第33話 ハッピーエンドを目指して
背後から飛んできた援護射撃を受けて、邪神の動きがわずかに鈍る。
生まれた一瞬の隙でケイドは距離を取り、再びバフを積んだ。
(ありがとう、ブレイズ。お前の信頼を裏切るようなことはしないよ)
ケイドは片手を挙げて礼をする。
「……終わりだ、ニグロム」
彼は助走を付けて、大きく飛び上がった。
「はああああああっ!」
虹色の斬撃が、少女の眠る胴体を切り開く。
その傷口を掴み、邪神の胴体に足をかけ、彼は斬撃を繰り返した。
「ラティア! 俺の声が聞こえるか!?」
強引に道を拓いた末に、彼はラティアへと手を伸ばす。
彼女は触手の檻に閉じ込められ、魔法陣の浮かび上がった状態で、苦悶の顔を浮かべてうなされている。
……全身を這う檻の形状は、鳥籠を思わせるものがあった。
それは彼女の体と一体化している。どこからが手足で、どこからが触手の檻なのかも判然としない状態だ。何でも斬り裂く四色バフ状態の精霊剣で下手に斬りつければ、ラティアの体をも傷つけるかもしれない。
「ラティア、起きろ……!」
彼は〈エリクシル〉を取り出し、触手の隙間から瓶をラティアの口につけた。
……その瞬間、彼女の口から黒い瘴気が吹き出した。
慌ててエリクシルを引く。もしも薬が汚染されれば、全てが台無しだ。
「まだ妨害してくるのかよ! しつこいやつだな、ニグロム……!」
ラティアの唇から、霊薬が垂れる。飲んだ様子はない。
……口内から瘴気を吐いて妨害してくる以上、ただ瓶を口につけるだけでは、〈エリクシル〉を飲ませることはできなさそうだ。
(……やるしかないか)
ケイドは心を決めて、自らの口に〈エリクシル〉を含んだ。
(眠り姫を起こすなら……!)
彼は檻の隙間から頭をねじこみ、瘴気による妨害に負けないほどの勢いで、霊薬を口移しに飲ませた。
「……起きろ、ラティア!」
「……ん!?」
目を覚ましたラティアの頬が真っ赤に染まった。
十分に霊薬を飲ませ終えて、二人の唇が離れる。
「い、今のは……」
「嫌だったか?」
ラティアは何も言わずに、ぼうっと彼のことを見つめている。
……ドンッ、と邪神が膝をつく。顕現の軸になっていたラティアの術式が消えたせいで、ついに力が尽きたのだろう。その衝撃で、彼女は我に返った。
「……ケイド、今のは?」
「君に飲ませたのは〈エリクシル〉だ。君の父親が渡しただろう偽物じゃなくて、本物の霊薬だ。もう、君は”不治の病”なんかじゃない」
「へ……?」
膝をついていた邪神の触手同士がほどけ、崩れていく。
だが、ラティアはいまだに触手へ埋まったままだ。
彼女は”根本”にあたる部分だ。最も結合が強いのだろう。
「どうして……どうしてそんなこと」
ラティアは首を振った。
「私は……承知の上だったんですよ!? 昨日、お父様から全て聞きました!」
「は?」
「計画について! 騙されていたのは確かですけれど……でも、先が長くない私の命を投げうって邪神を道連れに出来るなら、それでもいいって……思ってたのに……!」
彼女の瞳に涙が浮かんだ。
(……聞いた上で、自分の命を捧げて邪神を殺す覚悟を決めたってのか)
尊い自己犠牲だ。
だが、そんな苦々しいエンディングを迎えるために、転生してから今まで頑張ってきたわけではない。
「……ケイド……今なら……今ならまだ、私ごと邪神を……」
「本気か、ラティア。本心から、それでいいって思ってるのか?」
「……ううっ……!」
「ラティア。頼む。俺と一緒に来てくれ」
「でも……! 不完全な邪神でも、これだけの破壊力なんですよ!?」
燃え広がる山火事。地上を舐め尽くす熱風。邪神の攻撃により木々は薙ぎ倒され、土は掘り返されている。地獄に限りなく近い景色だった。
「完全な状態で復活したら……!」
「俺が何とかする。何とかできるようになる。信じてくれ!」
「……本当に、信じてもいいんですか?」
「ああ。それに、〈邪神封石〉さえ悪者の手に渡らなきゃ復活しないんだ。最悪の事態はきっと防げる。大丈夫だ。君が命を捨てる必要はない」
ケイドは彼女に手を伸ばした。
「バッドエンドも闇落ちエンドもお断りだ。ラティア、俺たち二人でハッピーエンドを目指そう。……俺たち二人で、一緒に旅をしよう」
いつかの遠回しな告白を、ケイドは彼女へと返した。
涙でぐしゃぐしゃの顔が、更に歪む。
「……はい……!」
ラティアは小さくうなずいた。
「一緒に……二人で生きましょう……!」
「ああ!」
ケイドは虹色の剣を構え、ラティアの体を這う檻に狙いを定める。
……その時、触手の一本が黒い瘴気を纏い、瞬時に彼の首を捉えた。
『……ふふふ。貴様が協力しないというのなら……殺した後で体だけ借り受けるだけの話じゃ……!』
ゴキリ、という鈍い音がして、彼の首はあらぬ方向に曲がった。
背後からの一撃。足掻く間もない即死であった。
「ケイド!?」
檻の中で、ラティアがもがく。びくともしない。
四色バフの精霊剣ですら刃が立たなかった檻を、彼女が壊せる道理はない。
「こ……こんな……」
――だが、彼女には光属性の才能がある。
「終わり方なんて……!」
ラティアは歯を食いしばり、全身から魔力を放出した。
「何か……起きてよ! 私に才能があるんなら!」
でたらめな祈りと、何の意味もない魔力の放出。
落下していくケイドを、赤く泣き腫らした瞳が追っていく。
「私がどうなったっていい! 力を……!」
――その瞳が、純白の輝きを宿した。
純然たる原初の光魔法。形にならない属性の発露が、弱った邪神の闇を侵食する。彼女を覆っていた強固な檻にヒビが入った。
今こそ、外へ。
「ケイドッ! 今、助けに行きますから……!」
檻を壊し、邪神の体内から飛び出して、彼女は〈ブラスト〉を放つ。
風に乗って急加速した彼女は、首の曲がったケイドの体を抱きしめ、背中から地面に叩きつけられる。
顕現の中心だったラティアを失ったことで、邪神の姿が消えていく。
触手は黒い瘴気へと溶け出して、彼女の胸元にある〈邪神封石〉へと吸い込まれていった。
「ぐうっ……痛っ、くない……!」
何かが折れた痛みを無視して、彼女はケイドの体を探り、〈エリクシル〉の瓶を取り出す。中身は完全に空だった。
「……そんな」
空の瓶が地面に落ちて、からからと転がる。
「いや、まだ……ですよね」
彼女は諦めなかった。
ケイドという男が、彼女に身をもって示したのだ。理不尽に立ち向かう姿を。
彼と並び立ちたいと願うのならば、この程度で諦めるわけにはいかない。
「光魔法には、蘇生の力があるんですから……!」
ラティアは原始的な光魔法で後光じみたオーラを発生させ、ケイドの無惨に折れた首へと手を当てた。光が傷を癒やしていく。
まともな魔法の体をなしていない、原初的な属性の発露だ。
それでも十分な力があった。光属性魔法は、純粋な善意をもって行使された時、最高の力を発揮する。
『ぐあああっ! 熱い……! やめろ……!』
ケイドのものではない、奇妙な声が、彼女の脳裏へと直接に伝わってきた。
わずかな瘴気が、身を守るかのように一点へとまとまっていく。
「……まさか、死霊術でケイドの死体を操る気で!? させません!」
『貴様ァ……! 取るに足らぬ小娘が、よくもこの儂の邪魔をォ……!』
「取るに足らない小娘、ですか。本当に、その通りですけど……それでも、ケイドは私のことを選んでくれたんです」
『違う! こいつは儂のものじゃ! 儂が呼んだのじゃ、無数の世界を探して見出したのじゃ……儂のじゃあ……!』
「……何を言っているのかわかりませんね」
静かに怒りを滲ませて、ラティアは光を強めた。
『熱っ……熱い……嫌じゃ、追い出される……嫌じゃあ!』
「あるべき場所に戻りなさい、邪神。二度と世界に害は成させませんよ」
『貴様ぁぁぁ……貴様ごときのせいで、儂の計画が……あああああっ! 許さんぞ、貴様だけは絶対に殺すううう……っ!』
こびりついていた黒い瘴気が、ついにケイドの体から離れ、〈邪神封石〉の中へと吸い込まれていった。
邪神を追い出してから、急激にケイドの傷が治っていく。
首の角度も正常だ。呼吸が復活し、静かに胸が上下している。
「……ん。あれ」
今日二度目の気絶から、ケイドが目を覚ます。
「ど、どうなったんだ?」
「邪神は元通り封印されましたよ」
彼女は胸元に提げた宝石を見せる。
「……そうか。ひとまず、全部上手く収まったか」
二度も死にかけた……正確には、一度死にかけたあと本当に死んで蘇った疲労感と、ラティアが無事だった安心感で、ケイドの緊張の糸が切れそうになった。
(ケイド・シニアスの闇落ちフラグ。両親の死、ラティアの死、それと邪神教団への接触。これでひとまず叩き折れたかな……)
疲労に身を任せて眠りたい、と彼は思ったが、まだ一つだけ仕事が残っている。
この場に残る訳にはいかない。
「ラティア。出発しよう」
「え? 今、ですか?」
「そうだ」
ケイドがちらりとブレイズの様子を伺った。
次期国王の視線は、〈邪神封石〉に固定されている。
(ラティアを”生贄”にして邪神を殺す作戦は、危うく成功するところだった。ブレイズからしてみれば、他の生贄を連れてきてもう一度やらない理由がない)
ケイドとブレイズは、無言で牽制の視線をぶつけ合った。
〈光の種〉の直撃を食らって倒れていた彼の魔術師たちがもうすぐ起きてくる。そうなれば、戦力のバランスはブレイズに大きく傾くことになる。
(俺が全力で不幸を避けようと足掻いてるのと同じように、あいつは不穏な状況下で国を守ろうとしてる。次期国王っていう立場がある以上、当然だけど)
たとえ上手くいくとしても、ケイドは生贄作戦に賛成できない。
ラティアのような犠牲者が生まれるのを看過するのは無理だ。
〈邪神封石〉をブレイズに渡すわけにはいかない。
「……行けよ。うちの魔術師が起きてくる前に」
ブレイズは言った。
「良いのか?」
「良くねえ。無力化するのが一番だ。……でも、仮に〈邪神封石〉を預ける相手を自由に選べるんなら、オレはお前を選ぶだろうな」
「……ありがとう」
ケイドは指笛を鳴らした。燃え盛る森から出てきた馬へ飛び乗り、ラティアを引っ張り上げて後ろ側に乗せた。
体重の軽い者が後ろに乗るのが作法だ。馬は後ろ側のほうが構造的に弱いので、軽い人を後ろに乗せるのが馬に優しい、とケイドは親から習った。
決して抱きついてもらいたいというだけの理由ではない。
「しっかり捕まっててくれ」
ラティアをぴったりくっつかせて、ケイドは馬を走らせる。
戦いで火事になった一帯を抜け、ようやく彼は一息ついた。
「正直、今回ばかりはダメかと思ったよ。本当に、良かった……」
「……そうですね。何だか夢みたいです」
ラティアが、強くケイドの胴を引き寄せた。
「でも、本当にこれで良かったんでしょうか?」
「ああ」
迷いのない瞳で、ケイドは言った。
「邪神への対処なんて後でどうにでもなるさ。これが一番のハッピーエンドだ」
「ハッピーエンド、ですか」
彼の肩に顎を乗せて、ラティアが耳元でささやく。
「確かに私、今、幸せです……」
そうして、二人は森の奥に消えていった。
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