実際に、刻売りに関わられた事があるのですか?」
モノクルが反射したせいだろう、ライミリアンの深い色の瞳が、憂いを帯びた光で揺れた。
「そんなもので利益を得たことはないし、得たいとも思わない」
これは最初の頃、街議会での会話だ。
****
「…ギルディアス殿は、刻売りに関わった経験でも…?」
現行犯としての取り押さえがひと段落し、外はすっかり月と星の世界だ。
治安部の一人が、遠慮がちに問うた。
「…いーや、」
ギルディアスはいつものように、へらっと笑った。
「信じたくないからこそ、執着してんのかもなぁ」
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