第11話 竜籠の青い鳥


「さて、アイリスの家は……」


 ケイドは山の斜面を上がり、立ち並ぶ別荘から目当ての建物を探す。


「……うわ」


 聞いていた場所に、大きな邸宅が建っている。

 並の貴族が使う別荘よりもずっと豪華で大きい。相当な金を持っている証拠だ。


(厄介事にならなきゃいいんだけど)


 ケイドは門扉のベルを叩いた。

 メイドに不信の目を向けられながら、応接間へと案内される。

 高そうな壺や、美化された中年男性の絵画が掛かっている。

 おそらくこれがアイリスの父なのだろう。

 格好からすると、一般市民の中の上流階級に見える。銀行家や商人だろう。


「では、お嬢様を呼んでまいりますので。少々お待ちを」

「お嬢様、か……」


 数分後、不機嫌な顔のメイドが戻ってくる。


「お嬢様の体調が優れないようですので……寝室まで呼ぶようにと申し付けられました。言っておきますが、もし不埒な行為に出ようものなら、例え相手が貴族の長男であろうと容赦はしませんので。命に変えても、お嬢様は守ります」

「心配しなくても、そういう目じゃ見てないよ」


 赤絨毯の張られた通路を進み、二階の角部屋へ入る。

 レースの天幕で覆われたベッドの向こうに、小さな影が見えた。


「こほっ……来てくれたんですね」

「大丈夫なのか? 体調が悪いなら、日を改めて来るけど」

「いえ……今日がいいんです。お願いします……」


 寝巻き姿のアイリスが、天幕を除けてベッドの端に腰掛ける。


「さて、どこから始めればいい? 魔法は使えるのか?」

「少しだけですが」


 窓からふと風が吹き込み、アイリスの白い長髪を揺らした。

 風属性だ。水属性魔法の〈バイタリティ〉を覚えるには、少し手間が掛かる。


「よし。魔力の操作は出来てるんだな。じゃあ、魔法を体で覚えていこう」


 メイドの不機嫌な視線を背後に感じながら、ケイドはアイリスの隣に座った。


「手を繋いで。今から俺が〈バイタリティ〉の魔法を使うから、その感覚をよく意識するんだ。いいね?」

「は、はい……」


 アイリスの色白い肌に、わずかな赤みが差した。


(……世間知らずの病弱なお嬢様か。惚れられたらちょっと面倒かもな……)


 一方のケイドは特にドキドキしていなかった。

 完全にストライクゾーンから外れた大ボールなのだ。


「いくよ。〈バイタリティ〉」


 生命力を増幅する魔法が、繋いだ手を伝ってアイリスに力を与える。

 顔の赤みが強くなった。生命力が増幅されて、血の気が戻ってきたのだろう。


「どう?」

「え、ええと……その……力強くて、優しい手ですね……」


 魔法のことなんか頭から吹き飛んでしまっている様子だった。


「……参ったな。まあ、ひとまず体は楽になったんじゃないか?」

「あ、は、はい! すごく呼吸がしやすくて……でも、まだちょっと胸が苦しいです……ドキドキして……」


 うっとりした瞳で、アイリスがケイドを見つめた。


(……こ、こんなベタ惚れするもんなの? ちょっと触っただけで?)


 ……前世でさんざん過激なコンテンツに触れたケイドと違い、外の世界を知らずに育ってきたアイリスはまったくもって純真無垢である。

 彼女には男というものに対する耐性がまるでなかった。


 今にも包丁か何かを取り出しそうな勢いのメイドを努めて無視しつつ、ケイドはしばらく魔法を教えた。

 あまり成果はなかったが、とりあえずアイリスの体調はよくなったようだ。


「あの、ケイド様……明日からもお願いしていいですか……?」

「様はいらない。君が自分で〈バイタリティ〉を覚えるまでは、なんとか時間を作って協力するよ」


 他人に魔法を教えるのは、ケイドにとっても勉強になる体験だった。

 何となく、で理解していた魔法の感覚が整理されていく。


「はい……! 是非、お願いします……ケイド!」

「うん。じゃあ、また明日」



- - -



 それからしばらく、ケイドはアイリスの邸宅に通った。

 魔法の習得はあまり進まなかったが、体調は目に見えてよくなっていく。

 この調子ならば、毎日一人で出歩けるぐらい健康になれるだろう。


「ところで」


 数十分ほど〈バイタリティ〉の練習をしたあと、ケイドは切り出した。


「君の両親は、俺に魔法を教わる許可を出してるの?」

「……」


 アイリスは少し目を伏せた。


「父は、世界中で事業を営む実業家なのです。仕事が忙しく、なかなか私のところへ来ることも出来ず……」

「そ、そうなんだ」


(あ、やべ。問題になると困るから聞いときたかったけど、デリケートな話題だったか……?)


 何となく一筋縄ではいかないものを感じて、ケイドは話題を変えようとした。

 部屋を見回して、何か話のネタがないか探す。


「あ。その本」


 ベッドのサイドテーブルに、ぼろぼろになった一冊の絵本があった。

 表紙には鳥籠をくわえた竜が描かれている。


「竜籠の青い鳥、だよな? 俺も読んでもらった覚えがあるよ」

「知ってるんですか?」


 アイリスは本を大事そうに抱え込んだ。

 竜籠の青い鳥。童話の絵本だ。

 大怪我をした青い鳥が、ある竜に助けてもらうところから物語が始まる。


「ケイド。あの青い鳥は、籠の中にいるのが幸せだったと思いますか?」

「え、えーっと……細かい内容は覚えてないんだよな」

「……でしたら」


 彼女は意を決した様子で口を開いた。


「その、一緒に読みませんか……?」

「? いいけど」


 ケイドは何も意識せずにちょっと距離を詰め、一緒に絵本を覗き込んだ。

 大怪我をした青い鳥は言う。ああ、自分はもう二度と空を飛べないのか?

 ならば、と竜が言う。我がお前を再び空に返してやろう、と。

 そうして、竜は青い鳥を鳥籠に入れた。


(……鳥籠、ね……)


 病弱で外出できず、たった一人のメイドとウェーリアで暮らしてきたアイリスにとっては、たしかに感情移入してしまう内容かもしれない、とケイドは思った。


 鳥籠をくわえた竜は、空を飛んで世界を回る。

 天高くそびえる山を、夕日に美しく照らされた雲海を、一面に広がるエメラルドの海の上を。

 竜は言う。幸せだろう、と。

 すばらしい景色だ。お前の翼では、決してたどり着けない景色だ、と。

 怪我をしていなければ、何一つとして見ることはできなかった、と。

 青い鳥は答えない。


 翌日、鳥籠の中から青い鳥は消えていた。

 必死に探し回った竜は、魔物に襲われて瀕死の鳥を見つけ出す。

 なぜだ。なぜ、わが翼の下から離れた。

 その怪我をした翼では、空を飛ぶことすら叶わないというのに。


 それでも、と青い鳥は答える。

 鳥籠の中から眺める景色に何の意味がある?

 わたしの幸せは、そこにはない。

 たとえ地を這いずろうと、翼で飛べなくとも、美しいものはいくらでもある。

 鳥籠の中では絶対に手に入らないものがある。


 青い鳥は一輪の花を竜に渡し、息絶える。

 ……この世界には、今も空の鳥籠をくわえて旅をする竜がいる。

 年老いて、もう天高く飛ぶことはなく、それでも幸せに生きている。

 その竜は、魔法のかけられた一輪の花を決して手放さないという。


 アイリスは静かに絵本を閉じた。


「……私は、青い鳥の気持ちがよく分かります」


 彼女は言った。


「いつか、自らの足で世界を見たい。たとえ危険があるとしても……この鳥籠の中からでは見えないものが、きっとある」

「俺の家にあった本と、結末が違うな」


 ケイドは呟いた。


「愚かにも鳥籠から飛び出した青い鳥は、竜に諭され、それから二度と鳥籠から出なかった。青い鳥は幸せな顔で死んでいった、みたいな結末だった」

「……そうなのですか?」

「貴族社会が窮屈に感じても、外に出たって良いことがないぞ、みたいな教訓なんだろうな。だから別に好きでもなかったし、内容は忘れてたよ」


 ケイドはアイリスの絵本を手に取った。


「俺も、青い鳥の気持ちはよくわかる。狭い世界のお山の大将で終わるより、広い世界で自分の腕がどこまで通じるのか試したい。たとえ一番になれなくても」

「ケイド……」


 アイリスは、そっと彼に身を寄せた。


「……いつか。もし私の体調が良くなるようなことがあれば。その時は、一緒に旅をしませんか?」

「え……っと」


 どう考えても、それは遠回しな告白だった。


「い、いや。俺は危険な場所を回る旅をするつもりだからさ。魔物だらけの未開の地とか。だから、君を連れていくわけにはいかないよ」

「そうですか……」


 アイリスは悲しげな笑顔で頷いた。


(……こ、心が痛む。でも、俺は……正直、アイリスはタイプじゃないし気質が合わないし、好きかって言われると……うーん)


 自分と同じく病弱な少女を救うためだったとはいえ、心を弄んでしまったような気がして、ケイドは罪悪感を抱えた。

 これが地球なら、とりあえず付き合ってみて駄目そうなら別れればいいだけの話だが……貴族であるケイドがそんなことをすれば、問題になるかもしれない。

 それに、アイリスはとても傷つくだろう。


(別に、嫌いじゃないけどさ……”断ったらかわいそうだから”なんて同情心から女の子と付き合うなんて、断るよりもずっと最低だろ……)


 気まずくなったケイドは、そこで練習を切り上げて家に帰った。


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