第20話 おしどり夫婦とブリキのおもちゃ

人は、どんな瞬間に自分の恋心を自覚するのだろう。


彼と目が合った時?眠る前に彼のことを思い出した時?それとも・・・



★★★★★★



「今日もお帰りはメトロですか?手の空いている者に送らせましょうか?」


「皆さんお忙しいのに、お手を煩わせるわけにはいきません。メトロで帰りますわ。ついでに買い物もして行きたいので」


職業訓練校の校長からの有難い申し出を丁重に断って、門の前で挨拶をして別れる。


定期的な視察以外にも、時間が空けば顔を出して、生徒たちの様子を尋ねたり、講師たちから要望や意見を貰うようにしている。


もう少し学科を増やしてさらに受け入れ生徒数を増やすことが目標なので、現場の意見はとても貴重な参考資料になるのだ。


最寄り駅からメトロに乗って、自宅のアパルトマンがある駅の二つ手前で降りる。


レオの経営する印刷会社のある大通りには、雑貨屋や小物屋、食料品店などが軒を連ねている。


学校帰りの学生たちが、アイスクリームを片手にウィンドウショッピングを楽しむ様子を横目にしながら、日差しを避けるべくパラソルをさして、のんびりと通りを歩く。


真っ直ぐ帰っても良かったのだが、ここ数日スケジュールが立て込んでいたので、気分転換したかった。


依頼せずとも季節毎に仕立屋が、夫婦に似合いのデザインを起こして営業にやって来るので、服飾雑貨を自分で買う事は殆どない。


おしどり夫婦を装っていた頃は、休日に夫婦で百貨店に出掛けて新しい洋服を購入する事もあったが、最近は自宅で過ごすことが増えた。


あれほど居心地が悪かったアパルトマンは、今やリーシアにとってアルネイス男爵家よりも思い入れのある場所になっている。


人目を気にせず寛ぐことの出来る唯一の場所である事は勿論、レオと心を通わせてからは、二人でのんびりと過ごす為の秘密の隠れ家でもあるのだ。


時折過度なスキンシップにリーシアが慌てる羽目になるが、それさえもくすぐったくて楽しい。


すっかりおしどり夫婦が板について来たインツォリア夫妻である。


見るともなしに、大通りの路面店の店先を眺めていたら、おもちゃ屋の飾り窓が目に入った。


ぬいぐるみや、オルゴール、可愛らしいお人形、積み木などが綺麗にディスプレイされている。


と、そこで見覚えのあるブリキのおもちゃを見つけた。




★★★★★★



「あれ、奥様!今日来られる予定になってましたっけ?」


仮面夫婦に終わりを告げてからは、会社訪問日時は事前にレオを通じてマーカスに伝えてある。


出来るだけレオが社内に居る時間に来て欲しい、と要望を受けているからだ。


今日は完全な突撃訪問になってしまった。


「予定にはなかったんだけれど、ちょっと近くまで来たものだから。急にごめんなさいね」


長居するつもりは無かったので、応接に通される前に用件を伝える事にする。


「社長室に・・・用事があるのよ」


「・・・社長室じゃなくて、社長に用事があるんですよね?」


「え!?い、いいえ。それはついでというか・・何というか・・」


「社長に会いに来たって言ってあげてくださいよ。泣いて喜びますからあの人」


「それは大袈裟よ、マーカス」


いくらおしどり夫婦とはいえ、妻の突撃訪問でレオが泣くわけがない。


そんな過剰な演出はしてこなかった筈だ、と首を傾げれば。


「最近の社長は、以前にも増して奥様に夢中ですからね。また新しい写真を新聞社から横流しさせてましたよ」


「写真立ても確認しておくわ。あなたも忙しいでしょう?仕事に戻って。用事を済ませたらすぐに帰るから」


「10分もすれば、社長は取引先から戻られますよ?」


引き留めもせず帰したとバレたら僕が叱られます、とマーカスが真顔で告げる。


「贈り物を持ってきただけだから、本当に直ぐ帰るわ、ちょっと今は会いたくないというか・・」


「え!?もしかして、喧嘩でもされました!?社長が何か余計な事言ったんじゃないんですか!?あの人の過保護っぷりは確かにちょっと、いや大分鬱陶しいとは思いますがどうか大目に・・」


まるで自分の事の様に心配そうな顔になったマーカスに、違うの、と手を振って見せる。


あくまで個人的な心境でちょっとすぐには顔を合わせ辛いのだ。


「喧嘩はしてないわ。本当よ。ちょっと・・いまは恥ずかしいだけだから、気にしないで頂戴」


「ああ・・・聞きましたよ。バスルーム事件」


「え!?」


「足を滑らせて転んだ奥様を助けた後、社長鼻血出してましたもん。まるで思春期の子供みたいに。湯上りの奥様を見て動揺したんでしょうね」


一瞬バスタオル一枚だった事まで暴露されたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


というか、鼻血って何だ、と気恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。


「社長の愛情が重たすぎて暴走気味になっても、許してやってくださいね。お灸を据えたくなったら僕もお手伝いしますから」


「え・・ええ・・そうね、もしもの時は、どうぞよろしくね。それじゃあ、マーカス、またね!」


見えて来た社長室に逃げるように駆け込んで、ほうっと息を吐く。


おもちゃ屋に立ち寄った瞬間から、どうにも気持ちが覚束ない。


今日の夜には、レオは自宅に戻って来るのだから、その時に渡したってなにも問題は無い筈なのに。


どうしても、すぐに、これを届けたくなったのだ。


無人の社長室を横切って、窓際に置かれた執務机へ近づく。


さっきのマーカスの言葉を思い出して、机の上の写真立てを確かめると、なるほど、前回来た時からまた写真が更新されていた。


カンティーナタウンの行政60周年記念式典の時の写真のようだ。


どうしようか迷って、その写真立ての隣に、ハンドバックの中から取り出した、ブリキのおもちゃを並べる事にした。


これが、今の自分の気持ち全てを現わしているのだと思うと、指が震えて泣きそうになる。


これを見れば、レオはきっと気づくはず。


リーシアの気持ちが、いまどこにあるのかを。


彼が自宅に戻るまでには、もう少し冷静さを取り戻しているだろうと期待しつつ、廊下に戻ろうとした矢先、こちらに近づいて来る足音が聞こえた。


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