第30話 邪神ニグロム(上)
「ラティア! 俺の声が聞こえるか!」
触手で身体を作り出した邪神は、何も答えずに腕を振るった。
圧倒的なリーチから放たれる質量の暴力が地面をえぐる。噴煙のような砂煙が巻き上がり、攻撃を回避したはずのケイドを吹き飛ばした。
(……っ! 直撃を避けても、余波で……! なんて火力だ!)
邪神が反対側の腕を薙ぎ払う。小枝のように木々が折られた。
大きくかわしたケイドが、えぐれた地面に身を隠しながら足元を狙う。
触手の一部がほどけ、彼を鋭く迎撃した。
「ぐあっ!」
〈大精霊のお守り〉による防御を貫通して、服ごと腹の肉が抉られる。
鍛えた肉体が血に濡れた。
(そ、そうだ……! 原作の邪神は、近づくと触手で迎撃してくる……)
出血のせいで頭に登った血が抜けたか、彼は冷静さを取り戻す。
ゲームの中とはいえ、今より遥かに強い状態の邪神と、彼は三日間に渡って不眠不休の戦いを繰り広げたのだ。パターンは覚えている。
そして、彼は世界で唯一”レベル1クリア”に成功した男なのだ。
(触手の次は、魔法攻撃……!)
えぐれた地面を使い遮蔽に隠れ、回避を続ける。
間隙を縫って細かい攻撃を入れていく。
ワンミス即死の状況でも、何とか戦えている。
(これなら!)
その時、邪神の全身が強く輝き、腕の触手が砲身のごとくに伸びた。
「げ」
――弱体化アイテムを使わずラスボス戦に挑んだ時に放ってくる、即死必中攻撃の前兆だ。唯一の回避方法は、発射前に腕の”砲身”を壊すことだけ。
だが、今のケイドには遠距離攻撃手段がない。どう頑張っても届かない。
ならば、障害物に隠れる? いや、それも不可能だ。
障害物に隠れてゲーム中最高の防御魔法を展開しても、ド派手な光線が容赦なく全てを貫き即死させてくる。
(お、終わった……)
輝きを増す邪神の腕を、ケイドは見つめた。
半透明の黒い触手が溶岩のごとく真っ赤に輝き、エネルギーを集中させ……。
そして、砲身が弾け飛んだ。
「なんだ!?」
真っ赤に燃える花火が空を埋め尽くす。
ケイドは地面のえぐれに張り付き、超高温の炎をやり過ごした。
一瞬のうちに周囲の森が燃え始めている。立ち込めた白煙が真っ赤な炎に照らし出され、地獄のような山火事の風景を生み出した。
(あいつ、自分の力に耐えきれなかったのか……!?)
線切れた触手の腕が再生し、邪神が別の魔法を試みる。
だが、やはり途中で失敗していた。
「弱体化してるってのは……本当らしいな……!」
適性外のラティアに邪神を宿すことで弱体化させるクリフォードの策は、忌々しいことに完璧に機能していた。奴は魔法での遠距離攻撃ができない。
この状態の邪神なら、距離を取って魔法の集中砲火を浴びせればいつかは倒せるはずだ。無論、彼に選べる選択肢ではないが。
ケイドは接近を試みる。そのたび触手が彼を迎撃する。
二回の自爆で動きは鈍っていたが、まだ圧倒的な手数だ。
虹色の剣を振るってどれだけ触手を斬ろうと、迎撃の手は緩まない。
(くそっ……! チマチマ斬ってもしょうがない! やつの足元まで行って、足をまるごと斬ってやらないと……!)
強引に踏み込もうとした瞬間、剣の輝きが消えた。
バフがない。触手が迫る。迎撃の刃は弾かれ、彼は空を舞って地面を転がった。
「ぐ……! まだ……まだだ! ラティア、起きろ……!」
傷だらけの体で呼びかける。胴体の中央で眠る彼女は身じろぎ一つしない。
……じわじわと、彼女を黒色の瘴気が包んでいる。
まだ邪神の顕現は不完全だ。今も召喚は続いているのだろう。
召喚が完全になってしまう前に、どうにか彼女へ〈エリクシル〉を飲ませて止めなければいけない。失敗すれば、二度とラティアは帰ってこないだろう。
「くそっ……もう一度!」
彼は一連のバフを積み、ふたたび斬りかかっていく。
だが、いたずらに反撃で負傷を重ねるばかりだ。
(畜生っ! お前が迎撃してくるのは知ってるんだ! パターンも知ってるんだ! でも、体が追いつかない……主人公みたいな動きができない……!)
触手と触手の間をアクロバットにすり抜けることも、大攻撃に吹き飛ばされた勢いでジャンプ攻撃を繰り出すことも、”無敵フレーム”を使うこともできない。
力が足りない。主人公のライテルに転生していれば、あるいは原作ゲームのように鋭い動きで邪神を斬り倒せたかもしれないが。
「ハァッ、ハァッ……ああああああッ!」
悲痛な咆哮が、自らの血と汗を地面へ振り落とす。
鈍くなった動きで、なお彼は触手の波をかき分けて本体に取り付こうとする。
「ラティアああああああああッ!」
――わずかに、眠る少女が身じろぎする。
彼女は咳き込み、大量の黒い瘴気を吐いた。
その瘴気が邪神の右腕へと集まり……黒い炎を纏った腕が、ケイドを薙いだ。
(……逃げ場はない)
ならば、前。
ケイドは残る気合を、体力を、生まれ変わってから積んできた全ての鍛錬を、ラティアへの思いを剣に乗せて、全身全霊を賭けた一撃を放つ。
泥を跳ね上げ、命を燃やし、流星のごとき虹の剣閃が、黒炎と衝突し。
(足りない、か……)
鈍い衝突音が響き渡る。
黒い炎に飲まれたケイドが宙を舞い、糸の切れた人形のように地面へ落ちた。
- - -
「くくく。ようやく会えたのう」
ケイドは目を開いた。
まったくの暗闇が広がっている。瞼を閉じても開いても、見える景色はなにも変わらなかった。
全身が痛む。
「……死んだのか、俺は?」
「いいや、まだ、よ。もっとも、とうの昔に一度死んでおるがな」
暗闇の一点に、何かが居た。
新月の夜闇よりも、完全な暗闇よりも、更に暗い何者かが。
「儂に感謝してほしいものよな。二度目の人生は楽しいか、西田ケイ」
「何だと!?」
転生前の名前を知られている。それが意味することは。
「……まさか、お前が俺を転生させたのか!?」
「いかにも」
「誰だ!? 何のために!?」
「知れたことを聞く。わからんか、儂の正体が?」
話している相手が何者なのかを悟り、ケイドは息を呑んだ。
「……邪神……」
彼を包んだ黒い炎の瘴気だ。あれを通して話しかけているに違いない。
「そうだ。儂はニグロム、人間どもが邪神と呼ぶ存在である。そして貴様は、儂を現世に呼び戻すための依代というわけよ。くく、儂はこの日を待ちかねていたぞ」
不快な闇が、ケイドに纏わりついた。
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