第25話 闇堕ちフラグ〈恋人の死〉を折れ


「その……楽しかった、です。家の外に出て、こうやって冒険ができて」


 アイリスがぼそりと口を開いた。


「あなたは無茶ばっかりでハラハラさせられますけど。でも、それも冒険って感じがして、わたしはこういうのをずっと夢に見ていたから……」

「……君の病気が治るまで、俺は待つよ」

「いえ。治らないんです」


 彼女はそっと首を振る。


「子供の時から。孤児院に居た時からずっと、わたしは病気でした。具体的にどういう病気なのかは分からなかったんですが……お父様がついに突き止めたんです」

「どういう病気なんだ」

「魔壊病。体が魔力を拒絶してしまう病です。……不治の病、です。お父様からの手紙に、寿命はあと数年だろうと書かれていました」


(大精霊の泉で浮かび上がった模様は、魔壊病の症状だったのか? 待てよ、魔壊病……この病気、原作のサブイベントでもあったような)


 確かに不治の病だと言われていたが、手がないわけではない。

 極めて貴重な魔法の薬、万病を癒やす霊薬〈エリクシル〉ならば、魔壊病を治療することも可能だ。あまりに貴重すぎるせいで、現実的ではないのだが。


「治せるかもしれない。霊薬エリクシルなら」

「いえ。駄目なんです。……お父様はもう、わたしにエリクシルを飲ませてくれました。それでも駄目だったんです。原因は分かりませんが……たぶん、この前に浮かび上がった魔法陣と関係しているのでしょうね……」


(アイリスの養父クリフォードは大富豪だもんな。エリクシルを調達するのも不可能じゃない、か。それで駄目だと、俺に打てる手はもう……)


 うつむいた二人は、黙々と峠道を登る。


「……本当に不治の病なのか? まだ体力はあるみたいだけど」

「でも、お父様から……体に魔法陣が浮かび上がったら、魔壊病が末期の証拠だと。突然気を失うかもしれないから、出歩かないようにと……」

「……でも、あれは大精霊の泉のせいなんじゃないか?」

「いえ」


 アイリスは服をめくり、脇腹を見せた。

 うっすらとだが、黒色の魔法陣が浮かんでいる。


「最近、肌に魔法陣が出始めたんです。それをお父様に尋ねたら、末期の証拠だと……お父様も、仕事を切り上げてわたしの看病に来てくれるとか」

「末期、か……」


 それから、悲痛な沈黙が続いた。

 ケイドの脳裏で言葉にならない言葉が渦を巻き、悲しみとなって沈んでいく。


(……中に俺が入っても、ケイドが不運なのは変わらないってわけか……)


 原作のケイドは、恋人のラティアを失って闇落ちした。

 今ならばその気持ちが痛いほどわかる、と彼は思った。

 もしも悪に手を染めることで彼女が救えるのなら、彼はそうするだろう。

 そして……彼には原作知識がある。


(この世界には死人を蘇らせる手段がある。戦いで死んですぐなら、蘇生薬や光魔法で生き返らせることも出来る。でも、病気や寿命は駄目だ。そういう死に方をした人間を蘇らせられるとするなら……)


 ――闇属性の上級古代魔法、〈死者蘇生〉だろう。

 語られたわけではないが、おそらく原作のケイドはその魔法を求めていた。

 ……彼には闇属性の才能がある。アイリスの死体を保存し、闇属性を極めれば。

 あるいは、死者を蘇らせることもできるかもしれない。


(でも、闇魔法は普通の魔法じゃない。あれは本当に、悪人じゃなきゃ極められない。”良いことをすると成長する光魔法”と、”悪いことをすると成長する闇魔法”みたいなシステムだったし)


 原作の英雄物語には、選択肢次第で主人公ライテルが善か悪に傾いていくシステムがあった。善悪の傾き具合が、そのまま光と闇の魔法の上限になる。

 もしもこの世界でも似たような仕組みなら、最上級の闇魔法が使えるぐらい悪へと傾こうと思えば、歴史に大悪人として名を残す必要があるだろう。

 それこそ、人類に敵対する邪神教団を主導するぐらいの……。


(じょ、冗談じゃない。俺はそういう未来を拒絶するために頑張ったんだ。闇落ちフラグを折って、幸せに生きるために。毎日鍛えて、ゲオルギウスを倒して。なのに、そんな道を突き進んだら……)


 でも、アイリスは戻ってくる。

 ……そこには抗えない魅力がある。


(ま、待て。そもそも、アイリスはまだ死んでない。いくら不治の病だからって……エリクシルが効かなかったからって……まだ何か……)


 何も浮かばないまま、二人はウェーリアの街へと戻ってきた。


「……ごめんなさい」


 不意に、アイリスが立ち止まる。


「え?」

「本当は。不治の病だと、ずっと知っていたんです。病名が分からなかっただけで。……ごめんなさい、ケイド。わたしは……分かっていたのに……」

「い、いや、治る見込みがあったかもしれないし」

「エリクシルでも駄目だったんですよ。自分に未来がないことなんて、分かっていたんです。いつか二人で旅に出る未来なんて、初めから存在しないと分かっていたんです……でも、あなたを見ていたら……わ、わたしもって……」


 彼女は泣き崩れた。


「わたしは……わたしは、あなたを振り向かせようとしちゃいけないって、悲しい未来しかないって……分かってたのに、でも……ごめんなさい……わたしは悪い人なんです……ごめんなさい、わたし……!」

「……アイリス。でも、こうして教えてくれたじゃないか」


 泣き腫らしている彼女の肩を抱く。

 涙が土に落ちて、ぽつぽつと跡を作った。


(くそ、何か手はないのか? 何か俺が見落としていることは? 何か……役に立つ原作知識は? 何か! 誰か! 何とかしてくれ! くそっ!)


 ……遠くの空で夕日が沈んでいく。

 何かしなきゃいけない焦りばかりが募る一方で、ケイドの理性は”何をしても無駄だ”という現実を突きつけてきた。


「……今日は帰ろう、アイリス……」


 その前にもうひとつ、と彼女は震える声で呟いた。


「もうひとつ、言っていないことが……」

「……そうか」


 ほんの少しだけ、ケイドは不愉快な気分になった。

 まだ恋人同士にはなっていないとはいえ、親密な間柄だ。向こうから間接的な告白だってしてきた。なのに、隠し事がいくつもある。

 理解はできる。こんなことを言い出すのは難しいだろう。

 だとしても、もっと早くに言ってほしかった。それが正直な感想だった。


(いや、俺も……重要なことを隠してるのは同じじゃないか)


 自分が転生者だと、彼女にまだ告げていない。

 隠すに足る理由があるとはいえ、本当なら彼女に明かしておくべきだ。


(他人のことを責められた身じゃない、な……)


「……ごめんなさい、ケイド」

「いいんだ。で、言ってないことってのは?」

「わたしがアイリスっていう名前になったのは、お父様の養子になった時なんです……でも、あまり馴染めなくて……メイドには元の名前で呼んでもらっていて、その……ご、ごめんなさい。本当の名前で呼んでほしい、なんて、今言いだすことじゃないですよね……」

「確かにな」


 ふう、と彼は息を吐いた。

 ずっと思っていても言えなかったのだろうが、彼女が不治の病で死にかけていることに比べればどうでもいい内容だ。

 この空気で、本当の名前で呼んでくれ、と言われても困ってしまう。


(やっぱりこいつ、根本的なとこが図太いんじゃないか? ……いや、でも、死にかけてるんなら言いたいことは全部言いたくなるか、そりゃ……)


「で、本当の名前ってのは?」

「ラティア」


 彼女は言った。


「生みの親から授かった名前は、ラティアと言います」


 ……ケイドの頭は真っ白になった。


(嘘だろ?)


 原作から離れたはずだ。必死に動いて、両親をウェーリアに引っ越させた。

 折ったはずだ。そのフラグは。

 ”ケイドの恋人のラティアが死ぬ”という闇落ちフラグは。


「……ケイド?」

「すまん。ラティア。今は余裕がない。マジで余裕がない」

「……ごめんなさい、ケイド。悪いのはわたしですから……」


 激烈な拒絶反応を浮かべるケイドを見て、アイリスは自分を責めた。


(どうして。原作から離れるために、必死で訓練したんだぞ。ゲオルギウスまで殺したんだぞ。死ぬような思いで格上を倒したんだぞ! どうして!)


 まさか、原作のケイドもこの街でラティアと出会ったのか?

 必死にあがいてずらしたはずのルートは、同じところに繋がっていたのか?


「……終わりにしましょう。ここで終われば、まだ傷は浅いですから……」


(俺は……俺はもしかして、細部が違うだけで、まだ原作通りのルートに居るんじゃないか? 何も変えられてないんじゃないか?)


 底知れない恐怖が浮かび上がってきた。

 どれだけ足掻こうと、ケイドは深き闇に沈む運命なのか。

 いずれ両親が死に、恋人が死に、蘇生魔法を求めて闇へ落ちるのか。


「ごめんなさい、ケイド。悪いのはわたしです。……ちゃんと恨んでください。わたしのこと、隠し事ばっかりの悪人のこと。死んでも心が傷まないぐらい」


(どうすればいいんだ。どうなってるんだよ。そもそも原作の細かいとこなんかうろ覚えだし、ケイドの設定なんて全然明かされてなかったから分からねえよ! ああああああ、くそっ! 嫌だ! こいつが死ぬなんて嫌だ!)


「ああああああああっ!」


 ケイドは剣を抜き、苛立ちに任せて地面を斬った。

 がつんと石に当たって泊まり、手がじんじんと痺れる。

 その感触で、ようやく彼は我に返った。


「……アイリス?」


 ショック状態から脱した時には、もうアイリスの姿はどこにもなかった。

 頭が真っ白になって、何も聞こえていなかった。

 それでも、何が起きたのかケイドは察した。彼女のことはよく知っている。

 自分から離れたのだろう。ここで関係を終わりにするために。

 ケイドの傷を、少しでも浅くするために。


「冗談じゃない」


 孤独に死んでいくアイリスを置いて、一人で旅に出ろとでも言うのか?

 そんな未来は認めない。

 絶対に認めない。変えてやる。

 ケイドは決意した。


「俺は、確かに一度闇落ちフラグを折ったはずなんだ。一回やれたんだから、またやれるだろ。絶対にやれるだろ、畜生、やるしかねえぞ俺!」


 理不尽への怒りに任せ、彼は走り出した。

 何が何でも、この闇落ちフラグだって折ってみせる。


「絶対に! ハッピーエンドへたどり着いてやるからな!」


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