第24話 寂しい星空

 こんこん、と寝室にノックの音が鳴る。

 エイトールは警戒しなかった。

 足音で誰か来ていたのかを知っていたから。

 扉を少しだけ開けて、その人物を確認する。


「こんな夜中に何の用だ? クロッカス公爵」

「やはり起きていたか、エイトール君」


 訪れたのは、この屋敷の主人であるクロッカスだ。

 先ほど見た温和な表情も今ばかりは隠れ、その瞳には真剣な光が宿っている。

 この来訪がただの気まぐれでないことは、それだけで察することができた。


「君に話がある。ついてきてくれないかい?」

「俺に?」

「大事な話だ」


 エイトールは考える。

 てっきりリタの様子を見にきたのかと思ったが、クロッカスの目的は自分だった。

 しかし、相手の表情を見るに無視をするのもはばかられる。

 大事な話というのは本当だろう。


「……隣の部屋、空き室だったよな? そこならこの部屋で何か起きてもすぐに駆けつけられる」

「わかった。ついてきてくれ」


 リタを起こさないよう、静かに扉を開け閉めして部屋を出る。

 そして隣の部屋に入るなり、クロッカスはすぐに切り出した。


「エイトール君。……いや、クレティカ王国の第五王子、エインズワール殿下。あなたはどうしてリムを助けてくれるんだい?」

「……気づいてたのかよ」


 エイトールの返しに、クロッカスは真剣な表情を返す。


「帝国兵士の中では既に噂になってるよ。クレティカの王族がリムスフィア殿下の護衛をしているって」

「……なら隠しても仕方ねぇか。あ、俺の行動に親父たちは何も関係ねぇぞ。ただ俺はリタが友達だから助けてるだけだ」

「……本当に、ただそれだけかい?」

「本当だ」


 暗い部屋の中、クロッカスが手に持つ蝋燭ろうそくの火がゆらりと揺れる。

 しばらくの無言――まるで言葉の真意を見極めるように、クロッカスがエイトールの瞳を見つめた。

 やがて沈黙の時間は、クロッカスの微笑によって破られる。


「……信じよう。ありがとう、エイトール君。リムを守ってくれて」

「なに、礼を言われるようなことはしてねぇよ。俺だってリタに何度も助けてもらった」


 どうやらクロッカスはエイトールを王子ではなくリタの友人として扱うと決めたようだ。

 エインズワールではなくエイトールと呼んだのがその意思表示だろう。

 だが、そこでクロッカスの表情が曇る。

 まるで言い難いことを口ごもるかのように。


「まだ何かあんのか?」

「……先ほど言ったよね。君の正体が帝国兵士に噂されつつあるって」

「ああ、それが?」


 正体がバレているのには予想がついていた。

 森を出た時に戦った相手。

 なんとか騎士団の団長とやらはすぐにエイトールの正体をクレティカの王族であると見抜いた。

 ならそこから噂が広まっていることに疑問はない。


「イスカ帝国は長いことクレティカ王国と戦争をしていた。今は和平条約が結ばれているとはいえ、いまだに帝国民にはクレティカに悪印象を持っている者も多い。……いや、恨んでいると言ってもいいだろう」

「だろうな。戦争ってのはそういうもんだ」

「もし新皇帝が、クレティカの王族と友人であると知れば帝国民はどう思うだろうか?」

「――っ!」


 そこでようやく、エイトールはクロッカスが何を言いたいのかわかった。

 リタが皇帝になるため――。

 そのための不安要素を排除しにきたのだと。


「勿論、君に悪意がないのはわかっている。リムとのやり取りを見れば君たちは本当にただの友人関係で、そこに政治的な打算がないことも察せられた。でも――」

「……民衆は簡単に受け止めてはくれない、か」

「そういうことだ」


 もはやエイトールはただの友人というだけではない。

 リムを皇帝にするためにたったひとりで帝都までの護衛を務めてきたのだ。

 その事実があれば、帝国兵士の中にはこう思う者も少なくないだろう。


 ――新皇帝はクレティカ王国の傀儡かいらいなのではないか?


 その疑念を晴らす術はなく、広がる噂を完全に消す手段などない。

 ……いや、ひとつだけある。

 おそらく、クロッカスもそれを提案するためにこの場に来たのだろう。


「……俺がいなかったことになればいいのか」


 皇女を守った王子などいない。

 新皇帝を帝都まで送り届けたのは、プルーム家の勇敢な騎士だった。

 そんなストーリーを作るために、クロッカスはエイトールを呼んだのだ。


「……すまない。リムをここまで送ってきてくれた恩人に、その手柄を奪うようなことを」

「いや、いいさ。あんただってリタのことを思ってのことなんだろ?」


 当主が自ら声をかけてきたのだ。

 オフェーリア派の刺客たちからたったひとりでリタを守り抜いたエイトールに。

 こんな提案をすれば、エイトールが怒って暴れても仕方がない。

 だと言うのに、クロッカスは代理の者ではなく自らこの場に立った。

 それが彼なりのケジメなのだろう。


「……あとは頼むぜ。クロッカス公爵」

「もう行くのかい? 最後に会っていってもいいだろう?」

「……決意がにぶる。これ以上、リタと一緒にいて変な噂を流されても困るしな」


 背を向けたエイトールにクロッカスが頷いた。


おおやけにはできないが私の私財から君に報奨ほうしょうを上げようと思う。リムをここまで守ってくれたお礼も兼ねて」

「いらねぇよ。友達を守るのにお金なんてもらってたまるか」


 と、言った後に、ふとエイトールは思い出す。

 自分が少しもお金を持っていないことに。

 リムロットの学校に戻るまで、エイトールの足でも数日はかかるだろう。


「いや、すまん。二、三日分の飯代くらいはもらっていいか?」

「……受け取ってくれ」


 クロッカスは懐から小袋を取り出してエイトールに渡した。

 中には金貨が数枚入っている。

 数日分のご飯代としては多すぎるとも思ったが、エイトールは黙って受け取った。

 今更カッコつけても仕方がないと思ったからだ。


「んじゃ、俺はもう行くぜ」

「伝言くらいは届けるが?」

「……あー。そっか、忘れてた」


 エイトールはポケットから黒い箱を取り出した。

 自作の宝石が入った箱だ。

 それをクロッカスに渡す。


「リタが起きたら、これを渡してくれ」

「何と言って渡せばいい」

「そうだなぁ」


 エイトールは思い出す。

 長いようで短かったリタとの冒険を。

 刺激的な日々の中で、一番輝いて見えたのは何だったか?


 森の中。

 巨大な獣の上で横になり、共に見上げた星空。

 リタの笑顔と共に彩られた、静かな世界。

 あの輝きを、自分は一生忘れることはないだろう。


「――お前と見た星空は、今までで一番綺麗だったよ」

「わかった。そのまま伝えよう」


 今度こそ、エイトールは部屋を出る。

 その扉が閉まる直前に、クロッカスが申し訳なさそうな顔をしているのを見た。


「……できれば、もっと一緒にいたかったな」


 そのまま外へ出て、屋敷を振り返りながらエイトールは呟く。

 リタが眠っているはずの部屋を見上げながら。


「……」


 なんて面倒くさい世界なんだと、エイトールは思った。

 友達を助けたかっただけなのに、それすらまともにさせてくれない世界が憎かった。

 でも、自分ひとりがそう思ったところで世界は何も変わってくれない。

 だから、漏れ出てくる文句は心の奥に蹴飛ばしてふたをする。

 屋敷に背を向けて、エイトールは歩き出した。


「……」


 顔を上げる。

 立派な満月だ。

 夜空に散らばる星々も美しくきらめいている。


 でも、なぜだろう。

 同じ景色のはずなのに――。

 ひとりで見上げる星空は、ひどく寂しく見えた。

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