第32話 攻勢
グレースフォートの街を、騎乗した一団が駆け抜けてゆく。
「退け! 退けっ!」
先頭に立つブレイズが、道に溢れた民を下がらせる。
彼らの視線は、西の森から飛び出した邪神の頭を見ていた。
「見てないで、今すぐ逃げろ! 王都方面か、ウェーリア方面か、どっちでもいい! 野次馬やってねえで、自分の命を守りやがれ!」
距離があるせいで、誰も危機感を抱いていない。
だが、言い伝えが正しければ、邪神は遠距離から街を蒸発させるほどの火力を持つ。既にグレースフォートは致死半径の中だ。
案の定、邪神が腕を変形させ、魔力を注ぎ込み始める。
……だが、途中で爆発した。空に飛んだ火花が森林を燃やす。
「妙だな」
邪神は一切の魔法をまともに使えない様子だった。
動きもどことなく弱々しい。
「今なら勝てるか? 行くぞ!」
街を抜け、朽ちかけた街道跡を駆け抜けていく。
邪神の姿が徐々に近づいてきた。
「……! 全隊、停止!」
右腕を切られた男が、執事じみた男に肩を支えられて街道を歩いている。
「クリフォード! てめえ、邪神を呼び出しやがったな!?」
「ええ、いかにもその通り……」
「奴を捕えろ!」
王都の精鋭宮廷魔術師たちが、一瞬でクリフォードと執事を捕縛する。
抵抗する様子はなかった。
「私の話を聞いてください。あの邪神は、意図して不完全な状態で顕現させてあります。今なら、殺せる」
「……なるほど」
ブレイズは彼の意図を理解した。
クリフォード・ダイムの周囲には、邪神教団の影が無い。教団とは無関係だ。
「人口密集地から十分な距離があり、かつ交通の便が良く、すぐに戦力が集結できる場所。西の街道跡、か。ベストな戦場だぜ」
ブレイズのような権力者に接触しなかったのも堅実な選択だ。潜伏している信徒や、邪神の力を個人的に使おうとする愚か者に邪魔をされる可能性が消える。
「一瞬で、そこまで。さすがは次期国王様……」
「よせ。何か知っておくべき情報は?」
「邪神の中央に、依代の少女が埋まっています。彼女を殺せば、現世に顕現している途中の邪神に致命的なダメージが入るはずです。〈エリクシル〉を使えば彼女を助けることは可能ですが、その場合、邪神は元通り〈邪神封石〉の封印に収まってしまい、殺すことは出来なくなる」
ブレイズは瞑目し、考え込む。そして、依代の正体を悟った。
(ケイド……お前ってやつは、本当に運が悪いな……)
彼の命を救った恩人の恋人か。それとも、漠然と迫りくる全世界の脅威か。
国民の命を預かる次期国王として、下すべき選択は明らかだ。
正義は冷厳であり、それは時に犠牲を求める。
「……ブレイズ様? どうしますか?」
「こいつらは連行しろ。ただし、牢屋には入れんなよ。丁重に扱うんだ。犯人だということも隠せ。誰にも一切の危害を加えさせるんじゃねえ」
「はっ」
「行くぞ」
宮廷魔術師たちを引き連れて、ブレイズは邪神と正対した。
全員がAランクの冒険者にも負けない戦闘力を持つ。人員は多くないが、間違いなく王国の精鋭だ。
「胸を狙って、合図で貫通力のある魔法を放て。射撃準備」
精鋭の魔術師が、一瞬でそれぞれの魔法陣を完成させる。
杖に嵌った結晶に浮かぶ魔法陣は、どれも複雑怪奇な構造だ。
「撃て」
濃密な魔法の弾幕が、空を埋め尽くす。
邪神は両腕で胴体を守った。着弾のたび、黒い触手が切断されて地に落ちる。
それでも致命傷には至らない。邪神は魔法の嵐を体で押し割って、ブレイズたちを足で踏み潰そうとした。
「陣形、シールドウォール」
瞬時に、大量の防御魔法が展開される。
属性の違う盾が何十層にもわたって重なった。
邪神が腕を振りかぶり、盾を数枚まとめて叩き割る。
だが、そこで止まった。
間近に迫った半透明の胴体に、眠る少女が埋まっている。
ああ、確かにこれは惚れるのも無理はねえや、とブレイズは思った。
妙な魔法陣に体が覆いつくされていても、なお絶世の美少女であった。
「陣形解除。あの少女を殺せ」
ブレイズの指揮で、至近距離から邪神に無数の魔法が浴びせられる。
邪神は胴体を死守することに必死で、反撃はまばらだ。
ちぎれた触手が地面に積み重なっていく。
……この場にケイドの姿がないことだけが、ささやかな救いだろうか。
そして、ついに邪神が膝をついた。
痛みに耐えかねて、地面を転がり悶えている。無防備だ。
今ならば、胴体の少女を殺せる。
「撃て」
ポンッ、と、魔法ではない何かの発射音がした。
宮廷魔術師たちがとっさに反応し、振り返る。防御魔法を張った者もいる。
だが、精鋭だからこそ、彼らの反応速度は早すぎた。
金色の光跡を引いて飛んできた〈光の種〉が、大音響と共に強い光を放つ。
その様子を魔術師の全員が直視した。視力を失い、鼓膜を破られ三半規管をやられた前後不覚の魔術師たちは、完全に戦う力を失っている。
「……やりやがったな、てめえ」
反応の遅れたブレイズだけが、辛うじて視力を保っていた。
「悪いな。お前らを弱体化に利用させてもらった」
〈アイテムランチャー〉を地面に放り投げ、ケイド・シニアスは剣を構えた。
「ラティアは俺が助ける」
彼が左手で右腕を掴む。何気ない動作でありながら、異常な迫力があった。
ぶわり、と威圧感が放たれて、思わずブレイズが後ずさる。
「……邪神を殺しておかないと、いずれ無辜の民が犠牲になるだろうが」
ブレイズは手中に握った”拳杖”で魔法を放ち、炎の剣を生み出した。
「恩知らずだな、ブレイズ。俺が命を助けてやったのに」
「恩知らずで結構。オレぁ守らなきゃいけねえものが沢山あるんだよ。個人的な汚名なんかどうでもいいんだ」
「それは俺も同じだ」
「そうかい。悪の道に入り込んでまで、あの美少女を守りたいってか」
「……一切の情け容赦なく何も悪いことをしてない少女を殺す命令ができるような男に、善とか悪とか語る資格があるのかよ」
ねえな、と思ってしまったので、ブレイズは自嘲の笑みを漏らした。
お互いに白黒付かないグレー・ゾーンだ。
少なくとも、今はまだ。
「……それが言えるんなら、まだ心配はねえな。お前、なんか危なっかしいからさ、勢い余って悪の道を突っ走るんじゃねえかと思ったが」
「そういう自分こそ気をつけとけよ。頭よすぎて同年代の子供とか全員バカに見えてるだろ。全部自分でやった方が早いからって独裁者になるなよ」
「ったく、よく見てやがるぜ。……なあ、ケイド」
炎の剣を構えながら、ブレイズは言った。
「お前がもし悪人になったら、オレが斬ってやる。だから……」
「バカ言うな。お前は統治者であって、戦士じゃない。斬れないよ」
「……そうか。試してみるか?」
「ああ」
二人は同時に踏み込み、剣閃が衝突する。
炎の剣が弾き飛ばされ、空を舞った。
「悪いな。寝ててくれ」
剣の腹で殴打され、ブレイズが地面に叩きつけられる。
「ぐっ……よせ、ケイド……」
「俺はハッピーエンドを目指してるんだ。誰かを切り捨てるとか、そういう選択肢は最初っから眼中にないんだよ」
ケイドはバフを重ねながら邪神に近づいていく。
「だが……やつと接近戦は……無謀だ! 無駄死にするな……!」
「心配するな。今の鈍った邪神なら、俺でも何とかなる。ま、英雄ライテルにはまだまだ及ばないんだろうけどな……」
……痛みに悶えていた邪神は、既に自己修復を開始していた。
いくらか触手が生え変わり、自力で立ちあがっている。
「ラウンド2だ。来いよ、ニグロム。俺と遊びたかったんだろ」
無数の触手が伸びて、彼に襲いかかる。
……ケイドの姿が、消えた。
ブレイズの目では捉えることも難しいほどの瞬発力で、無数の剣撃が放たれる。時折、触手の間を潜り抜け、切り払い、蹴り飛ばして道をこじ開ける一瞬の姿がブレイズの瞳に焼き付いて、次の瞬間にはふっと消えている。
「お前……」
ブレイズが師事した王国きっての剣術師範も、ここまでの動きを見せたろうか。
凄まじい。その一言に尽きた。
……速度はどんどんと増していく。大半の人間が恐怖に身を竦ませ、動きを鈍らせていくであろう死線の中でこそ、ケイド・シニアスは輝きを増す。
決して美しい動きではない。まるで洗練されていない。
荒々しく、力強い。積んだであろう訓練でも隠せない、荒っぽい本性が浮かび上がっている。
純粋な技術だけでいえば、ありふれた戦士の域だ。
にも関わらず……まるで未来が見えているかのように、ケイドは猛烈な攻撃の嵐をすり抜け、的確に傷を与えていく。迷いがない。
「……ほんっと、滅茶苦茶だな……」
邪神が腕を振り回し、大きな薙ぎ払いを放つ。
ケイドは触手を切り裂きながら踏み込み、足の間を潜って避けた。
完全に距離を詰めきった彼が、繰り返し精霊の剣を振るった。
足を構成する太い触手がぶつぶつと切断されていく。
そして、あと一撃で完全に足を千切る……というところで、彼のバフが切れた。攻撃が通らなくなり、苦しい状況でひたすら回避を余儀なくされている。
「……ハッピーエンド、か。馬鹿馬鹿しいぜ。やっぱお前、どうかしてやがる」
ふっ、とブレイズは笑みを漏らした。
彼は超小型の拳杖を向けて、〈ファイアボール〉でケイドを援護する。
ケイドは飛び退ってバフを積みながら、振り返らずに片手を挙げて礼をした。
「ったく、背中で語ってやがるぜ……」
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