第13話 仮面夫婦の妻の攻略法

先手必勝とはよく言ったものだ。


あれだけ鉄壁過ぎて近づけないと思っていたリーシアの仮面は、ちょっと突いただけで脆くも崩れ去った。


どうしてもっと早くこうしておかなかったのか。


真面目な彼女は、事前準備を決して怠らない。


ありとあらゆる可能性を考えて、事態に備えて挑む癖がある。


そのおかげで、記者からの変化球の質問にも柔軟に対応して来た。


それは、彼女が事前に予測を立てて対策を講じて来たからだ。


エレーナからリーシアが乗った列車の時間を聞き出した後、レオはすぐにその日のスケジュールを調整した。


割り振れる打ち合わせは、バートンと部下に任せて、難しいものは後日に回す。


常日頃から、プライベートを切り詰めて仕事に精を出していた社長が、私的な用事で帰りたいと訴えても、マーカスを始めとして、当然ながら誰一人否を唱えなかった。


リーシアを口説くと決めて、最初に思い浮かんだのは、プリムローズの花束だ。


レオが、真心だけで贈った最初の花束。


あの瞬間に舞い戻ってやり直すことから始めようと思った。


カンティーナタウンの駅舎から出て来たリーシアは、レオの車を見つけて唖然として、一瞬我を忘れて立ち尽くした。


ああそうか、生真面目な彼女は不意打ちに弱いのか、と思い当たって、これなら攻略できそうだと安堵した。


考える暇を与えず、対策を立てる前に攻め落とす。


外向きの妻の仮面をかぶっていない、赤の他人でもないリーシアは、面白い程動揺して、レオの顔を見ては困惑顔になった。


全く想定外のパターンに、途方に暮れていたのだ。


自宅に戻れば私室に逃げ込まれる可能性があるが、車の中なら当然逃亡は不可能。


自分の気持ちをまず最初に伝えるには最適な距離感だ。


アドバンテージは完全にレオにあった。


目を白黒させて、レオの告白を聞いたリーシアは、薔薇の花束を見つめたまま終始視線を揺らしている。


思えば、最初に二人で囲み取材を受けた直後もこんな感じだった。


恐らく、どうやってレオに接して良いか分からずに、黙り込んで扉を閉ざすことを選んだんだろう。


レオの方も、当時の彼女の気持ちを忖度する余裕はなかった。


けれど、今は違う。


隣に並んで彼女を見つめていた時間の分だけ、レオに分がある。


小さな変化も見落とすまいと、妻の隣に立ち続けた経験が、強気にさせてくれた。


リーシアは、レオを拒んではいない。


そう、最初から、拒んではいなかったのだ。


「こんな時間から家に戻ったら、何事かとマーサが慌てるわ」


「これまでが異常だっただけだよ。花束、持とうか?重たいだろう?」


「・・・いいわ・・これは私が持つべき荷物でしょう」


「そうだね。同じように俺の気持ちも受け取ってくれると嬉しいよ」


「・・・」


店にあるプリムローズの在庫を全て包んでもらったので、相当な重さの筈だ。


けれど、リーシアは一度もそれをレオに預けようとはしなかった。


こんなに胸が高揚するのは一体いつぶりだろうか。


「あ・・あなたのそれ、いつまで続くの・・?」


エレベーターの中で距離を詰めれば、薔薇の花束を盾に避けられる。


無理やり囲い込んで髪にキスをすれば、分かりやすくリーシアが首を竦めた。


記者に囲まれている時に同じことをしても、目を細めて受け止めるだけの彼女が真っ赤になって花束に顔を埋める。


気を良くしたレオは、抱き寄せたつむじにもキスを落として、朗らかに笑った。


「きみが俺の望む返事をくれるまでだよ。心配しなくていい。交渉ごとには慣れてるんだ、気長に待つさ」


ぽかんと口を開けてこちらを見上げたリーシアの手を引いて、アパルトマンの部屋へと戻る。


家事を終えてひと段落したところだった家政婦のマーサは、突然帰って来た夫婦に驚いて、レオがリーシアと手を繋いでいる事にもっと驚いた。


外ではおしどり夫婦と呼ばれている二人が、こんな風にして帰宅した事は一度もなかったからだ。


長年家政婦を続けていれば、言われずとも各家庭の事情は垣間見えるもので、口が堅い事を買われてこの仕事を続けているマーサは、インツォリア夫妻が実際は全く夫婦として成立していない事を最初から知っていた。


最初に疑問を抱いたのはリーシアの私室だ。


帰宅が遅いレオが、リーシアを起こさないための配慮としてベッドルームを別にしたと説明を受けた時にはそんなものかと思ったが、どれだけ日にちが経っても、シーツが洗濯に出てこないのだ。


一週間程度ならともかく、新婚家庭でそれが三週間も続けば疑惑は確信に変わる。


それならば、上手く外に愛人を囲うのかと思いきや、レオは一層仕事に熱を入れ始めて、他の女性に手を付ける素振りもない。


リーシアはというと、社長夫人の勉強に余念がない。


何とも摩訶不思議な夫婦だと思っていたが、結婚三年目にして漸く変化が訪れたようだ。


定期的に妻あてに届けられていたアレンジメントとは全く異なる、プリムローズだけで作られた大きな花束を抱えてリビングに戻ったリーシアは、マーサに大きな花瓶はあるかと尋ねた。


「結婚祝いで頂いたものがあったはずですから、用意しますね。立派な花束ですから、ダイニングテーブルの上にでも飾られます?」


「・・・えっと・・・その、この花束は、自分の部屋に飾りたいの」


「奥様のドレッサーの上に飾ると、お鏡使えなくなると思いますよ?」


「そ、その時はちゃんと自分で移動させるから!」


「言ってくれれば俺が動かすよ。花瓶は重いし水も入っていて危ないからね」


ソファでゆったりと紅茶を飲んでいたレオが、上機嫌で口を挟んで来る。


こんな風に夫婦が揃ってリビングで過ごす所をマーサは初めて見た。


いつも、マーサが仕事中に帰宅した時には、無言のままで各自の私室に戻っていたのに。


「っ私が出かける時にはあなたはもう会社に行ってるでしょう?」


「きみが起きる前に移動させてから出かけるよ」


「私が寝ている時に部屋に入らないで!」


「どうして?俺達は夫婦なのに?」


「だ・・だから・・それは」


「妻の私室に入ることも許されない程俺は愚かな夫なのかな?・・それとも、俺たちの間には越えられない壁でもある?」


可笑しいなぁと、喉を揺らすレオは終始上機嫌だ。


リーシアはどう切り返して良いか分からずに、マーサに助けを求める。


マーサはひょいと眉を持ち上げて、インツォリア夫人を見つめた。


そこには、新聞記事に書かれているような、妻の鑑と呼ばれる女性はどこにも存在しなかった。


ただ、夫から注がれる愛情を受け止めきれず困惑する愛らしいばかりの妻の姿だけがあった。


「よくよくご夫婦で話し合われた方が良さそうですね」


「え・・・待って・・マーサ・・」


「旦那様、お掃除も終わりましたし、お洗濯ものは片付いておりますので今日はもう失礼してよろしいでしょうか?」


「ああ、構わないよ。ご苦労だったね」


「奥様が軽食を摂られるかと思って、簡単な食材は冷蔵庫に入れてありますから」


「あ・・ありがとう・・ねえ、マーサ」


まだ帰らないでと、視線で訴えるもいつの間にかやって来たレオが柔らかく微笑んで、妻の肩を抱き寄せる。


すっかりマーサを見送る体勢になっている。


エプロンを手早く外したマーサは、一瞬だけレオと視線を交わすと辞去の挨拶をして、アパルトマンを出ていった。


ジリジリと夫から距離を取ろうと試みるも、さり気なく腰を抱かれてそのままソファへ腰を下ろす羽目になる。


話をしようか、と穏やかに切り出した彼の眼差しには射抜くような強い光が宿っていた。

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