第27話 巣立ちの時


 早朝。置き手紙を食卓に滑らせて、ケイドはそっと家を出た。


「ケイド。待ちなさい」


 彼を呼び止める声があった。

 父親のルート・シニアスは、ケイドが行動に出ることを予期していたようだ。


「旅先で何があったんだね? 昨日から、少し様子がおかしいようだが」

「……ラティアが不治の病だって聞いた」

「そうか、それは……」


 父は悲しげに首を振った。


「だが、諦める気はない、というわけか。どこで何をするつもりだ、ケイド。また無茶をする気なのか?」

「大精霊の泉から、洞窟経由でウェーリア火山に。あの火山にある廃墟に、エリクシルが眠ってるはずなんだ。それを取りに行く」

「何故そんなことを知っているんだ……いや、今更か。ケイド、火山がどういう場所か承知した上での行動なんだな?」


 ケイドは頷いた。

 ウェーリア火山。ゲームでは終盤のマップだ。本来はこちら側ではなく、山脈の向こう側にある別の国から登っていく。

 冒険者ギルドの危険度ランク認定によれば、火山全域は危険度Sである。

 本来なら立ち入るだけでも特別な許可が必要な場所だ。


「マリン。聞いたな」

「ええ」


 冒険者の旅装に身を包んだ母親が、物陰から出てくる。

 気配は完全に殺されていた。引退したとはいえ、まだ只者ではない。


「話は分かった。なら、わたしたちが代わりに行ってくるわ。あなたはここで待ってなさい」

「だ、駄目だ! 危なすぎる!」

「わたしとルートでも危ない場所に、あなた一人で行こうというの? そのほうが危ないでしょう」

「……それでも、駄目なんだ。父上と母上を危険な目に逢わせたくない」


 彼にとって譲れない一線である。

 両親は顔を見合わせて、それぞれが武器を抜いた。

 父親は魔法の杖を。母親は双剣を。


「どうしても、と言うのなら。わたしたちを倒してから行きなさい。わたしたち二人よりも強いって、あなた一人のほうが安全だって、証明してみなさい」

「……ケイド。お前の切り札を隠したまま勝てるほど、私達は甘くないぞ。見せてみなさい、ゲオルギオスを倒すために使った秘技を」


 ケイドは精霊の剣を抜いた。

 やるしかない。

 ……もしもエリクシルの採取と治療が上手く行けば、すぐに彼はアイリスと……いや、ラティアと旅に出るつもりでいる。仮に失敗したとしても、治療法を探すことになるだろう。いずれにせよ、親元から離れるのは間違いない。

 両親も彼の旅立ちが近いことに気付いている。

 この戦いは、独り立ちできる力があると証明するための儀式だ。


 彼は左手で右の手首を掴み、目を閉じて深呼吸する。

 十二年間の思い出が、泡のように瞼の裏をよぎった。


「〈フォーカス〉」

「……その歳で、スキルか。見事だ。お前はいつも、必死に訓練していたな……」

「その仕草……見覚えがあるわ。幼かった頃からの癖よね」

「〈ファイア・エレメンタル〉。〈ウォーター・エレメンタル〉」


 属性バフを積み始めた瞬間、二人の顔色は変わった。

 驚き、困惑している。


「〈ウィンド・エレメンタル〉」

「待て……何だ、この魔力の気配は? 矛盾した力同士がぶつかりあって、何倍にも増幅されているぞ……!?」

「ど、どうやって? どうやって、矛盾した魔法を同時に維持しているの? ……でも、そんなこと普通は無理よ!? まさか、無属性にしか使いこなせない技術が存在するの!?」

「いや。それは違うよ、母上。俺は無属性じゃない。〈星見の儀式〉のとき、指先に〈魔無草〉を付けて属性をごまかしたんだ」


 両親の驚きが更に深まった。


「な、何故?」

「あのまま第一王子と第二王子の跡継ぎ争いが起これば、父上も母上も危険だと思った。俺が無属性になれば、療養して属性の力を引き出すためにウェーリアへ引っ越してくれるんじゃないか、って思ったんだ」

「だが……ケイド。あの儀式に使われる判定機は高級品だ。〈魔無草〉の粉末を指につけた程度ではごまかせない……」

「え?」


 今度はケイドが驚いた。

 その拍子にバランスが崩れ、精霊の剣の魔石に形作られていた〈アース・エレメンタル〉の魔法陣が霧散すると共に、すべてのバフが消失する。

 四色バフ状態の維持はシビアだ。気を抜けば崩れてしまう。


「ごまかすまでもなく、お前は本当に無属性なのだ。だからこそ、多属性の力を同時に引き出して調和させることが可能なのだろう」


 納得すると同時に、ケイドは疑問を持った。

 原作のケイドは土属性だ。原作の時点でケイドは属性をごまかしていたのか。

 あるいは、転生の影響で属性が変わったのか?


(いや、今はそんなことどうだっていい……!)


 彼は再び一からバフを積み直す。


「〈ウィンド・エレメンタル〉、〈アース・エレメンタル〉」

「……すさまじい力だ。なるほど、これがあれば……」

「ゲオルギオスを倒しただけはある、わね。本気で行くわよ、ルート」

「ああ、マリン。〈リジェネレーション〉!」


 水属性の中級魔法、持続的に回復し続けるバフ魔法。

 あまり父親が魔法を使うところは見たことがないが、実力は十分のようだ。


「いくよ、父上、母上。……うっかり当たらないでね」


 人間を即死させて余りある威力の剣を構え、一気に駆け出す。


「〈ウォーター〉!」


 父が中空から出現させた鉄砲水を、ケイドは斬撃する。

 圧倒的な威力により、魔法は消失したが、水はそのまま残った。

 ざばん、と思い切り水を被る。


「〈サンダークラウド〉!」


 マリンの放ったミニチュアの雷雲が、全身を濡らしたケイドを狙う。

 落雷が直撃し、彼の全身を電撃が伝う。だが、ケイドは無傷だ。

 〈大精霊のお守り〉による防御膜が、雷をすべて受け流している。


「……ルート! 不可視の膜があるわ!」

「四属性の強化で引き出された力が、防御にも回っているのか! 素晴らしい!」

「そんなこと言ってないで……正面からは無理よ、何をするかは分かってるわね! 〈ウィンドウォール〉!」

「ああ! 〈ウォーターウォール〉!」


 息のピッタリ合った様子で、風と水の二重盾が出現する。

 ケイドのバフが切れるまで時間を稼ぐつもりだ。

 だが、完璧に同調した強固な盾を、彼は一撃で切り伏せた。


「な……」


 絶句している二人へと距離を詰めていく。

 マリンが双剣を構えて立ち塞がり、踊るような攻撃を繰り出した。

 合間に風魔法を交えた、恐るべき手数の連撃だ。

 防御に専念してもギリギリだ。反撃するような余裕はない。


「……でも、威力不足だ」


 ケイドは双剣の一撃を身体で受け止め、母の腕を掴んで投げ飛ばす。

 地面を転がって逃げようとしているところへ、トドメの一撃を寸止めした。

 実戦ならば、これで終わりだ。マリンは負けを悟り、動きを止めた。


(確かに、美しい連撃だった。昔は本当に強かったんだろうな……)


 現役の時代ならば、一撃一撃が防御を食い破る必殺の攻撃だったのだろう。

 だが、マリンは冒険者を引退して久しい。間違いなく、衰えがあった。


「〈ウォーターフォール〉!」


 滝のように降り注いでくる水が行く手を塞ぐ。


「はっ!」


 ケイドはシンプルに斬り上げる。衝撃波が滝を登り、突破口を開く。

 無防備な父上の首へ、彼は切っ先を突きつけた。

 ……終わりだ。


「……父さん、母さん。二人が俺を鍛えてくれたから……自由にいろいろやらせてくれたから、俺はここまで強くなれたんだ。……ありがとうございます」


 ケイドは剣を収めて、両親へと一礼した。

 服に汚れの一つも付いていない。

 圧勝であった。


「……なんだ。心配して損したわね。とっくにわたしたちを飛び越えて、滅茶苦茶強くなってるじゃない」

「ああ。まさか、これほどとは。安心したよ。お前はもう、一人でも大丈夫だ」


 両親は複雑な表情だった。

 感慨深い一方で、そこには隠せない寂しさがある。

 ……でも、二人はもうケイドを止めない。

 巣立ちの時だ。


「……父さん。母さん。一つ、言っておきたいことがあるんだ」


 ウェーリア火山は極めて危険だ。これが最後になるかもしれない。

 今しかない、と彼は思った。


「俺は転生者なんだ。前世の記憶がある」

「……知っていたよ。赤子の頃から、お前は妙なことばかり言う子供だった」

「別人の記憶を持っているのは明らかだったわね」

「え?」


 ものすごく重大な告白をあっさり受け入れられて、ケイドは拍子抜けした。


「それでも、私達にとっては、お前は大切なただ一人の子供だ」

「だいたいね、あなたが居た世界でどうだったか知らないけれど、この世界には神様の子供だとか精霊の子供だとか、予言に運命を定められた子供だとか古代の魔術師の生まれ変わりだとか、しょっちゅう生まれてくるのよ? 珍しくもないわ」

「そ、そっか……」


(案外、珍しくもないのか。だったら、ラティアも……俺が転生者だってこと、素直に受け入れてくれるのかな)


 自分が隠し事をされて不愉快だったのだから、彼女への隠し事もしないのが道理だ。前回はタイミングを逃したが……エリクシルを取ってきたら、必ず明かす。

 彼は心を決めた。


「行ってくるよ」

「ああ。いい顔になったな、ケイド」

「引き際だけは見極めなさいよ。実力が付いてきて、調子に乗り出した時が一番危ないんだからね」

「うん。……ありがとう」


 彼はもう一度、小さく礼をして、自らの家族と別れた。

 目指すはウェーリア火山、〈エリクシル〉の眠る廃墟だ。

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