第22話 おしどり夫婦の本当の初めての朝
結局そのまま朝になった。
レオは勿論一睡もしていない。
万一目を閉じて、これが夢だったらと思うと、どうしても眠れなかったのだ。
腕の中に収めたリーシアは、日付が変わってすぐに緊張の糸が途切れたように意識を手放した。
眠る直前まで、全力で大切に優しくしたつもりだが、万一不足分があれば、夢の中の紳士的な自分が補ってくれることを祈るしかない。
夕方過ぎに揃って帰宅したインツォリア夫妻の顔を見た瞬間に、優秀な家政婦であるマーサは、すぐにアパルトマンを出ていった。
辞去の直前に、レオにだけ聞こえる声で替えのシーツの在処を伝えて帰る用意周到ぶりには、もはや脱帽するしかない。
予想通り雪崩れ込んだ寝室で、リーシアの初めての声をいくつも聞いた。
バスルーム事件で響かせたものとは違う、小さな悲鳴もあったし、可愛らしい悲鳴もあった。
そのどれもがレオを虜にして、心を揺さぶって来た。
二人が寝室を共にしてから二か月が過ぎていた。
レオは心の内で自分の鋼の理性と忍耐力を褒め称えていたし、時折切羽詰まってバスルームに飛び込むこともあった。
そのどれもが今となっては完全なる過去である。
震えるリーシアを腕の下に巻き込んだ時から、眠りに落ちる彼女の額にキスを落とす瞬間まで、うんと優しい夫を気取ったつもりだ。
無理強いはせずに、時間を掛けて妻を抱いた。
触れたら火傷するんじゃないかと不安になるほど火照っていた肌が、少しずつ熱を冷まして、穏やかなぬくもりを取り戻すまでの間、レオは一度もリーシアを手放そうとはしなかった。
明け方近くになって、漸く落ち着きを取り戻した後で、マーサの言葉を思い出した。
寝室のチェストの一番下。
一度も開けたことの無いその場所に、真新しいシーツが入っていた。
疲れ切って微動だにしないリーシアを一端リビングのソファへ運んで、乱れたシーツを取り換えてからまた二人でベッドに戻った。
抱き上げた拍子に覗いた真っ白な脹脛に、つい今しがた残した赤い痕が浮かんでいて、また堪らない気持ちになった。
世の中の夫は妻が眠った後この衝動をどうやってやり過ごしているんだろう。
心地よさと、幸福感、ほんの少しの物足りなさと、高揚感。
次々と押し寄せて来る感情を捌いては流し、また捌いているうちに、窓の外で鳥がさえずり始めた。
仕事を放り出して帰って来たが、そのあたりはマーカスが上手く処理しているだろう。
今日一日のスケジュールを思い出して、どれ位の猶予が残されているかを計算しつつ、リーシアのスケジュールも合わせて思い出す。
評議会への欠席連絡は昼前で問題ない。
仕立屋との打ち合わせは明日以降に後ろ倒しさせれば、今日の彼女のスケジュールは空っぽになるはずだ。
昨夜の反応と、この熟睡ぶりを鑑みて、それがベストだと結論付ける。
すっかり太陽が昇って、強い日差しが寝室の床を照らす頃、リーシアはゆるゆると目を開けた。
甘えるように胸元に頬を寄せられて、思わずきつく抱きしめそうになる。
彼女は朝に弱い。
仮面夫婦だった頃は、相当気を張って寝坊しないように気を付けていたのだろう。
最近では、レオが声を掛けて起こしても、一度では起きられない日がある。
今日はどうだろうかとその顔を覗き込めば。
「・・・」
無言のままで瞬きをしたリーシアが、一瞬後、上掛けの中に潜り込んだ。
彼女を追いかけて、レオも同じように潜り込む。
綺麗に丸くなるリーシアの、ネグリジェの広く開いた襟ぐりから見える項の痕を上書きした。
「ひゃっ」
寝起きの掠れた声で悲鳴を上げたリーシアが、手探りでレオの腕を叩いた。
「今日の予定は変更するよ」
「ど・・して」
「その方が良いだろう?」
どうかな?と伺うように優しく腰を撫でる。
じたばたともがいたリーシアが、上掛けの海から逃げ出した。
同じように追いかけて、枕の手前で止まったリーシアの頭を抱き寄せる。
寝ぐせの残る長い髪にキスを一つ。
「おはよう、でいい?それとも、もう一度おやすみを言おうか?」
「~~っ」
「痛いところは?」
ありとあらゆる譲歩の上で挑んだが、それでも多少の負荷は掛かった筈だ。
「・・・・怠いわ・・」
まあそうだろうなと思いつつ、宥めるように後ろ頭を撫でる。
と、リーシアが腕の下に潜り込んできた。
もっと恥ずかしがるかと思ったのに、これは予想外の反応だ。
まだ思考回路が正確に稼働していないのかもしれない。
「眠ってもいいし、起きてもいいよ」
「・・・あなたは?」
「俺はきみに合わせる」
「・・・仕事は?」
「結婚初夜の翌日に、せかせか仕事に行く愚かな夫じゃないよ、俺は」
「・・・」
三年前のやり取りを思い出したようにリーシアが小さく笑う。
「昔のことは忘れてくれ、頼むから」
「・・・なら、この間のバスルームでの出来事も、忘れて頂戴」
「それならもう、昨夜綺麗に上書きされたから問題ないよ」
これからは、湯上りの彼女と鉢合わせしても、鼻血を噴かずに済みそうだ。
「・・・あなた・・って時々意地悪ね」
「困った顔のきみも可愛いからね」
「・・・笑った顔がいいって、いつかは記者に答えた癖に・・」
「あの頃は、本当の笑顔が見たかったから、そう言ったけど・・・今は、そうだな・・」
長い髪を指に絡ませて背中まで梳き下ろす。
すとんと滑るようにシーツに零れる癖のない髪は、まるで彼女そのものだ。
捕まえようと躍起になる自分を押し留めて、ほんのりとぬくまった柔らかい頬を掌で包みこむ。
「昨夜のきみがもう一度見たいと言ったら・・・怒るかな?」
「・・・マ、マーサが」
「優秀な家政婦の事だから、きっと今日は来ないよ」
「~~っ」
逡巡するリーシアの顔を覗き込めば、彼女が頬にキスをくれた。
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