第4話 幻想架空のマナー講師4
〇
焼け野原になった地上は惨憺たる有様で、生きてる人の方が少ない。数少ない生き残りは皆なんで生きてるのか分かんないくらい真っ黒こげで、見つける端から死んでいく。それでも彼らはマナー講師を見つければ殺しに来るのだから、救えない。
「……マナー講師だ、ころせ」
もう男か女かも分からない黒焦げの人型に銃弾を撃ち込みながら、うんざりした思いだった。
全く馬鹿な大人ばかりだと思う。
でも本当に馬鹿な事をしたのは、実は僕らの方かも知れない。
「おいおいおいおい。拳銃での介錯は苦しまないよう眉間に一発がマナーだろが」
「としおー、ここはまるで天国みたいな場所だなあ、手ぇ繋いで空飛ぼうぜぇ」
猿轡を失くしたマナー講師はうるさいし、妹はまだ薬が抜けてない。
まともなのはぼくだけだ。全部が全部狂ってるその理由は分かりきってて、当然この二人のせいだ。
ぼくは妹がラリってるのを良い事に、その襟元をぐいと掴む。
「お前がこんなものつくったりしなかったら、こんなことにならなかったのにっ」
見る影もないがれきの山を指差していくらそう怒鳴っても、ラリった妹には通じない。
「あははははははははははははは、おまえが喜んでくれてうれしいよ。お前先週の金ローでファンタビ見てただろう。それでもしファンタジーな生き物を作ってやったらお前が喜ぶだろうなあって。……がんばったご褒美はあついキッスでいいぞぉ」
あははといつまでも笑い続ける妹を見て、ぼくは泣いた。もういやだこんな奴ら。付き合ってらんないよ。
座り込んで幻覚とお喋りを始めた妹にマナー講師のリードを持たせ、ぼくは崩壊した街を一人歩き始める。目指すのは、勿論学校だ。
〇
「ねぇ覚えてる? 保育園のときにさ、」
「もちろん覚えてるよ。片山が青虫いじめてるのを見て花巻さんが泣いちゃったときのことでしょ」
「そうだけど、花巻さんじゃなくて名前で呼んで」
「さな」
「嬉しい。としお君が助けてくれたあの時と同じくらい、嬉しい」
「町はめちゃくちゃになっちゃったけど、大丈夫。ぼくが君を守ってあげるから」
「としお君」「さな」
かくしてディストピアとなった世界を奇跡的に生き残ったぼくたち二人はアダムとイブになるべく交尾活動を始めるのだった。
なんて話はマジの奇跡でありえなくて、ぼくの通ってる園原第一小学校はありえないくらい破壊されてた。
こんなとき避難所として使われる筈の体育館は完全に瓦解してるし、奥の校舎も同じような惨状。校庭に面した第一校舎だけ唯一その形が残ってて、でもそれも形だけって感じだ。真っ黒の煤に塗れて、右半分は完全に崩れてる。
当然ながらそんな状態になった学校には、助けを求めて走り駆けよってくる花巻さんの姿なんて一切ない。どころか生きてる人の気配がしない。
瓦礫の山に立ちすくむぼくの顔を、爆発の残りカスみたいな熱風が温める。黒焦げた誰かの制服の切れ端が、ぼくの鼻先を通り過ぎた。
これって一体誰のせい? なんてことすらもう考えられない。だってなんの意味もない。花巻さんは、ぼくのクラスメイトは、皆、一体どうなったんだろう。
後ろから声がする。罪深いマナー講師と、それをつくったぼくの妹。ぼくはそっちに振り返らず、崩れた校舎の中へ進む。
〇
校舎二階、今朝までぼくがマナー講師を自慢してた6年2組の教室はその形だけを残してて、だから吐き気がしてすぐに出た。
真っ黒になった死体は皆奇妙な姿勢を保ってて、だけどなんとなくその体格と身につけてたものから、元々それが誰だったのか分かってしまう。マジで一体なんなのこれ。五体満足で生きてるぼくも死んじゃいたい気分になる。ならきっと屋上が良いだろうな。
穴だらけの屋上へ出るのに鍵はいらなかった。扉も床も階段も壊れてて、苦労したけど辿り着けた。
初めて立った学校の屋上は景色が良すぎて、あまりにすべてが見渡せる。一体何が起きたんだってレベルに、海も山もボロックソだ。街なんかほとんど原型がない。
これ全部お前のせい。
誰かにそう言われた気がして、靴も脱がずに飛び降りた。走馬灯は無くて、なんなら衝撃も死後の世界も無かった。当然だ、生きてる。
僕の体を宙で支えるマナー講師と妹の朱莉の顔を、ぼくは無言で殴り続ける。「なんでそんなことする」。妹の朱莉がそう聞く。こいつは馬鹿なんだろうか。こんなの死にたくもなるだろうが。「自殺ってのにも然るべきマナーがあるだろがい。遺書は書いたのか? 生きてる間に犯した罪は清算したのか?」。こんな時でもマナー講師してるマナー講師に腹が立って、ぼくは上空で暴れ続ける。なのに虚しく引き摺り戻された。
「なんで死なせてくれないんだよっ、ほんとはお前が悪いんだぞっ」
「わたしが?」
さっきまでラリってた朱莉はすっかりシラフって顔をしてて、むかつく。
「そうだよ、お前が架空生物製造装置なんてつくんなかったら、こんなことにはならなかったっ、花巻さんも死ななかったっ」
「いや待てお前。花巻って誰だよ」
「クラスメイトだよ、好きだったんだ。だからマナー講師を見せて仲良くなろうって、そう思って学校に連れてったんだよ。なのになんなんだよ、この状況」
嗚咽と涙が溢れ出て、ぼくは灰色の空の下で泣きまくった。そんなぼくの顔面が、妹に思い切り殴られる。しかもグーで、思いっきり。
「ふざけんなよっ!」
もう一発二発と拳が飛んできて、ぼくはもう意味が分からない。涙の意味は色を変えて、今は只々痛くて泣いてる。それでも妹の小さく鋭い拳は止むことを知らなくて、雨みたいに降り注ぐ。
「わたしはっ、お前のためだけにっ、一か月禄に寝ないであの装置を作ったんだぞっ! もう無理だと思ってもっ、お前が喜ぶ顔を想像してっ、なんとか完成させたんだぞっ!」
「なんでえっ、なんでそんなことしたんだよおっ、みんなに迷惑かけただけじゃないかあっ」
やがて亀のような姿勢でギャン泣きしてしまった僕の嗚咽と、妹の泣き声が重なった。「あーん」。殴られてもない癖に、さっきまでこんな状況でラリってたくせに、なんでお前が泣いてんだよ。
「わたしはおまえが好きなんだよおっ! おまえに好かれたいから頑張っただけなんだようっ!」
膝から崩れた妹がそう言ったのを聞いて、大して驚きもしないし、理解だって示さない。だって兄妹だもん。好きなのは当然だ。
「……こんなことになったからもう言っちゃうけどさ、好きってのは劣情のことだよ。いつもお前が寝た後に、その日はどんなエロサイトを見たか確認してた。動画でも漫画でも、どこでイったのか調べ尽した。お前はクール系のロリが好きなんだろ、でもたまに人妻でも抜くよな。つまり包容力を求めてるんだ、お前は。だからわたしは何も拒否しない。そう、おまえが望むならなんだって受け入れてやるつもりだ。それに、いつだって人妻みたいに飢えてるぞ。……お前の下着や靴下がたまになくなるのは、私がこっそり盗んでるからだ。何に使ってるのかは想像に任せるし、きっとその想像の通りだよ」
でも朱莉の言う好きは、ぼくが思ってたのとはちょっと違うようだった。
熱い愛の告白というにはドロドロしてる気持ちの吐露に、ぼくは再び吐き気がした。なのにそんなぼくに構いもせずに、妹はぼくに詰め寄る。
「なぁ良いだろとしお、もうこの街にはルールも法律もない。わたしとここで一緒になろう。初めてが校舎の屋上なんてロマンチックじゃないか」
僕の肩を掴む妹の唇が間近に迫って、ぼくは咄嗟にそれをはねのけた。「気持ち悪い」。兄妹との生殖を拒む本能が、ぼくにそう言ってた。
「なんで拒否んだよ殺すぞっ!!」
ぼくはまたも馬乗りでボコボコにされ続けた。レイプ魔に襲われる女の子の気持ちが良く分かる。妹はぼくより小さいけど運動が出来る。喧嘩には、一回も勝った事がない。
「脱げっ、お前をパパにしてやるっ」
「いやだっ、だってぼくたち兄妹だヴぉっ」
「抵抗したらマジで殺すからっ」
水色のスカートからするりと抜け落ちた白い下着が、ぼくの口の中に突っ込まれた。その間もずっとボコられ続けるぼくは抵抗なんかする気も起きず、なすがままにパンツが脱がされる。セックスというには荒々し過ぎる右手が、ぼくの股間をギュッと握った。痛いよ、マジで。
「わたしだってほんとはこんな風にしたくなかったんだっ、お前がクソみてぇにつまんねぇブスのクラスメイトのこと好きだとか、突然そんなこと言い出すからこうなったんだっ」
顔に吹きかけられる荒い鼻息も、執拗に擦り付けられる妹のぬるぬるした体液も、なにもかもが気持ち悪いとしか言いようが無くて。
だからいくら朱莉がぼくを殴ってそういうことをしようとしても、当然そんな行為は成り立たなかった。
「……なんでたたねんだよっ!!!! 毎日シコってる癖にっ!!!!」
「……兄弟だから、当たり前だろ」
きっと朱莉だって知ってる事なのだろうけど、ぼくは兄妹モノでぬいたことなんてない。マジで一度たりともだ。
「……もう死んぢまいたい」
ぼくもだよ。
項垂れる妹のパンツを口から吐き出し、ぼくは自分のズボンを履く。なんなんだよこれ。今から死ぬって時に、最悪っていうかもう良く分かんねぇよ。
「おいおいおいおい。……あー、まず行為に及ぶときはお互いの合意が必要だぜ? それに避妊もしないとな、兄妹なら尚の事だ。そんなもん脳みそ空っぽのオフパコ野郎共だって知ってんぞ?」
これ以上ないってくらい混迷の中にあるぼくら兄妹に、マナー講師が講釈を垂れる。マジでもう何もかもがめんどくさい。
実はブラコンだった妹よ、悪いがぼくは先に逝く。
思い再び現世の淵に立つと、下に地獄が広がっていた。
「マナー講師を吊るせ」「マナー講師に石を投げさせろ」「マナー講師を燃やせ」「マナー講師を殺せ」
校庭を埋め尽くす黒焦げの死体たちが、ぼくらの居る屋上にその手を掲げていた。
唖然とする間もないままに、屋上に開いた穴ぼこからも、死体達の声が響く。
「お前のせいだ」「お前のせいで私たちはこうなった」
割れた地面から生える黒い腕が何かを求め、ぼくの足首を強く掴んだ。恐怖で思い切り蹴とばすとあまりにも唐突に、それは聞き慣れた声を上げる。
「……どうしてそんなことするの、としお君」
聞き間違えるまでもなく、花巻さんだった。
「花巻さん、生きてるの!?」
「あたりまえでしょ、マナー講師のせいで死ぬなんて、そんなの死んでも死にきれないよ」
屋上の穴から伸びる黒い腕を必死に掴み、その体を引っ張り上げる。そうして真っ青な空の下に現れたのは、やっぱり花巻さなだった。
「ありがとう、としお君」
花巻さんの笑顔は今朝見たのと少しも変わらないピンク色で、涙まで流してる。ぼくはただうれしくって、思わずそれを抱き寄せた。
良かったって心から思った瞬間に、それはまた真っ黒の焼死体になる。
「としお君、わたしをこんな風にしたマナー講師を、早くあの十字に架けて」
目の前にある焼け焦げた眼窩はあまりにも空っぽで、なのに確かに喋ってる。途端にえづきが止まらなくなって、ぼくは情けなく胃の中身を全部吐き出す。「ヴぉええっ」と汚い声をあげるぼくを、再び小さな拳が襲う。
「その女かっ、その女がわたしからお前を奪ったのかっ!?」
「そうだよっ、朱莉がつくったマナー講師せいで、花巻さんはこんな風になっちゃったんだよっ!」
花巻さんの焼死体を抱き寄せると、朱莉もそれを奪おうとする。
「寄越せっ」
「いやだっ」
双方向から無理矢理に掴まれた花巻さんの焼け焦げた胸が、ボロボロと音を立てて崩れた。
なんて事すんだって感じに、たったそれだけのことでぼくはキレた。
生まれて初めて本気の力で、妹の顔をおもいきり殴った。呆気なく宙を舞った小さな体はやがてドサリとコンクリートに落ちて、びくびく震えて動かなくなった。思い知ったかこの変態。
「もう知らないよ朱莉なんか。ぼくは皆にマナー講師を返す」
きっと最初からそうすべきだったんだ。
そんな確信を以てぼくは、マナー講師のリードを引いた。さっきまでうざったいマナーを垂れ流してたそいつは何かを悟ったような顔をして、すっかり黙りこくってしまってる。今更遅いんだよ、クソ。お前なんか生まれてこなけりゃよかったんだ。
「としお君、いこう」
ぼくは花巻さんに手を引かれるまま、屋上の縁へマナー講師を送り出す。校庭に積み上げられた死体の山がうねりを上げて、歓喜と怨嗟の声を轟かせる。
「マナー講師を殺せ」「マナー講師を殺せ」「マナー講師を殺せ」
さざめく黒い波間から、二つの十字架が浮かび上がる。一つにはアXゾンの地下倉庫に居たロボット少女の死体が架けられていて、もう一つはまだ空っぽだ。
きっとあの空っぽに、マナー講師を架けるんだ。それが皆の望みなんだ。
「……わたしの想いを殺しちゃうのか、おまえは」
涙とよだれと鼻血まみれの朱莉がぼくの足首を掴んだ。うざいなぁ。
汗まみれの手を振り払って、ぼくはそいつの頭をサッカーボールみたいに蹴り上げた。
「もうこいつが全部悪いって事で良いじゃん、めんどくさい」
背中を思い切り蹴り上げて、ぼくはマナー講師を突き落とした。
ひしめく何百本もの黒い腕が、マナー講師を絡め取る。ぶん殴る、引っ張り上げる、千切り取る、鉄の十字に架けられる、その全身に杭を打つ。まるでこの世の全部の罪を背負うみたいな光景だ。そこまでする? ともちょっと思う。
「……でもたぶんこれで良いんだ。人間は悪者を求めてるから。正義の味方で居たいから」
学校を囲う戦車が祝砲を上げて、世界は歓喜に打ち震える。死体達は十字架を掲げ、マナー講師をいじめぬく。
まるで地獄みたいなその光景を見ないように、ぼくは花巻さんを抱き寄せる。
ロマンチックな夕日に映えるピンク色の唇に、ぼくはそっとぼくを重ねた。
「最高だ、生きててよかった、もう絶対離さない。大好きだ、花巻さん」
柔らかいお尻を触りながらそう囁くと、彼女は真っ白な頬を紅潮させる。ぼくはそんな彼女が愛おしくて、もっともっと求めまく
「……マジでありえねぇよこんなのっ」
台無しのタイミングで声を上げたのは朱莉で、正直まだ生きてるのかって思った。
「死体に盛ってんじゃねぇよ気持ち悪いっ」
「ぼくに振られたからって花巻さんを悪く言うな」
「……ちまえ」
「なんて?」
朱莉の絶叫が響いたのは、ぼくが聞き返し耳を澄ました瞬間で、驚きに驚いた。それはもう、ほんとに世界が無くなってしまったんじゃないかってくらいに。
「なくなっちまえ、こんなキモい世界!!」
気付くとあらゆる物質から、笛のような音が響いていた。
校庭にひしめく死体が、それを踏みしだく巨大な戦車が、またそれを取り巻く空間そのものが、ひび割れ震えて鳴っていた。
一体何が起こってるってんです? なんて思う間もなく、全ては一瞬で崩壊を始める。
花巻さんの体が砂のように細かく消え去った。かと思うと泥沼のように溶けだした大地が、全てを深く呑み込んでいく。地表にある全ては崩れ去り、地球の底へ沈んでいく。
空だって例外じゃない。それがそれであることを忘れたように、急速に空気は薄れる。夕焼けは白くぼやけ、その下にあった筈の死体達も、景色に同化し消えてゆく。
もはや形を失くした世界が一つのうねりの中に消えていく中で、残っているのはぼくと朱莉とマナー講師と、ロボットの少女だけだった。
「人類すべての罪を背負い、神の子は十字に架けられた。……ならば当然それを生み出した者は、神足り得る存在である」
その最後、ロボット少女はどこかを指差し、パンと弾けて融けて消えた。それがさっきまで指していた場所、うねりの中心に浮かぶ朱莉の姿は、別に普段と変わりない。
偉そうな髭も、白い翼だって生えていないぼくの妹の朱莉は当然後光だって纏ってなくて、なのに確かに神様気取りだ。
「最初から全部やり直しだ。お前が好きって言ってくれる、そんな世界が出来るまで」
またな。と、朱莉はいつもの調子でそう言った。
そしてたったそれだけで、それまで奇跡的にぼくの体をぼくの体として結び付けていたものはほろりとほどけ、細胞膜もミトコンドリアも全てが全て意味を失くして、世界で一番小さな点、あるいは紐のようなものにまで分解されて、
「おはようとしお。……すごい汗だぞ、嫌な夢でも見たのか?」
妹の声で目をさました。
ぼくらの有り得た滅亡シナリオ 矢尾かおる @tip-tune-8bit
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