第19話 〈大精霊の泉〉


 翌朝。

 太陽の昇るころに、ケイドは山へ入って隠し通路の出口へ向かった。

 木からこぼれる朝日を受けて、深窓の佳人アイリスが佇んでいる。

 まるで絵画の一場面だ。思わず息を呑んでしまうほど美しい。


「ま、待った……?」

「いえ。今来たばかりです」


(って、デートじゃないんだから)


 ケイドは肩をぐるぐる回して頭をしゃっきりさせた。


「じゃ、行こうか」

「はい」


 二人は山を下り、河原を伝って上流へ向かう。

 朝露の輝くすがすがしい一日だ。


「……道はかなり険しいんだけど、大丈夫だよね?」

「頑張ってみます」


 行く手に小さな滝が見える。崖にはケイドの固定したロープが垂れていた。

 アイリスを先に登らせ、滑り落ちた時のためにケイドが下で待つ。


(アイリス、ドレス姿だけど……大丈夫なのか?)


 この世界の高級生地は、魔法のおかげで性能が高い。

 ひらひらしたドレスでも十分に機能的だ。登山だって出来る。


「〈ブラスト〉」


 威力を加減した風が下から上へと吹き上がった。

 彼女は風の力でひょいひょいと崖を登っていく。

 心配はいらなかったようだ。


「ふう……! こんな崖でも、やってみると登れるものですね!」


 アイリスは楽しそうだ。元来のアウトドア気質なのだろう。

 ケイドも後ろにつき、ロープを辿って滝を遡った。


 そんな調子で、川沿いをひたすら遡っていく。

 三つ目の小滝を超えたところで、行く手に大きな湖が広がった。


「おお、ここが……!」

「〈大精霊の湖〉ですね!」


 晩秋にも関わらず、季節を無視して色鮮やかな花々が生い茂っていた。

 ときおり蛍のような光が瞬いては消えていく。

 

「すっげー。ファンタジーだ……」

「綺麗ですね……!」


 花畑に座り、持ってきた二人分の昼食を取り出す。

 パンに肉と野菜を挟んだサンドイッチだ。


「これは……どう食べればいいのですか?」


 食器が何もないので、お嬢様のアイリスが戸惑っている。

 ケイドが素手で食べてみせると、おずおず真似をして遠慮がちにかじった。


「……おいしい! こんなにおいしいもの、初めて食べたかもしれません……!」

「こういう気楽な食事も悪くないだろ?」

「はい!」


 のんびり昼食を終えてから、ケイドたちは湖の周囲をぐるりと回る。

 時々〈トレジャーサーチ〉の魔法を使った。

 両手の中に小さな光が現れ、そのまま消えていく。


「ここも反応なしか」


 近くに”宝”がある時は、そっちの方向に光が伸びていくはずだ。


「なかなか見つからないな……」

「でも、楽しいですよ?」


 アイリスはにこりと笑った。


「山の中で宝探し、なんて。夢が大きくていいですよね」

「信じてないな? 本当に宝があるはずなんだって!」

「ふふ……」


 ケイドは必死に探し回った。

 湖の回りを一周し、しらみつぶしに〈トレジャーサーチ〉を乱打する。


(駄目か。具体的な隠し場所なんて覚えてないんだよなあ……だいたい、俺が西田ケイだったの何年前だよって話だし)


 周囲を見回したケイドは、湖の中央に小島があることに気がついた。


「あれか!?」

「え? まさか、あの島まで泳いで行くつもりですか?」

「ああ。そうする」

「さ、さすがにそれは。水中に魔物がいたら大変ですよ?」

「大丈夫じゃないか? ここ、水が綺麗だし。何もいないっぽいぞ」


 ケイドはおもむろに上着を脱いだ。


「わっ」


 アイリスが赤面して目を逸らす。

 顔を両手で覆っていた。

 ……指と指の間には、微妙な隙間が開いている。


(そ、そうか……アイリスが見てる前で下も脱ぐのか……)


 少し勇気が必要だが、着衣で水泳するより裸を見られるほうがマシだ。

 彼は下着一丁になり、透き通った湖へと飛び込んだ。

 そこまで冷たくもない、心地よい温度だ。温泉の影響だろう。

 平泳ぎで小島へと上陸する。


「〈トレジャーサーチ〉」


 両手の間に生まれた光が、島の一点を指している。

 もしかして、ここに宝箱が埋まっているのだろうか?


「よしっ!」


 位置を特定して、ケイドは地面を掘り始めた。

 ……のだが、土が硬すぎて素手ではいかんともしがたい。


「スコップ持ってくればよかったな……」


 犬みたいに頑張って穴を掘っていると、おーい、とアイリスが手を振ってきた。

 畳まれた服がそばに置かれている。


(……!)


 ケイドは思わず目を凝らした。残念ながら、煩悩は百メートル近い物理的な距離に勝てず、下着姿だな、ということしか分からない。


「何か持っていきましょうかー!」

「そ……そうだな、俺の剣を持ってきてくれー!」


 ざぼん、と彼女が水に飛び込んだ。

 アイリスが泳いで……泳いで? いや、途中からすっかり溺れている。


「だ、大丈夫か!?」


 ケイドは慌てて水に入り、溺れかけた彼女を助ける。

 水を飲んでしまっているのに、ケイドの剣はまだしっかりと握りしめていた。


「ぶはっ! す、すいません……泳ぐのがこんなに難しいなんて……」

「脂肪がついてないと、あんまり水に浮かないしなあ……」


 ……下着姿のアイリスがすぐそばにいることを意識して、ケイドの泳ぎ方がぎこちなくなった。

 支えている背中の感触が指先をくすぐる。

 二人は湖の中で静止して、お互いを見つめ合った。


 周囲で精霊の光が明滅し、美しい水面をロマンチックに照らす。

 言葉が無くとも、互いの気持ちは一つだった。


(な、なんかアプローチしてみるか? 早すぎるか? でも、いい雰囲気だぞ? どうする俺!)


 ドキドキしながら、彼はアイリスの瞳をじっと見つめる。


「……ん?」


 アイリスの青白い肌に、奇妙な紋様が浮かび上がっていた。

 限りなく黒に近い紫色の魔法陣が、顔面から下腹部にかけて描かれている。


「ア、アイリス? なんなんだ、それ?」

「うわっ!? なんなんですか!? へ、変な感じがします!」


 ケイドは彼女を抱えて全力で泳ぎ、ひとまず小島に上陸した。

 〈ヒール〉を使ってみたが、特に何も起こらない。傷ではないようだ。

 湖から出た瞬間から、徐々に魔法陣は薄れていき、すぐに消えた。


「今のは……」

「な、なんなんでしょう? この湖のせいでしょうか?」


 半分は湖が原因だろう、とケイドは思った。

 ……もう半分は、例の”薬”のせいじゃないか?

 クリフォードの飲ませている薬が、彼女に妙な魔法を掛けているんじゃないか?


(この湖は、精霊の力が強い。要するに、魔力が豊富ってことだよな。それで、隠されてる魔法陣が反応しちゃって明らかになったとか……?)


「アイリス、体は大丈夫なのか?」

「はい、特に何も……」


 彼女の体調が悪くなっている様子はない。

 今すぐに害のあるものではなさそうだ。


(帰りにもう一度湖を泳ぐから、また魔法陣が浮かび上がるはずだ。図形をメモして、ラナさんに送ってみよう。調べてもらえば、何か分かるかも)


 実際のところ、あの模様が悪いものだとは限らない。

 病弱な彼女を魔法で補助しているだけ、という可能性だってある。

 ……でも、警戒しておくにこしたことはないはずだ。


(いい感じだったのに、そんなムードじゃなくなっちゃったな……宝探しに戻るか。えっと、〈フレイム・エレメンタル〉に……)


 ケイドは〈精霊の剣〉に四つのバフを乗せた。

 おー、とアイリスが感嘆する。


「四色ビルド、でしたっけ? 内緒なんですよね?」

「ああ。俺だけが使ってる秘密の技術だ」


 オーガの皮膚ですら貫く剣だ。土はサクサク斬れる。

 斬りすぎて宝を傷つけないように注意しながら、ブロック状に地面を切り出して深くへ掘り進める。そして、ついに埋まった何かを発見した。


「宝箱だ!」

「ほ、ほんとにお宝があったんですね……!」


 金属の箱を開けば、中には六角形のメダリオンが入っていた。

 美しい光沢を放つ金属製の徽章だ。六つの宝石が埋め込まれている。

 中央には蝶のような羽根を持つ美人の彫刻が刻まれていた。〈大精霊のお守り〉と言うからには、彼女が大精霊なのだろう。


「きれいな人ですね」

「君のほうが……」


 うっかりギザなセリフを言いかけて、ケイドは恥ずかしそうに口を閉じる。


「……ときどき、ケイドって格好よくなりますよね」

「ときどき?」

「ふふっ。そういうところですよ? ケイドったら……あはは」


 アイリスがおかしそうに笑うので、彼はちょっとへそを曲げた。

 大精霊のお守りをチェーンで首から提げ、バフを用意する。


「〈ファイア・エレメンタル〉」


 バフの対象を剣から自分へと変えている。

 握った精霊の剣は普段のように炎を纏っているが、だいぶ勢いが弱い。

 ケイドを通じて間接的なバフが掛かっている状態だから、剣に直接使うよりは弱くなるのだろう。ゲームでは存在しなかった仕様だ。


(でも、こうすれば大精霊のお守りが効くはず)


 首から提げたペンダントが赤い光を放っている。

 ケイドは体を薄い膜に包まれているかのような感覚を覚えた。

 見た目には変化がない。


「宝石が光ってる? ペンダントは六角形で、宝石も六つ……」

「もしかして、六つの属性に対応してるんでしょうか?」

「〈ウォーター・エレメンタル〉。お、二つ目が光った!」


 赤く輝く宝石と反対側の角で、宝石が青く輝く。

 精霊の剣も、まだらになった青と赤の二色で淡く輝いていた。


「このお守りって、何か効果はあるんでしょうか?」

「……試してみるか。アイリス、俺の剣を持ってくれ」


 ケイドが精霊の剣を地面に突き刺すと、すぐに輝きは消えた。

 下着姿のアイリスが重そうに剣を持ち上げる。


「〈ウィンド・エレメンタル〉、〈アース・エレメンタル〉……」


 四つの宝石が輝いた。特に不思議なことは起こらない。


「さて、アイリス。俺の腕をちょっとだけ斬ってみてくれ」

「え!? 何でですか!?」

「何かに包まれてるような感触がある。たぶん、不可視の防御魔法だと思うんだ」


(ゲームだと、属性値に応じて防御力をちょっと上げる効果だったし)


 効果を知っているケイドはともかく、アイリスからしてみれば半裸の男に自分を斬れと言われているわけで、乗り気はしないようだった。


「大丈夫だって。俺は〈ヒール〉も使えるし、切り傷ぐらいならすぐ治る」

「わ、わかりました。いきます! えい!」


 弱々しい攻撃が腕に当たり、かきんと跳ね返る。

 痛みはなかった。不可視の膜で止まったようだ。


「おお……!」


 ゲーム中と同じく、属性バフに応じた防御力上昇効果があるようだ。

 圧倒的な大火力の実現を優先したせいで防御面が脆い”ガラスの大砲”なケイドにとって、一番の弱点を補強する装備である。


「装備は整ったし、あとは魔物を狩って経験を積めば! 不自由なく安全に旅できるようになるし……また闇落ちフラグを折る必要があっても平気だ……!」

「旅を……」


 アイリスが剣を置き、意を決してケイドのそばに近寄った。


「その。もし迷惑でなければ、なのですが」


 間近に迫ってきた美少女を意識して、ケイドの心臓が跳ねる。

 少し身長差があるせいで、彼女は上目遣いだ。


(うわ……! か、かわいい……!)


「旅に出る時は、私も連れて行ってくれませんか?」


 ケイドの頬が緩んだ。

 かつて断った遠回しな告白だ。


「ああ。もちろん。一緒に行こう、アイリス」


 見つめ合う二人の距離は、徐々に縮まっていき……。

 ……唇の触れ合う寸前で、ざばんと湖から半魚人の魔物が飛び出してきた。


「だあっ! くそっ! こんな時に!」

「空気ぐらい読めないのですか!? 許せませんね……!」


 魔物を瞬殺した後で、二人は湖を泳いで岸に戻った。

 ドキドキしながら意識しあっているだけで、特に何をするでもなく帰路につく。

 日帰りが間に合わずに途中で野営をしたが、何も起こらなかった。


 ……十二歳のカップルである。ケイドの精神もけっこう体に影響されている。

 年齢を思えばマセすぎているぐらいの、かわいらしい恋愛模様であった。

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