第28話 ウェーリアの赤竜
川を遡り、服を泥に濡らしながら〈大精霊の泉〉へ。
そこから西の方角へと谷間を登っていく。
やがて森が薄くなり、延々と広がる崖が行方を遮った。
登れないことはないが……上空を魔物が飛び回っている。
もし崖登りの最中に目を付けられれば一方的にやられる。登るのは無理だ。
「確か、原作ならこのへんに……あった!」
ケイドは崖沿いを歩き回り、小さな洞窟を発見した。
世界中の地下に張り巡らされた〈ドワーフ坑道〉の開口部だ。
この洞窟を通り抜けることで、険しい崖の並ぶ地帯をスキップして火山へ向かうことができる。
持ってきたカンテラに火を入れて、彼は暗闇を進む。
常に剣を構え、魔物に警戒しながらのじりじりとした歩みだ。
やがて、小さなランプの光では見通せないほどの巨大な通路へ入る。
ファンタジーに似つかわしくない二本の線路が敷かれていた。
(ドワーフ鉄道か。原作主人公のライテルが修復イベントをこなせば、いずれ復旧するけど……今の段階じゃ崩壊だらけで寸断されてる)
線路を横断している彼の耳に、かたかたと骨の鳴る音が届く。
――殺気。魔物だ!
「ヴォォ……アァ……」
幅広で背の低いスケルトンが、糸で操られているかのように立ち上がる。
ドワーフのスケルトンだ。
「〈フォーカス〉」
彼は精神を集中させ、四色のバフを積んだ。
フル強化すればそれなりに魔力と体力を消費するが、スケルトンは半端に攻撃しても無限に立ち上がってくる魔物だ。骨を砕くような威力が必要になる。
「よっと!」
虹色の軌跡が暗闇に奔った。
バラバラになった骨が小気味よい音と共に落ちていく。
数こそ多いが、ケイドの敵ではない。
「……荒っぽい手段で悪かったな。先を急いでるんだ」
積み上がった骨にそう言い残し、彼は細い通路に入っていった。
そして、数時間後。
洞窟を出た彼を、溶岩の川が出迎えた。
(熱い。さっきまで雪景色だったのに。さすがファンタジー世界……)
この川は〈ムリワ溶岩流〉と呼ばれている。休むことなく流れる溶岩は、やがて急流を下り海にまで注ぎ込む。地中深くから噴出する溶岩には濃密な魔力が含まれているため、この溶岩流の近くには強力な魔物が陣取っていることが多い。
もっとも魔力が増える源流の近くは、世界でも屈指の危険地帯だ。
(……ド、ドラゴンだ……)
そう遠くない場所で、赤色のドラゴンが溶岩に口をつけて飲み干している。
今の彼では、四色ビルドの力があっても傷一つ付けられないだろう。
可能な限り気配を消し、ゆっくりと岩の後ろを伝って動く。
物陰から出た瞬間、ケイドは竜と目が合った。
……動きを止めている彼を一瞥した竜は、興味なさげに溶岩の”食事”に戻る。
(た、助かった……)
滝のように冷や汗が出た。間違いなく、戦いにもならないだろう。
ハエが人間に挑みかかるようなものだ。頑張っても鬱陶しく思われるのがせいぜいで、一発はたかれるだけで決着がつく。
そろりそろりと溶岩流を下った先に、塔の廃墟が見えた。
魔物の姿もない。竜を怖がって隠れているのだろうか。
「これなら……!」
彼は小走りで廃墟に駆け込んだ。
中はびっしりと研究器具やメモで覆われている。
ケイドは興味本位でメモを眺めたが、中身が高度すぎて何も理解できなかった。
そもそも文字が読めなかった。古代語だ。
分かったことといえば、やたらとドラゴンの図柄が頻出することだけ。
近所の赤竜を観察でもしていたのだろうか?
「って、こんな調査してる場合じゃない。〈トレジャーサーチ〉」
両手の間に光が浮かび、いくつかの方向を光の柱が指さした。
ガラクタじみた宝の山をかきわけて、彼は細長い飾り箱を発見する。
「お、おお!? 見るからに強そうな魔法剣だ……!」
中には銀色の魔法剣があった。
名前も効果も覚えていないが、強いことは明らかだ。
そこにあるだけで思わず目を惹かれてしまう。重力のような存在感がある。
ぱっ、と笑顔を浮かべたケイドが剣を握って振り回す。
完璧なバランスだ。この世のものとは思えないような次元で調律されている。
「〈ファイア・エレメンタル〉、〈ウォーター・エレメンタル〉……」
四色バフを宿し、剣身が虹色に輝く。精霊の剣と同じく、レアな全属性対応の魔法剣だ。比べ物にならないほどの威力が出ている。
「〈トレジャーサーチ〉」
彼は魔法剣を使って魔法を放った。
剣の柄に嵌っている透明なレンズに、トレジャーサーチの魔法陣が輝く。
光の柱が伸びていき、宝の周囲を円で囲んだ。普段より効果が増えている。
「最高だな、この剣……」
光で囲まれた箱を開けば、中には透明な瓶が入っていた。
乳液のような白っぽい液体から、とんでもない魔力の気配が漂っている。
間違いない。本物の〈エリクシル〉だ。ゲームと同じ場所にあった。
「っし! あとは帰るだけだ……!」
彼は廃墟を後にして、溶岩の川沿いを登っていく。
物陰でこそこそしている彼を、竜がじっと睨んだ。
「ん?」
周囲のすべてが竜へと引っ張られていく。
岩陰から身を出したケイドは、息を吸い込んでいる赤竜の姿を見た。
ブレスの準備動作だ。
「ちょっ……や、やっべ!」
〈大精霊のお守り〉による防御力上昇効果を狙い、即座に四色バフを積む。
そして、彼は岩の後ろに伏せた。
次の瞬間、高熱の濁流が世界を覆った。
岩陰の輪郭を真っ赤に溶かしながら、直視できないほどの光と熱が満ちる。
(熱いっ! ……熱いだけで済んでる! お守りすげー!)
不可視の防御膜がなければ、物陰でも関係なく焼き殺されていただろう。
圧倒的な力だ。
(それなりに強くなった気でいたけど、上には上がいるもんだな……)
じっと物陰で伏せ続ける。
やがてブレスが止まり、竜が地を揺らしながら近づいてきた。
(う、動いたら死ぬ……見つからないことを祈るしか……)
岩の後ろで縮こまっている彼を、巨大な竜が覗き込んだ。
「あっ」
ケイドは死を察した。
『……生き残ったか』
赤竜はケイドの脳裏に言葉を叩き込んできた。
喋れる、らしい。
『今すぐに盗んだものを置いていけ。それで見逃してやろう』
「……そ、それはできない」
『ほう? この距離から二発目が欲しいのか? いいだろう』
「俺の事情を聞いてくれ! 好きな人が不治の病なんだよ! しかも、なんだかきなくさい事件の影がちらついてて! とにかく、〈エリクシル〉がないと……!」
『知ったことか。我が研究所に盗品を戻せ』
「我が……?」
『知らずに来たのか?』
竜が大きく息を吐く。ケイドは物陰から吹き飛ばされ、ブレスで真っ赤に炙られた地面に突っ込む寸前でなんとか留まった。
『今すぐに盗品を戻し、帰れ。二度は言わんぞ』
「……でも今ので三回目……」
『頭から食ってやろうか?』
威圧的に首をもたげた赤竜から、からん、と金属の音がする。
首から提げた空の鳥籠が、自らの鱗に当たった音だ。
まさか、この竜が〈竜籠の青い鳥〉の元ネタなのだろうか?
『生意気な奴め。……我は昔から、弱いくせに態度の大きいものがかわいくて仕方がないのだ。かわいさに免じて無礼は許してやろう』
「あ、ありがとう?」
『うむ。分かったら盗品を戻せ』
「どうしても〈エリクシル〉は譲ってくれないのか?」
話が通じそうな気配を感じて、ケイドはゴネてみた。
『駄目だ。フッ』
ケイドは鼻息で空高くに吹っ飛ばされた。
塔の廃墟がぐんぐん迫ってくる。
「おわあああああっ!?」
彼は空中で器用に姿勢を制御して、壁に足から着地した。
うまいこと勢いを殺し、はるか下の地面で受け身を取る。
「……い、今ので死なないのか……この世界の人体、すげー……」
しぶしぶケイドは魔法剣と〈エリクシル〉を元の場所に戻した。
「それでいい」
……角と翼と尻尾の生えた、筋肉質で胸の大きい強そうな女性が現れる。
人の域を外れた美しさと強さ。ケイドの好みのど真ん中であった。
「さ、最高かよ……」
(って、いや、落ち着け! 俺にはラティアが居るんだ!)
彼は意志の力を振り絞り、彼女から目線を外した。
いかに性癖ド直球の相手だからといって、浮気する気はない。
もう相手は心に決めているのだ。
「? 我は最高だが」
彼女は研究器具を手に取った。
「我はこの世界を探究するのに忙しいのだ。もう用もないだろう。さっさと帰れ」
「……いや、用はある。教えて欲しいことがある」
まだ殺されていないあたり、この赤竜はかなり優しい。
そこに甘えて、ラティアについての情報を得られるかもしれない。
「図々しいやつめ」
ケイドは白紙の紙を拾い、ラティアの体に浮かんでいた模様を描いた。
「この魔法陣について知りたい」
「む? これは……」
人化状態の赤竜は、興味深そうに模様を眺める。
「ふむ。邪神の依代を作るための術式のようだ」
さらり、と重大なことを喋った。
「……邪神!?」
「うむ。邪神の依代として具合がよくなるよう体を作り変えていく魔法だ」
「嘘だろ!? じゃあ、ラティアは……クリフォードが飲ませてた薬は……!」
間違いない。クリフォードはラティアを邪神の依代に作り変えようとしている。
邪神を現代に降臨させたがっている組織など一つしか存在しない。
クリフォードも邪神教団の人間だろう。
(……連中とは、よくよく縁があるな……!)
言うまでもなく、邪神教団との接触はケイドが闇落ちするフラグの三つ目だ。
交渉する気はない。そのルートは絶対に選ばない。
必要ならば戦って倒す。
ラティアの死亡フラグも、彼自身の闇落ちフラグも叩き折ってみせる。
ケイドはとっくにその覚悟を固めている。
「あと一つだけ聞きたいんだが」
「遠慮という概念が存在しない国から来たのか? 生意気にも程があるのではないか? 愛いやつめ。お前も鳥籠に閉じ込めて飼いたくなってきたぞ?」
赤竜はケイドに狂気的な熱視線を向けている。
思わず身の危険を覚えた彼だったが、聞いておかなければいけない質問がある。
「……この模様と魔壊病には、何か関係があるのか?」
「魔壊病? いや、無関係だが」
(ラティアの父親は”模様は魔壊病が末期の証拠”だと手紙で言ってたけど、あれはまったくの嘘だ! 彼女が不治の病だっていうのも怪しくなってきた!)
希望が見えてきた。〈エリクシル〉が無くとも打開できるかもしれない。
「しかし、邪神の依代に改造されたとあれば、魔壊病に似た症状が出るだろう。いずれ全身を苦痛に苛まれることになる」
さっそく希望は潰された。仮にラティアを助けたとしても、いずれ苦しんだ末に不可避の死を迎えるということになる。
「……エリクシルで、その症状は治せるのか?」
「無論だ。改造された体は元に戻せる。これは万能の秘薬だ」
赤竜がケイドの顔をじっと眺める。
そして、彼女は舌なめずりをした。
爬虫類じみた縦長の瞳孔が細まる。
「欲しいか?」
「……ああ。助けたい人がいるんだ」
「いいだろう」
エリクシルの瓶を投げてよこされる。ケイドは嫌な予感を覚えた。
この赤竜は、並の英雄ではとうてい及ばない存在だ。神にも等しい、と言える。
そういう存在が気まぐれを起こせば、人間の都合や命は容易く吹き飛ぶだろう。強すぎる存在と関われば、必ず振り回されて厄介事を抱える羽目になる。
(原作にこんな竜は出てこなかった……俺の原作知識が役に立たない……)
「かわりに、お前の名を教えろ」
(……でも、この竜は積極的に干渉してくるタイプじゃなさそうだ。無害な上位存在に注目されるのと引き換えに、ラティアを助けられるんなら、悪くない)
虎穴に入るしかない。ラティアを救うための道は他にないのだ。
「……ケイド・シニアス」
「ケイド、か。覚えたぞ」
彼女は一冊の本を取り出した。
びっしりと並んだ名前の末尾に、ケイドの名が付け足される。
名前の大半は横向きの線で打ち消されていた。
「小さく弱きものであればこそ、お前たちの生き様は面白い。エリクシルの代金に、貴様を興味深く眺めさせてもらうとしよう」
牙を剥き出しにした彼女が、ケイドを見下ろしてくつくつと笑った。
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