第18話 下準備
アイテール王国の首都、王都アイテール。
その裏路地を、ローブに身を隠した一人の女性が進んでいた。
彼女はふと懐に手を入れて、そこにある小瓶を確かめる。
「……これで、解析に失敗したのは三人目……」
アイリスの薬の正体を探るべく、冒険者ラナは知り合いのツテで王都の魔法使いを尋ねている。
かなり優秀な魔法使いたちが、皆揃って”検討もつかない”と匙を投げた。
少なくとも、この小瓶に入っているのは薬などではない。
得体の知れない、不気味な何かだ。
「クリフォードは何を企んでいる……?」
ラナはアイリスの父親の調査も並行して行っていた。
クリフォード・ダイムという実業家は世界的な名士だ。まとまった規模の手工業で効率よく製品を大量生産する手法を編み出して財を成した。
自らの富に頓着しない人物だ、と言われている。
飢饉とあれば食料を放出し、金に困っている貴族が居れば低金利で金を貸す。
孤児院を始めとする慈善事業も多く手掛けていた。
……素晴らしい人物、のように見える。
だが、ラナの知り合いのSランク冒険者いわく、”素晴らしすぎる”のだという。
彼の事業は嫌がらせスレスレの薄利多売で、規模に比べてあまり利益は出ていない。金を貸したり慈善事業をやったりするほどの資金は、絶対にないはずだ、と。
クリフォードには出処不明の資金がある。怪しい。
……知り合いのSランク冒険者は、ラナと同じく、クリフォードの命令で邸宅に住むお嬢様の護衛をやったことがあるのだという。
アイリス、という名前ではない。屋敷の場所はウェーリアでもない。
世界のまったく違う場所に存在する、アイリスとはまったく似ていない少女だ。アイリスとの共通点は、病弱で”薬”を飲まされていること。
偶然の一致なのか。あるいは何か理由があるのか。
「うちが面倒見た子はね。実の娘じゃなくて、養子だったよ」
Sランク冒険者は証言した。
「こっそり教えてくれた。クリフォードの運営する孤児院から引き取られたんだって。アイリスちゃんも、もしかしたら孤児院の出身かもよ?」
その可能性はある、とラナは思った。
……アイリスは、あまり小さな頃のことを覚えていなかった。
故郷の話もしていない。どこの孤児院の出身なのか特定するのは難しい。
だが、彼女の持っていた〈竜籠の青い鳥〉がヒントになった。
鳥籠の外に出た青い鳥が死ぬ展開になるのは、一人の作家が書いた改変バージョンだ。出回ったのは王都だけ。
アイリスの故郷の孤児院は、ここ王都アイテールにあるはずだ。
「ああ、あと一つ聞きたいことが。ラティア、という子に聞き覚えは?」
「いや」
「そうですか」
Sランク冒険者から聞けた情報は、そこまでだった。
あとは自分の足で調べるしかない。
「近いうちに成果が出るといいのですが」
聞き込みの成果は出ていない。
まだしばらくケイドへ手紙を送ることはできなさそうだった。
- - -
ケイド・シニアスの闇落ちフラグは三つ。
両親の死。恋人の死。邪神教団との接触。
一つ目のフラグを折って田舎に引っ越したことで、必然的に他のフラグは回避されている。少なくとも、ゲームの史実通りに進むことはないはずだ。
なので、今のケイドはけっこうのんびりしている。
今日の訓練を終えたあと、彼はぼうっとアイリスの事を考えていた。
……失踪事件のあと、ケイドとアイリスは一回も会えていない。
家に尋ねてみたが、ピリついた様子のメイドに追い返された。
(こっぴどく怒られたんだろうなあ)
ケイドもけっこう怒られた。待っているよう言われたのを無視して、危険な山へ入り込んだのだから、当然といえば当然だ。
ちなみに、オーガを倒したことはアイリスと彼だけの秘密にしている。
(あの切り口を見られれば、尋常じゃない威力の攻撃だったことがすぐわかる。四色ビルドに繋がる情報は、まだ隠しておかないとな……)
加えて、彼女が父親のクリフォードから外出許可を貰うためには、無断で外出したけど危険はありませんでした、ということにしたほうが都合がいい。
その二つの理由から、オーガの一件は無かったことになっている。
(しかし、勿体ないよなあ。アイリスには魔法の才能があるし、彼女は外に出て旅をしたがってるのに。体調がよくなっても、閉じ込められたままなんて)
彼は温泉に入って汗を流したあと、野営の道具を持って川の上流へ向かう。
〈大精霊の泉〉への道中にあらかじめ荷物を送っておくことで、少しでも負担を軽くするための工夫だ。
「おっと、魔物だ」
河原を歩いているケイドを、魔狼ダイアウルフが取り囲む。
精霊の剣を抜き、炎属性バフだけを掛けた。
あの狼たちは、すばしっこいかわりに防御力は低い。ただの剣で斬るだけでも致命傷が入るので、火力特化の四色ビルドは大して意味がない相手だ。
狼たちはじりじりと隙を伺っている。
距離を詰めようとしても、狼らしい身のこなしですぐ逃げられてしまった。
ケイドとは相性が悪い。
「めんどくさいな……」
ケイドは川の飛び石を飛び渡る。
そして、川のど真ん中で狼を待ち構えた。
数十分ほど睨み合ったすえに、魔物は諦めて去っていく。
(アイリスがいればな。遠距離攻撃ですぐ決着がつくのに)
彼は野営道具を抱えたまま必死に崖を登って上流へ向かい、ちょうどいいポイントに設営した。
こうしておけば、探索本番の時に設営で余計な体力を使わずに済む。
「よしっと。だいたい準備は終わったな」
あとは早朝に家を出て〈大精霊の泉〉へ向かうだけだ。
既に親から外で野宿する許可は貰っている。
泉に眠る強力なアイテム〈大精霊のお守り〉が手に入る日も近い。
彼はワクワクしながら帰路についた。
(泉まで、アイリスと一緒に行けたらなあ……)
ぼんやりと彼女の姿を思い浮かべる。
今にも消えてしまいそうな、儚げな病弱の美少女。
……あんなにかわいい女の子の部屋で、彼らは同じベッドに座り、手をつないで魔法を教えていたりしたのだ。
今更になって、ケイドはちょっとドキドキしていた。
(あれ? やっぱ俺、アイリスのこと好きなの?)
考えれば考えるほど、気持ちははっきりしてくる。
(いや、でも、上手くいくかどうか分からないし。一緒に戦ったりとか、そういう状況になったらいきなりギスギスするかもしれないし。だいたい、会えないし)
無理やり邸宅に突入するわけにもいかない。
……のだが、ケイドはついアイリスの邸宅の前に来てしまった。
窓は閉まっている。
「駄目か……」
彼はその場に座り込み、しばらくじっと窓を見つめた。
(紙飛行機とかでメッセージを……っていや、この世界の紙はそんな薄くないし。なら、矢文? いやアイリスの家に矢を打ち込むのはちょっと)
未練がましく座っていると、ふいに窓が開いた。
アイリスが笑顔で手を振る。ケイドも手を振り返す。
彼女は窓際で筆を滑らせ、一枚の手紙を空に放り投げた。
「えっ!? それ届くのか!?」
回転しながら飛ぶ手紙が、ふわりと風に乗ってケイドの元に届いた。
「あ、風魔法か……上手いなあ……」
封のされていない手紙を読む。
”ケイド、元気ですか? わたしは最近ずっと調子がよくて、屋内をどたどた走り回ってはメイドさんに怒られています。でも、埃が舞い上がってしまうのはわたしではなくてメイドさんの責任だと思いませんか?
あなたが川の上流を目指している、と聞きました。大精霊の泉といえば、精霊の力がきわめて強い場所ですよね。もしかしたら、無属性のあなたも何かの属性を手にできるかもしれませんね。
もし迷惑でなければ、なのですが、わたしも着いて行っていいですか? あの通路はまだバレていないので、早朝ならこっそり出れそうです。
時間は、太陽の昇る頃でどうでしょうか。ああ、ちゃんと置き手紙を残しておくので、今度は脱走騒ぎにはならないと思います。きっと。
寒くなってきましたから、温かくしてお過ごしくださいね”
ニコニコ……を通り過ぎてニヤニヤ顔のケイドは、腕で大きく丸を作った。
二人は待ち合わせの約束を交わし、名残惜しそうに背を向ける。
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