ペタルスの街遷曲(ガイセンキョク)
縡月(ことづき)
第1話
「何かの間違いだ!!」
二十人が囲む机と、広い部屋。開票結果が配られてすぐ、そこに記された一人だけ群を抜いた数字の上で、彼は拳を叩き付けた。
「こんなものは民主主義ではない!」
わなわなと怒りに肩を震わせるのは、選ばれなかった候補者の一人である。
「民主主義ではないというのは、どういう意味ですか?」
一同の視線が注がれる。静観していた街長が、彼に問いかけたのだ。
「知名度やら人気やらで決めて良い役職ではありませぬ!」
「無論、そのようなもので決めた覚えはございません」
街長の言葉は静かな中に威厳があり、長年耳にしてきた彼らが口を噤むには十分であった。
「開票が終わったので申し上げますと、私も彼に一票を投じました」
「街長、そのようなご発言は…!」
「もう街長ではありませんよ。彼の仕事は単なる功績の為ではなく、それに助けられた街の人々は彼を選んだ。…それを民主主義ではないと仰るのは、あまりに皆を見下した発言ではありませんか」
静まり返る室内。そこで勝者に向けられる視線は、温かい賞賛が多数を占めていた。
「…おめでとう、ライミリアン街長」
街長の言葉に彼は立ち上がり、深く礼をした。一人、また一人と拍手を贈る。
こうしてこの街に、新たな街長が就任した。
あと数月で二十代を終えるという年齢は、周辺の街を含めても前例のない最年少記録。
夜を呑み込んだ深い藍色の髪の質感と、中性的な輪郭は柔らかさを。引き締めた精悍な表情は、信念の強さを。
その若さも容姿も、実力を評価されるには仇となる世界。
それでもここに来るまでを思えば、決して早いとは思えない。
やっと始まったのだ。彼は左のモノクルを整え、目を細めた。
「ありがとうございます」
拍手が遠くで聞こえる。あの日の約束は、遂にライミリアンをこの場所に立たせた。
あの日から二回、季節が巡った。
ここチェンバレンが、華の街と呼ばれているのには二つの理由がある。
一つはノスタルジックな街並みでありながらも、工業の面では前衛的な発展を遂げているという事。馬車と蒸気機関車が、男性の服装でいえばシルクハットとハンチング帽が違和感なく共存しており、貴族制から新しい時代のスタイルを確立しつつある。
もう一つの理由は、この街では一年を通して花が降る。山から吹き下ろす風が、季節ごとに色を変えて花弁を運んでくるのだ。
咲く花が変わったのだろうか。淡黄の花びらが降り始めたこの日、一人の男が早足で通りを過ぎて行った。
「…ライミリアン街長は、相変わらずお忙しそうだ」
「さっきこちらで見かけたのに、すぐにあっちで見かけたとか、まるで何人かいらっしゃるみたい」
「有能な方だよなぁ」
楽しい笑い声と、長閑な会話。
ただ噂の本人は、眉間の皺を深めそうになるのを必死に抑えながら先を急いでいた。
人通りの多くない路地に差し掛かり、一つの古家の前で立ち止まる。見上げると、扉の上には歯車を模った吊り看板。
普段は礼儀に煩いライミリアンだが、躊躇いなく扉に手を掛けて開け放った。
「ギール!居るのか!」
家の中に足を踏み入れるも、返事が返ってくる気配はない。
ずんずんと奥へと進み入り、一つ、また一つと扉を開けたところで、彼は深く溜息をついた。
機械音の響く部屋。体格の良い男の背中は、こちらに気付いてもいない。
「…ギール!」
街長としての普段とは全く違う声色で、ライミリアンは呆れと苛立ちを隠さずに呼び掛ける。
その声にやっと振り向いた男は、大き過ぎるゴーグルをずらし上げ、歯を見せた。
「なんだ、ライアか。どうした?」
体格の良い大柄な身体に、櫛の通っていない髪は丸みを帯びた金色。あまり目立たない色とはいえ、伸び放題の無精髭。
「どうした?…それが『何の用だ』の意味なら蹴り飛ばすぞ」
ライミリアンは、ハットを脱ぎ捨てながら相手を睨み付けた。もう何百回、こんな問答を繰り返しているか分からない。
「街議会だ、街議会!毎回無断欠席するなというのはそれほどに難しいか!?」
「発明家、ギルディアスの名にかけて言おう。
難しいな」
「威張るな!」
実際、彼の生業は発明に違いなかった。
工場の機械から交通分野まで、新しい物にはギルディアスの名を探すことが出来ると言われるほど、街では名の知れた存在である。
自分の生活に関しては無頓着極まりないことと、一つ有用なものを作りだすと、何十という不要なものが出来上がることも有名だが。
ちなみに椅子の横にある、無駄にゴツい機械もその産物である。
『この腕が伸びてだな、机の端にある物を取れるっていう画期的な道具だ』
当然、ライミリアンは真顔で言った。「自分で取れ」
「明日は一秒たりとも遅刻するな」
「明日ぁ?」
連日で街議会があるとは珍しい。何処となく気怠げな声になる。
「…例の拠点に、捜査が入る」
飲み物と菓子を用意し始めていたギルディアスの手が、一止まった。
「街長になる前から目を付けていた先だ。何としても押さえたい」
緊張感のあるライミリアンとは対照的に、彼の口元には笑みが広がる。
「俺を現場に出してくれんだろうな?」
「その為の街議会だ」
それを言わなければ来ないだろう、と目を逸らしたまま眉を顰める。それが拗ねている表情に見えて、ギルディアスはさらに噴き出した。
「そりゃあ楽しみだ」
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