第10話 温泉郷ウェーリア
王都から西街道を馬車で数日ほど進めば、やがて街道から舗装が剥がれ、道幅が狭くなる。そうなってから更に西へと数日ほど進めば、やがて保養地として名高いウェーリアへとたどり着く。
英雄物語で主な舞台になっている〈アイテール王国〉の西端であり、ゲームでは特に大きな事件が起こらない平和な街だ。
そんな街の中央に、小ぶりな館があった。
ケイドたちシニアス一家の住む領主館だ。
元々は王都から派遣されてきた代官が住む館であり、王都にあったシニアス家の屋敷よりも狭い。なんなら、街中にある実業家の屋敷よりも小さいぐらいだ。
「たあっ!」
「悪くないわ! もっと地面を蹴る足を意識して!」
その屋敷の中庭で、毎日のようにケイドは訓練を行っていた。
両親が教師役だ。王都時代と比べて、ウェーリアの伯爵はずっと仕事が少ないので、ケイドの訓練に付き合う時間はいくらでもある。
「いいわよ! 基礎はしっかりしてきたじゃない!」
「ふう……」
ケイド・シニアスは木剣を降ろし、額の汗をぬぐった。
ウェーリアに引っ越して半年。十二歳になったケイドは、訓練の甲斐あってかなり丈夫な体に成長している。
だが、どことなく線の細い印象は拭えなかった。
まだまだ生来の病弱さが残っているようだ。
(前世の俺に比べれば数百倍ぐらい健康だけどな……)
「母さん、そろそろ魔物の討伐に行きたいんだけど……」
「まだ駄目よ。あんた、無属性なんだからね? 魔法がまともに使えない不利を補うぐらい剣術を極めてからじゃなきゃ」
「でも、俺はあのゲオルギウスを倒したんだよ?」
「どうやって?」
ケイドは答えない。
四属性バフビルドの存在を広めるつもりはなかった。
あれは一撃必殺の切り札だが、〈律の法〉のようなバフ解除手段を用意されていた場合に何も出来なくなってしまう。
対策されるのを防ぐべく、彼は完全に情報を隠している。
「……何を隠してるんだか知らないけれど、隠すってことはおそらく相当なリスキーな方法なのよね。頼らずに済むぐらい鍛えないと心配なのよ」
「分かってるけど」
まだまだ実戦には出れなさそうだ。
(そろそろ土属性って明かしてもいいかな。ウェーリアの温泉には”無属性の人に属性が目覚めた”なんて噂もあることだし)
普通の土魔法を教えてもらえば、強くなれるし、両親も安心するだろう。
(まあ、十五歳の学園入学まであと三年。じっくりやるか)
ケイドは軽いストレッチで体をほぐし、クールダウンを行った。
母親は怪訝な目で彼を見ている。
……”運動後のクールダウン”という概念がしっかり根付いたのは、地球だとかなり近代のことだった。不思議に思われても無理はない。
(そういやプロゲーマー時代に、うちのアナリストの金持くんが”スポーツ科学の発展した現代のアスリートはどう考えたって昔の戦士より百倍ぐらい体が強い”みたいなこと言ってたよな……)
夢のない話だが、ケイドは適切な現代知識で効率的に鍛えることができる、ということでもある。
今のケイドは十二歳。ちょうど”ゴールデンエイジ”と呼ばれている期間が終わるあたりだ。
いわゆる運動神経が最も伸びる時期であり、剣術の型を叩き込むには最適の時期だった。魔法の習得でもそれは同じだろう。
(えーっと、そろそろ持久力を向上させる時期だっけ? 昔はウザいと思ってたけど、金持君のスポーツ科学の講釈がまた聞きたくなってきたな……)
心拍ゾーン、ATP、VO2MAX……聞きかじりの単語がケイドの頭をぐるぐる回った。適切な心拍数で鍛えれば、持久力を効率よく向上させられる。
うろ覚えだとしても、そのノウハウはスポーツ科学の結晶だ。
(俺も含めてこの世界の人間はかなーり地球人より強いけど、基礎的な部分は同じだろ。やってみるか)
それから、ケイドは基礎トレーニングの時間を増やした。
彼は朝早くに起きて、動きやすい服装で邸宅から外に出る。
ウェーリアは尾根と尾根に挟まれた谷間の街だ。
街の中心を流れる清流に沿って市街地を抜け、紅葉しはじめた木々の間を走る。 ときおり河原に白煙が見えた。湧き出す源泉の湯けむりだ。
温泉目当ての客を泊める宿が点在している。
(うーん、日本を思い出す……建物はヨーロッパ風だけど……)
ケイドは川沿いをぐるぐると周回した。
とっても地味なトレーニングだ。
一時間ぐらい走ったあと、彼はおもむろに川へと降りて、源泉と川がちょうどよく混ざったところへ飛び込んだ。
「ああ~……」
広い川の温泉を独り占めだ。
天にも昇る心地で汗をさっぱり洗い流し、ほくほく顔で歩いて帰る。
街の中心部から山を見上げれば、斜面に張り付く貴族や金持ちの別荘が見えた。
そのほとんどが留守だ。保養地ウェーリアは夏の避暑や冬の温泉を目当てに来る客が多く、春や秋は地元民しかいない。
(紅葉の季節なのになー。ま、この世界は森が多いし、どこでも紅葉なんて見れるってことか?)
そんなことを思いながら、ケイドは馴染みの書店に立ち寄った。
〈魔導書〉と呼ばれるアイテムが目当てだ。
ゲームでは使った瞬間に魔法を覚えられるアイテムだったのだが、実物はただの魔導書で、ちゃんと読み込んで訓練しないと習得できない。
「おっちゃん、魔導書入ってる?」
「おうボウズ、一個見つけて買っといたぜ! そこの棚だ!」
店主に指差された棚の前に、一人の儚げな少女がいた。
色白の肌と物憂げな表情。真っ白な髪はしなやかに波打ち、肩まで伸びている。
病衣を思わせる白の服を纏い、傍らには一人のメイドが立つ。
……メイドは威嚇するような視線を向けてきている。
それもそのはず、あの少女は絶世の美少女だった。
少し痩せすぎてはいるが、なお天上のごとき美を有している。
(心配しなくても、俺の好みは正反対だっての……)
ケイドは強くて大きい(色々な意味で)アマゾネス系の女が好きだ。
病弱少女よりムキムキ女性がいい。彼の好みとはまったく外れている。
「ん」
「あっ」
同じ魔導書に手を伸ばした二人の手が触れ合った。
「……私はいいので。どうぞ」
「いいのか? ありがとう」
ケイドは一冊だけある魔導書を手に取った。
(おっ、これは!)
〈ヒール〉の魔法を習得できる魔導書だ。
水属性の魔法だが、初歩的なのでケイドでもなんとか覚えられる。
傷を癒せるこの魔法は、魔物と戦う上で是非覚えておきたいものの一つだ。
(……そうか、ヒールか……)
ケイドは儚げな美少女に視線を向ける。
体が弱いなら、こういう回復魔法は必需品だ。
彼も〈バイタリティ〉の魔法を覚えるまで外出が出来なかったのだ。
「いや。俺はいい。使いなよ」
「あ、ありがとうございます……」
少女は本を受け取り、中身を軽く確かめた。
「……いえ。探していた魔導書とは違うようです。でも、ありがとうございます」
「もしかして、〈バイタリティ〉の魔導書を探してるのか?」
「は、はい! なにかご存知なのですか?」
「俺も昔は体が弱くて、あの魔法に頼ってたんだ。魔導書は持ってないけど、魔法を教えることはできると思う」
「い、いえ。そこまでして頂くわけには。謝礼も出せませんし……それに、伯爵のご子息、でしたよね? そんな方に教えて頂くのは、少し気が引けます……」
「気にしなくていい。店主のおっちゃんだって、俺のことボウズって言ってたろ」
でもお返しできるようなものはありませんし、と彼女は身を引いた。
(もっとガツガツ来てもいいのにな)
プロゲーマーで配信者の、つまり必然的にイキり気質だった前世を持つケイドとは、あまり噛み合わない少女だった。
「俺だって、体が弱い辛さはよく分かる。お礼とかそんなの目当てにしてるわけじゃないんだ。……別に、お近づきになりたいわけでもないぞ」
ケイドは横目でメイドを見た。
「そこまで言って頂けるのでしたら、お願いしてもよろしいですか?」
「もちろんだ」
後日、彼女の家で魔法の講習会をやる、ということになった。
家に来ると聞いてメイドが渋い顔をしていたが、体が弱いのだから仕方ない。
「あ、そうだ。俺はケイド・シニアス。君の名前は?」
「アイリス、と言います。本当に、ありがとうございます」
アイリスは小さく微笑んだ。
高原に咲いた一輪の花のような、澄みきった笑顔だった。
(……ふう。良かった。名前が”ラティア”だったらどうしようかと)
ケイド・シニアスの闇落ちフラグの二つ目に、恋人の死、が存在する。
まさかこの少女がケイドの恋人ラティアだったら、という不安が頭によぎっていた彼だったが、幸いなことにフラグとは無関係な少女のようだ。
「じゃ、また今度」
「はい!」
ケイドは譲ってもらった〈ヒール〉の魔導書を抱え、家に帰った。
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