第23話 或いは最後の夜

 帝都に辿り着いたのは夜中だった。

 帝城ていじょうや教会に直接向かうことも考えたが、こちらの見た目は子供ふたり。

 事情を知る者がいれば話は早いが、門前払もんぜんばらいも容易に考えられるだろう。

 もしくはオフェーリア派の手の者が出てこない可能性もない。

 よってリタたちはまず、帝都で信用できる相手の元に向かうことにした。


叔父おじ様!」

「リム! 無事だったのか……!」


 帝都の端にある豪邸。

 そこはリタの父親の弟――つまり叔父が当主を務める屋敷。

 プルーム家の本邸であった。

 ちなみにリタが学生生活を送っていた時の偽りの身分では、彼女はプルーム家の次女という扱いになっている。


「リタの叔父さんの家か。随分とおかしな場所にあるんだな」

「エイトール。失礼なことを言ってはいけませんよ」


 リタがそうたしなめるが、エイトールの視線は窓の外の景色から外れない。

 帝都の端にあるプルーム邸は、切り立った崖の上に建っていた。

 窓の外の光景は屋敷の裏側。

 その先では遥か下方に流れる川が薄らと確認できた。


(……もし逃げるとしたら厄介だな。出口は屋敷の正面しかないのか)


 これまで長い逃亡生活を続けていたエイトールだ。

 リタからすれば信頼できる叔父おじであっても、エイトールからすれば赤の他人。

 手放しで信頼できる相手ではない。

 自然と頭の中で逃走ルートを考えてしまうのは仕方がないだろう。


「リム。えっと、この子は……」

「紹介します。私の友人のエイトールです。彼が私を帝都まで連れてきてくれました」

「おう、よろしく、リタの叔父おじさん」


 リタの紹介に合わせて、エイトールは軽く手を挙げる。

 その無礼な態度にリタは眉間に皺を寄せたが、注意はしなかった。

 エイトールの無礼など今更だと思ったからだ。


「そうか、君が噂の……」

「ん?」

「あ、いや、なんでもない。私はリタの叔父おじでプルーム家の当主であるクロッカスだ。ありがとう、エイトール君。リムをここまで連れてきてくれて」


 そう言って、クロッカスは優しげな笑みを浮かべる。

 公爵家の当主にしては随分と質素な服をした、柔和な中年だった。

 質素な服は、もしかしたら女帝陛下の冥福を祈っているからかもしれない。


「リムもエイトール君も疲れただろう。部屋を用意するから休みなさい。あ、簡単なものしかないが食事を取ることもでき――」

「「ご飯!!」」

「わ、わかった。すぐに出せるのは夕食の余りものしかないが用意しよう」


 鬼気迫るリタとエイトールの要求に、優しい顔に冷や汗を垂らすクロッカス公爵。

 ここ数日は森で獲った野生動物の、豪快なサバイバル料理しか口にしていない。

 つまり、彼らは温かい食事に飢えていた。

 食欲の獣になったふたりは、クロッカスの案内で広間に通される。

 テーブルに着くと、すぐにメイドたちによって食事が運ばれてきた。

 器に入ったシチューをパンにつけて頬張る。

 濃厚なチーズの味が舌の上で炸裂した。


「美味ぇ! めちゃくちゃ美味ぇぞこれ!」


 歩きっぱなし、戦いっぱなしだったエイトールの、久しぶりの温かい食事。

 胃に染み渡るような旨みに思わず叫んだ。

 山盛りのパンがどんどんエイトールの腹の中に収まっていく。


「お口に合いましたか?」

「ああ! こんなに美味いシチュー初めてかもしれねぇ!」

「それはよかったです。おかわりは?」

「頼む!」


 エイトールの傍に楚々そそと控えたメイドが嬉しそうな顔をしている。

 若く、可愛らしい容姿のメイドだ。

 どうやらシチューを作ったのは彼女のようだ。

 差し出された空き皿を受け取ったメイドは上機嫌に厨房へと消えていく。

 そんなエイトールとメイドの仲良しなやり取りに、リタは「むっ」と眉間に皺を寄せた。


「エイトール、あんまり我儘わがままを言ってはダメですよ。約束もなしに夜中にお邪魔しているのですからもっと遠慮しなさい」

「……? なんでお前、怒ってるんだ?」

「お、怒ってなんかいませんけどっ!?」


 と、顔を赤くしたリタを置き、メイドがおかわりのシチューを持ってきた。

 それを笑顔で受け取ったエイトールは食事を再開する。

 にこにことしたメイドが傍に控えたまま。

 そして、ぷくぅ〜と頬に不満を溜め込んだリタもやけ食いのようにシチューをかっこむ。

 自分でもなんでこんなモヤモヤしているのかわからなかった。


「ふぅー、ごちそうさま! 美味しかったぜ!」

「……ごちそうさま」


 やがて食事を平らげたふたり。

 満足そうに腹をさするエイトールと、上品にナプキンで口を拭うリタ。

 そんなふたりにクロッカス公爵は控えめに声を投げる。


「では、部屋を用意するから休みなさい。リムは二階の部屋。エイトール君には一階の客間を使ってもら――」

「いや、俺はリタと同じ部屋で頼む」

「ふぇっ!?」


 エイトールの要求に、リタの喉から変な声が出た。

 クロッカスも驚いたように目を見開く。

 だが、すぐに公爵はその意図に気づいたようだ。

 温和な顔に困惑を混ぜながら、髪の薄くなった頭を掻く。


「そうか。リムが皇帝になったらそう簡単には会えなくなる。だから、最後の思い出が欲しいってわけだね……」

「さ、最後の思い出……!?」


 クロッカスの言葉に、リタも察しがついたようだ。

 男女がひとつの部屋で寝る。

 その意味がわからないほど、彼女は鈍感でも世間知らずでもない。

 整った顔がみるみる赤く染まっていく。


「……そうだね。少し複雑な気持ちだが受け入れよう。君はたったひとりでリムをここまで連れてきたんだ。どういう関係なのかも察しがつく。明日には帝城にリムを連れていくから、今日が最後の夜になるだろう」


 クロッカスは苦笑を浮かべながらも、小さく頷いた。


「二階に部屋を用意する。リムもそれでいいかい?」

「わ、私は……」


 リタの目が泳ぎ、その視線がエイトールへと向けられる。

 普段通りの能天気な顔で「ん?」と首を傾げられた。

 そんな彼の顔を見ただけで、心臓がドクドクと喚き出す。

 自分の中の乙女成分が盛大に暴れ出す。


「わ、私も構いません。エイトールと、お、同じ部屋でも……」


 ぷしゅ〜と、湯気が出るほどに顔を真っ赤にしながらリタが頷く。

 控えていた若いメイドが「あらっ」と興奮したような声を上げた。


 ***


 部屋に入って、リタは固まった。

 ベッドがひとつしかないのだ。

 これからすることを考えれば当然なのだが、動揺は隠せない。


(わ、私、これからエイトールと……!)


 ふと、昔読んだちょっと過激な恋愛小説を思い出す。

 自分にはまだまだ縁遠えんとおい話だと思っていたが、それは楽観に過ぎた。

 かつての自分に言ってやりたい。

 お前が大人になるのはそんなに先ではないぞ、と。


「じゃ、リタは先に寝ててくれ」

「ふぁ、ふぁい!」

「……なんだその返事?」


 焦りまくりの自分と違って、エイトールは随分と余裕があるみたいだ。

 もしかしてエイトールは経験が……?

 思い浮かべた生々しい妄想を、ぶんぶんと首を振って振り払う。

 リタはそっとベッドに入った。


「エ、エイトールもどうぞ……」

「いや、俺は今日は寝ないからいいぞ」

「……え?」


 覚悟を決めた言葉に、予想外の返事をされる。

 リタは目を丸くしながら、扉の前に立つエイトールを見た。


「ね、寝ないとはどういうことですか?」

「明日、城に行くってんなら相手がリタを狙うのは今夜しかねぇ。ようやく帝都まで来たのに、ここで油断して負けてたまるか。リタは俺が守るからな」

「……」


 エイトールの意志を込めた宣言に、リタは己の心を恥じる。

 彼が一緒の部屋を希望したのは始めからこのためか。

 それを理解し、さっきまでの自分の甘い妄想に叱責する。


(何を油断しているのですか、私は……)


 エイトールはこんな時まで自分を守ろうとしてくれている。

 そんな彼の信頼を裏切るようなことはしたくない。


「なら、私も起きてます」

「いや、リタは寝てろよ。もしかしたら明日、皇帝になるかもしれないんだろ? 目元がくまだらけの皇帝なんてカッコつかないぞ?」

「……でも」

「もしかしたらまた走り回ることになるかもしれねぇ。なら体力は温存しとけ」


 そう言われれば、そこまでだ。

 リタにエイトールほどの体力はない。

 睡眠不足で彼の足を引っ張るようなことはしたくない。

 でも――。


「それならエイトール。少しだけお喋りしませんか?」

「お喋り?」

「寝るまでで構いません。私はお前の話が聞きたいです」


 ベッドで横になりながら、リタは微笑みながらそう願う。

 大切な友人と、最後の夜を語らいながら眠りたい。

 そんな細やかな願いに、エイトールは笑いながら答えた。


「わかった。どんな話がいいかな?」

「お前が王国にいた時の話が聞きたいです」

「王国にいた時か。なら俺が親父の大切にしていた壺で漬物ピクルスを作ってたら、それがバレて騎士団に追いかけ回された話からするか!」

「……お前は何をしているのですか」


 ふたりは話した。

 他愛もなく、なんでもない、ただの友人同士の話を。

 驚いて、楽しんで、笑って――。

 それでも蓄積した疲労には耐え切れず、いつしかリタは深い眠りに落ちていった。


「……よく頑張ったな、リタ」


 エイトールはその寝顔を眺めて、綺麗な赤髪を優しく撫でる。

 そして視線を窓の外へ――。

 今夜は満月だな、と暗い部屋の中でつぶやいた。

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