第18話 おしどり夫婦の新たな日常

ロマネスク様式の荘厳な美術館から外に出ると、階段の下まで記者たちが詰めかけて来た。


リーシアはレオと顔を見合わせて、いつものように笑顔を浮かべる。


繋いでいた手を解いて、公の場でレオがそうするように、軽く肘を曲げてリーシアに視線を向ける。


そっと肘に指先を掛けたリーシアが頷くのを待って、ゆっくりと石畳の階段を揃って降りて行った。


セギュール・カンティーナが守るカンティーナタウンは、本日も平和で、新聞記者たちがこぞって追いかけるような事件は何一つ起こっていない。


リーシアたちの元へ記者が殺到するのは、他に記載するべき事件や事故が起こっていない証拠だ。


カンティーナタウンのおしどり夫婦は、ある意味平和の象徴でもある。


真っ先に近づいて来た小柄な新聞記者が、軽く中折れ帽を持ち上げて挨拶をして来た。


何度も取材を受けた事のあるお馴染みの記者である。


「どうも、インツォリア夫妻。デゼルシラー新聞です」


「やあ、先日は職業訓練校への取材をどうもありがとう。あの時の記事に使われていた妻の横顔がとびきり綺麗でね、融通してもらいたいんだが、君が撮ったのかな?」


「ええそうです!ちょうど夕陽が良い具合に入り込んで、最高の出来栄えだったでしょう!」


「あなた・・新聞記事じゃなくて、私の写真を見てらしたの?・・もう」


「新聞記事は隅々まで読んださ。きみがどれ位素晴らしい妻として書かれているか、夫としてはいつだって気になるからね」


レオの言葉に嬉しそうに胸を張った記者が、会社宛てにお送りしておきますよ、と気易く応じた。


頼むよと答えて、レオが腕を絡ませて寄り添う妻を優しく見つめる。


いつもより高めのヒールを合わせたせいで、近く感じる視線を楽しむようにゆっくりと眺めてから、少しだけ声を落とした。


「執務室の机に飾ってあるきみの写真を新しくしようと思ってね」


仮面夫婦を始めて間もなく、写真館で撮った結婚記念の一枚を、飾るようになった。


リーシアたちの父親であるアルネイス男爵が死去した年に婚姻を結んだ為、インツォリア兄弟は、結婚式を行っていないのだ。


指示されるまま椅子に腰かけたリーシアの背後にレオが立って、どうにか口元だけを綻ばせて収めた一枚だ。


あまり良い思い出のないそれが、別の写真に変わったのは、結婚してから数か月が経ったころの事だった。


まだ仮面夫婦を続けていたリーシアは、その事をマーカスから聞いて、一体どんな写真を飾っているのだろうと気になっていた。


会社訪問を始めてすぐに、社長室に向かって執務机の上を確かめた時、そこに飾られていたのは女性評議会で誰かと話をしているリーシアの写真だった。


まるで盗み撮りのような一枚に、違和感を覚えたものの、愛妻家で知られている事になっている彼の執務机を彩る一枚としては、まあ妥当だろうと深く考える事は止めていた。


それから三年のうちに何度もリーシアの写真は取り換えられていたらしい。


「まあ・・横顔でよろしいの?」


「家に帰ると俺の特等席はきみの真正面だからね。横顔は貴重だよ」


「ソファを新しく買い替えようかしら・・?」


これ見よがしに笑ってみせたリーシアのこめかみにキスをして、レオが快活に笑う。


「それは困るな」


そんな夫を愛しそうに見上げるリーシアの表情はいつになく柔らかい。


「御機嫌よう。インツォリア夫妻。マッセリア新聞です、質問宜しいですか?」


「ええ、どうぞ」


応じたのはリーシアだった。


「今日の装いもまた素晴らしいですね!ターコイズグリーンの組み合わせは、今回もインツォリア夫人が?」


以前の取材で、夫婦のコーディネートを決めるのはリーシアの役目だと答えた事があった。


つい先月まではその通りだったのだが。


「最近は、二人でウォークインクローゼットに籠って一緒に悩むようにしています。気分転換にもなるし、何より妻の晴れ姿を一番に見られるのがいい」


「なるほど。お二人で相談を!」


頷いた記者が、手早く手元の手帳に回答を書き留めて行く。


「今回はネクタイを主人が先に選びましたので、リボンとバックの色を合わせることにしました」


「可愛い妻を着せ替え人形に出来るのも、夫の特権なので、最大限有効的に使おうと思っていますよ。また、次のお披露目の機会を楽しみにして頂ければ」


「キュベシアル美術館に来られるのは久しぶりかと思いますが、古典美術の傑作と呼ばれる、微笑の聖母はいかがでしたか?」


「近代美術ではあまり見られない技法で描かれた作品ですので、絵画自体にずっしりとした重みを感じました。どちらかと言えば、地味な色使いの作品ですが、丁寧に描かれた聖母の表情を映し出す影が幻想的な儚さを伝えて来る、素晴らしい絵画でしたわ」


「妻は15分も絵の前で魅入ってしまってね、私は一人置いてけぼりにされた」


肩を竦めて軽い口調で笑いを誘うレオに、別の記者が声を投げる。


「インツォリア氏にとっては、やはり聖母よりも奥様のほうが?」


おあつらえ向きな質問に、ひょいと眉を上げたレオが、妻の腰を引き寄せる。


「それは勿論。絵画の聖母は慈悲深く全ての民を包み込むが、俺にとってはきみの方がずっと尊いよ。愛しい人」


目を細めてリーシアの頬にキスを送れば、その瞬間綺羅星のようにカメラのフラッシュが瞬いた。



★★★★★★



「ねえ・・あの写真、本当に飾るの?」


美術館からの帰り道、ハンドルを握るレオに向かって、浮かんだ疑問を口にすれば。


「いけない?綺麗に撮れていたと思うけど」


「駄目ではないけど・・・その・・・私たち、もう夫婦なわけだし・・」


「そうだね」


「夫婦写真を飾る方が良くないかしら・・?」


「それもいいな。でも、俺は、きみが俺の側にいない時の表情も見ておきたいからね」


飛び出した予想外の回答に、リーシアが目を丸くした。


「そんな理由で、ずっと盗み撮りみたいな写真ばかり飾っていたの!?」


「盗み撮りって酷いな・・ちゃんとプロが撮った写真ばかりだよ。以前のきみは、俺の前では笑ってくれなかったからね。だから、出来るだけ自然な表情のものを選んで融通してもらうようにしていた」


これでも苦労したんだ、とレオが小さく笑う。


「許されるなら、そのうち寝顔の写真でも撮らせてくれれば嬉しいけれど・・・」


「撮らせないし、飾るなんてとんでもないわ!!」


リーシアが悲鳴じみた声を上げて、レオがそれは残念だと大袈裟に肩を竦めた。


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