第29話 顕現


 〈エリクシル〉を入手したケイドは、早足に来た道を戻っていく。

 ドワーフの坑道を抜けた頃にはすっかり日が落ちていた。

 カンテラの光だけを頼りに、夜の山を駆け抜けていく。


(野営するか? ……いや! クリフォードが来る前に、ラティアを助けないと!)


 ラティアの父親が邪神の降臨を企んでいる以上、猶予は一刻もない。

 夜を通して、休まずに川を下った。

 空が朝焼けに染まっていく。


「ラティア!」


 泥と汗にまみれた体で邸宅に駆け込み、扉を叩く。

 返事はない。人の気配そのものが無かった。

 ……邸宅の庭に積もった雪には、馬車の轍が刻まれている。

 この邸宅の中にまで馬車を乗り付けるような男は、ただ一人。


「……遅かったか……!」


 既にクリフォードは邸宅を訪れた後だ。

 馬車の轍にはUターンした痕跡がある。おそらく、ラティアを乗せて邸宅を出発したのだろう。


 念のために、彼は扉を蹴破って中へ侵入した。

 ラティアの部屋は普段通りだ。次に、地下の隠し通路を見る。

 ……金庫だと思っていた金属扉が開いていた。

 中には禍々しい魔法陣が描かれ、儀式的な配置をされた無数の蝋燭が灯る。

 おそらく、邪神の依代へ作り変えるための最終工程だ。


(……着火したのは昨日の夜! まだ時間は経ってない!)


 燭台の根本に溜まっている溶けた蝋の分量から、彼はクリフォードが屋敷に来たタイミングを割り出した。


(確実に邪神絡みの儀式だ! 無事であってくれ……!)


 儀式を終えたあと、クリフォードは再び馬車に乗って街を後にしたのだろう。

 ケイドは街の入り口にある馬小屋に駆け込み、シニアス伯爵家の馬を借りた。

 貴族の嗜みとして乗馬は習っている。

 金持ちの乗る豪華で重い馬車ならば、今からでも追いつけるはずだ。


「門番さん! クリフォードの……金持ちの馬車がここを通らなかったか!?」

「そんなこと言われても、今の季節は金持ちだらけで……」


 情報はない。だが、ウェーリアから麓までは一本道だ。

 この街にいない以上、クリフォードは必ず麓へ降りている。

 彼は両足で馬を叩き、全速力で峠道を下っていった。


 グレースフォートにたどり着いた彼は、真っ先に冒険者ギルドへ向かう。

 すっかり朝日は登りきって、ちょうどギルドが開く頃だった。


「ドウラス!」

「……おう? どうしたよ、ケイド。何かあったか?」

「クリフォードっていう裕福な実業家を追ってる! 馬車でこの街を通ったはずなんだ、情報を教えてくれ!」

「緊急事態なんだな? うっし、一肌脱いでやるか! お前にゃ儲けさせてもらったからな!」


 不良職員は窓口を飛び越え、ケイドを連れて街の中心に向かった。

 街の知識を生かした的確な聞き込みの末、有益な情報が手に入った。

 今朝、西へと向かっていった馬車がいるという。


「西ィ? そいつぁ妙だな。こっから西には古代の街道跡が残ってるだけで何もねえぞ? 昔は山脈を貫いてたトンネルがあったらしいが、もう潰れてるしよ」

「……誰も通らない場所か。隠れ場所には最適だ」


 ケイドは礼も言わずに馬へ飛び乗り、即座へ西へと向かった。


「どういたしましてー! 感謝してもらえて嬉しいぜー!」


 当てこすりの皮肉を無視して、全速力で馬を走らせる。

 邪神教団の拠点があるとしても、見つけにくい場所に隠れているだろう。

 クリフォードが街道を外れる前に追いつかなければいけない。


 埋もれかかった街道跡の前方に、わずかな砂煙が見えた。

 ……馬車がいる!


「待てえええええええッ!」


 馬車がじわりと速度を落とし、街道上で止まる。

 恰幅のいい商人風の男が降りてきて、仁王立ちでケイドを迎えた。


「ラティアはどこだッ!」


 馬から飛び降り、着地と同時に剣を抜き放つ。

 殺気立ったケイドは、返事を待たずに男へ詰め寄った。


「少し落ち着いて話をしましょう。君はケイドくんですね? アイリスから話は聞いていますよ。病弱な娘を元気づけてくれたとか……」

「とぼけるな! ラティアの体調が悪いのは、彼女を邪神の依代に仕立て上げるためにお前が飲ませていた薬のせいだろう、クリフォード!」

「……ほう。何故、それを?」

「ラティアはどこだ! 言え!」


 クリフォードが口元だけで笑う。ゆったりとした服が風になびいた。


「すぐに分かりますよ」

「話す気がないなら、いい。お前を殺してから調べさせてもらう」

「……まだ、あと少しだけ死ぬわけにはいきませんので。出来る限り抗わせてもらうとしましょう。セバスティアン!」


 馬車の御者がクリフォードに武器を手渡した。

 グレネードランチャーじみた、小型の筒。〈アイテムランチャー〉だ。


(あれは! 消耗品を装填して遠距離に撃てる武器……!)


 ポンッ、と間抜けな発射音。〈アイテムランチャー〉から何かの種が放たれる。金色の光跡。あれは〈光の種〉、効果はスタングレネードだ!


 目を閉じ耳を塞いで、なお頭がどうにかなりそうな衝撃が彼を襲う。

 キンキンと耳鳴りが響くなか、彼は何とか目を開き、視界を取り戻した。

 ……既に次のアイテムが発射されている。ケイドは横っ飛びした。

 放たれた〈吹雪の種〉が芽吹き、鋭利な氷の吹雪を生み出す。


(吹雪の種は攻撃範囲が狭い。ここまで離れれば……ぐっ!?)


 飛んできた氷が肌に突き刺さり、鋭い痛みが走った。


(範囲が広すぎるぞ!? アイテム効果上昇装備で固めた”アイテムビルド”か!)


 ケイドは距離を取り、離れていた馬を指笛で呼び寄せて飛び乗る。

 無数のアイテムが爆ぜる中、ぐるりと円を描くように回避していく。

 着弾はどれも後ろだ。実力不足で偏差射撃ができていない。

 だが、手数だけなら熟練の魔法使いにも勝る。財力任せの恐るべき攻撃だ。


(それなら……!)


 ケイドは馬を旋回させ、街道脇の林に姿を隠す。

 弾幕が止んだ。


(やっぱり。素の実力がないから遠距離頼みなんだ。自分から距離を詰めて追ってくるのは無理だろ。この時間があれば……!)


 集中し、四色バフを積む。

 精霊の剣が虹色に輝き、不可視の膜がケイドを覆った。


 馬を安全な場所に残して、ケイドは林を飛び出す。

 同時に、アイテムによる魔法攻撃が嵐のごとく降り注いだ。


「無駄だッ!」


 四色バフの圧倒的な魔力を乗せた斬撃で魔法を打ち消し、中央を強行突破する。

 ケイドが〈アイテムランチャー〉を握るクリフォードの右腕を切り捨てた。


「がはっ!?」

「ラティアはどこだ! 彼女に何をしてるんだ! 言えっ!」


 ……その時、馬車の壁が弾け飛び、ゴムのように蠢く半透明の黒い触手が津波のように地面を伸びていった。

 無数の触手は荒れ狂いながら自らを叩きつけ合い、融合して徐々に太さを増していく。原初の生命を思わせる荒々しいプロセスだ。

 ケイドの肌を、ビリビリと毒々しい魔力が刺激する。

 あの赤竜が放ったブレスよりも更に巨大な魔力の気配。


(竜が相手でも、ぜんぜん勝てる気がしなかったってのに……)


 ……邪神、という名に嘘偽りはない。

 莫大な力を持つ上位存在が、今ここに顕現しようとしていた。


「ふ、ふふふ……! 間に合わなかったようですねえ! あーはっは!」

「お前……何のつもりだよ。邪神を復活させて何がしたいんだよ」


 殺意を剥き出しにしたケイドが、クリフォードの首元を掴む。


「聞いても無駄か! どうせ邪神教団の連中なんか、全員独りよがりな理屈で世界を滅ぼしたがってるだけの狂人なんだからな! クソがっ!」

「……は、は……その通りですよ。邪神教団のような悪意ある者に邪神を渡すことだけは、絶対に避けなければいけない……」

「何?」


 まるでクリフォードが邪神教団と無関係みたいな言い方だ。

 こうして邪神の封印を解いているというのに?

 ……絶対におかしい理屈だが、嘘を言っている様子はなかった。


「私は邪神教団とは無関係ですよ、ケイド君。私はただ、〈邪神封石〉を思わぬ形で手に入れただけの実業家ですから」

「なら、何でだ! 何でわざわざ邪神の封印を解いた!? あんなもの、世界を滅ぼす以外に使い道はないだろうが!」

「いかにもその通りですよ」


 満足しきった表情で、クリフォードは言った。


「いいですか。いかなる封印も、どれほど厳重な隠匿も、いずれ忘れさられて破られるものなのですよ。一介の実業家にすぎないこの私が〈邪神封石〉を手にできたのが、まさにその証拠です。〈邪神封石〉は滅びた国の遺跡から略奪され、価値を知らぬ者によって転売されていた」


 右腕の傷口を抑えながら、彼は続ける。


「これから人類が何千年と生きていけば、必ずどこかの地点で悪意を持った人間が〈邪神封石〉を手にするでしょう。そして、世界を滅ぼすのです。……目に見えている未来ですよ。その破滅を避ける方法は、ただ一つ」


 クリフォードが人差し指を立てる。


「不完全な形で、邪神を顕現させること」


 蠢いていた触手がまとまりきって、粘土で作ったように曖昧な人間の四肢へと形が収束していく。

 そして、巨大な邪神が身を起こした。

 半透明の胴体の中に、一人の少女が埋まっていた。

 彼女の全身に魔法陣が浮かび上がり、体に沿って檻のようなものを形成しながら、どす黒い瘴気を生み出している。

 胸元には紫色の、蠱惑的に輝く宝石があった。〈邪神封石〉だ。


「……ラティア……!」

「彼女には光属性の才能がある。邪神の依代には向かない。彼女のような適性外の人間を依代にすることで、邪神の能力は抑えられ、討伐が可能になる」


 確かに。

 確かに、これが成功したならば、邪神を呼び出すことは不可能になる。

 邪神教団の勢力も弱まるだろう。ケイドが邪神を宿す可能性も消え去る。

 だが……それでも!


(ラティアを犠牲にするなんて、絶対に願い下げだッ!)


「お前……! 何とも思わないってのか!? 勝手な理屈で、一人の少女を殺してるっていうのに! 自分を父親だと慕ってくれてる少女を殺してるんだぞ!?」

「大勢のために一人を犠牲にすることは、果たして悪でしょうか?」

「悪だ!」


 ケイドは言い切って、懐の〈エリクシル〉を確かめた。

 ……ラティアがあの状態でも、万能の霊薬は効果を発揮するだろうか?


 〈エリクシル〉を見た瞬間、クリフォードの顔色が変わった。

 ならば効果があるのだろう。まだラティアを助け出すことは出来る。


「一人を犠牲にするのが悪なら、大勢を犠牲にするのは巨悪ですね」

「黙れ。そうなるとは限らないだろ」

「不完全な形で邪神の降臨を止めれば、〈邪神封石〉はこの世に残る。悪意のある者が邪神を利用する可能性は残る。いずれ世界を滅ぼす種が、この世に撒かれる」


 クリフォードは、ケイドの瞳をじっと見て、言った。


「あなたは大悪人だ。ラティア一人の犠牲で世界の滅びを避けられるというのに、私情で危険な道を歩もうとしている」

「黙れって言ってるんだ! 一緒にするな外道!」

「あなたの選択は、いずれ死人を生む。犠牲者が生まれたあとでも、同じことが言えるでしょうか? 自分が悪ではないと、本当に言えますか?」

「……うるせえ!」


 ケイドは深呼吸して、左手で右腕を掴む。


「だったら! 一人も犠牲者を出さなければいいだけの話だ! 俺が必死で足掻いて、完璧なハッピーエンドを掴む! それで全部、何もかも解決だ!」


 彼は〈フォーカス〉を使い、四つのバフを積んでいく。


「……無茶ですよ。そんな背負い方をすれば、いずれあなたは闇に落ちる」

「言われなくても、それぐらい知ってる」


 準備を終えたケイドが、巨大な邪神へと剣を向ける。


「その未来を防ぐために、俺は努力してきたんだ」


 ――全ては今、ここで決まる。


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