第2話 仮面夫婦のなれそめ
名ばかりの男爵位で上流階級の端っこに籍だけ置いているアルネイス家の姉妹にとって、パーティーに参加するのは数年ぶりの一大イベントだった。
数年前に結婚して、市議の夫を持つ友人が、行き遅れ同然の姉妹を不憫に思い招待状を送ってくれた時には、顔も忘れかけていた彼女を神の如く崇めて拝んだ。
しかしながら、最新のパーティードレスなんてものは当然用意出来ない。
第二都市カンティーナタウンの片隅で、どうにか細々とその日暮らしを続けて来られたのは、偏に堅実な倹約家だった亡き母のおかげだ。
人柄の良さだけで生きて来た父を死ぬまで支え、家庭を守り、子供たちの行く末を案じながら天国へと旅立った母は、まさに良妻賢母の鑑のような女性だった。
最愛の妻を亡くした後、みるみるうちに生気を失くした父親は、間もなく病に倒れ、元からあってないようなものだった領地は父親の借金返済と生活費に消え、使用人は一人また一人と屋敷を去り、結局残ったのは、帰る家もなく、新しい仕事にありつけそうにない高齢の使用人だけ。
旧時代のような貴族社会ではないので、街にはいくつもの仕事があるが当然ながら女学校しか出ていない姉妹では、男性ほどは稼げない。
家族と使用人が食べて行くだけの食い扶持を稼ぐのは、いつの頃からかリーシアと、姉エレーナの役目になっていた。
裁縫が得意なエレーナはお針子仕事に精を出し、菓子作りが趣味のリーシアは、街の洋菓子店に働きに出ている。
二人の給金でどうにか始末して全員がひと月を過ごせる、という綱渡り状態の日々がかれこれ4年程続いている。
まだ家がどうにか男爵位の体面を保てていた頃に誂えた古いパーティードレスを、夜な夜な手直しして、どうにか二人分の衣装を拵えた。
招いてくれた友人夫妻に恥をかかせるわけにも行かない。
最低限の礼儀は果たさねば、お腹いっぱいの豪華ディナーにはありつけないのだ。
この日の為に毎日の食事を少しずつ削って、姉妹に色違いのリボンを贈ってくれたのは、二人が生まれた時から屋敷に居てくれた古参の使用人たちだった。
このリボンに報いるべく、日持ち出来そうな料理は片っ端から包んで持ち帰る予定にしていた。
立食パーティーとは名ばかりの交流会は、異業種交流が目的なので殆どの招待客は名刺交換目的でやって来るのだ。
料理目的でこの場に挑むのは、アルネイス姉妹くらいのものである。
最近の流行が、締め付けの無い柔らかなラインを描くドレスで本当に良かった。
出来る事なら明日の分も食べ貯めして帰りたいものだ。
「シア!久しぶりね、良く来てくれたわ」
評議会の大広間の入り口で、招待客を出迎える友人と久しぶりの挨拶を交わす。
女学校以来に会った彼女は、素敵な議員夫人に変身していた。
艶やかな短めの髪を飾るヘッドドレスは見たことのないデザインで、早速エレーナが食い入るように魅入っている。
高いヒールをものともせず、リーシアに歩み寄って親し気に抱きしめて来る。
ふわっと香る薔薇の香りは、彼女の魅力を余すところなく引き出していた。
商家の娘だった頃のお転婆な面影はどこにも残っていない。
「お招きありがとう。ルイス。嬉しかったわ」
「お父様の具合はどうなの?相変わらず病院に?」
「え・・・ええ。入退院を繰り返しているの、今は自宅に戻っているわ」
取り繕うような早口になったが、友人はさして気にも留めていないようだった。
本当は、入院費が高額で払う事が出来ずに自宅に戻っているのだ。
「ねえ、今日のドレスはどこの仕立屋のものなの?見たことの無いデザインのようだけれど。髪のリボンも素敵ね」
「姉が直してくれたのよ。針仕事が得意だから」
ラベンダーカラーのワンピースは、時代遅れのロング丈だったので、大胆に膝下までカットして、袖を短くして仕上げた。
癖のない真っ直ぐな烏羽色の髪を片側だけ編みこんで、使用人たちがプレゼントしてくれたラベンダーのリボンで結んである。
「ああ、そうだったわね!エレーナは授業中もこっそり刺繍を刺すような女の子だったわ!そしてあなたは昔から甘いものに目が無かった」
「覚えていてくれて嬉しいわ。周りはみんな奥様になってしまったから、気軽に会える友達もいないのよ」
「うちの主人は、女性の地位向上の運動を勧めているのよ。そのうち今よりずっと沢山の職業婦人が街を闊歩するから、もう少しお待ちなさいな」
「だといいんだけれど・・・」
そうなる前に、家が潰れてしまう可能性の方が高い。
「それに、今日パーティーに来ている男性は、身分の貴賤を問わない紳士ばかりだから、もう遅いだなんて言わずに、お姉さまと素敵な出会いを探しなさいよ。あなた達二人がこのままお嫁に行かずにおばあちゃんになってしまったら、お父様だって悲しむわよ。それにね、今日はカンティーナ家のご子息達も招待してあるの!お近づきになれるように祈ってるわ」
「ありがとう。そうね、そうさせて貰うわ」
ハンドバックに忍ばせた風呂敷が見えやしないかとひやひやしながら笑顔を浮かべる。
夫に呼ばれて手を振って立ち去る友人の輝かしい現在を見送ってから、入り口で別れた姉を探して視線を巡らせれば。
「わあ・・・すごいご馳走・・・!」
中央のテーブルには温かい料理が所狭しと並べられていた。
随分食べていない柔らかいステーキに、山盛りのチキン、バターの香る魚のソテーに、燻製、良い香りのするミートパイに、チーズがたっぷり乗ったグラタン、見た目も華やかなフィンガーフードの数々。
そして、何より素晴らしいのが色とりどりのケーキだ。
タルトにパイ、アイスクリーム、マカロンにシュークリーム、見ているだけで蕩けそうなチョコレートケーキにチーズケーキ、生クリームがたっぷりのショートケーキもある。
籠の中には焼き立てのクッキーが詰め込まれて、銀のトレーの上には大量のボンボンショコラや、カップに入ったトライフルが行儀よく並んでいた。
むんずと風呂敷を掴み取り、形が崩れないものを片っ端から詰め込もうと意気込む。
その前に味見も必要だ、美味しくないものをお土産になんて出来ない。
大義名分を手に入れたリーシアは、意気揚々と皿を掴んで、気になるメニューを次々と皿に盛りつけて行く。
我が物顔でテーブルの前を陣取る妹を見つけたエレーナが、追いかけて来た。
「シアちゃん、早速食べてるのねー」
「レイ、明日の食事の分も胃の中に詰め込んで帰るわよ、あ、これ美味しいわ。ミートパイは肉汁がたっぷり・・・紙ナプキンに包めば持って帰れるわよね?」
「みんな喜ぶわよう。チョコレートケーキは諦めて、パイとクッキーを多めに・・・あら、このチキン柔らかい・・・蕩けるわぁ」
二人で顔を見せ合って笑い合う。
時折料理を取りにやって来る人間もいるが、2,3品皿に乗せるとすぐに去って行くので、殆どこの場は貸し切り状態だ。
山盛りの皿を手に、会場の隅にある丸テーブルへと移動して、ひたすらに咀嚼して飲み込む、を数回繰り返した所で、胃袋が限界を迎えた。
抜かりなく持ってきた風呂敷に、一口サイズのミニパイとエッグタルトを包む。
満足げに頷いたリーシアの持つ風呂敷の口を、エレーナが自分の髪に結んでいたピンクのリボンで縛った。
その拍子にハーフアップに纏めていた緩い癖のある亜麻色の髪が肩まで落ちる。
「よし・・お腹は膨れたわ・・・レイ、何か飲み物を貰って来てくれる?私はクッキーとパイをもう少し詰め込んで来るわ、あ、待って、レイ」
自分の髪からラベンダーのリボンを解くと、エレーナの後ろに回って元通りに結い直してやる。
ふわふわの猫っ毛が綺麗に収まった事を確かめてから、もう一度中央のテーブルへ向かった。
「ありがとう。じゃあ、後でねー」
リーシアと同じように膨らんだ胃袋を押さえながら、エレーナがおっとりと返事をして、ドリンクが用意されたカウンターへ歩いていく。
見た目も中身もふわふわの綿菓子のようなエレーナは、実年齢よりも若く見られる事の方が多い。
一緒に出掛けると、姉に間違われるのはいつもリーシアの方だった。
グラスを持って転んだりしませんようにと祈りながら、再び中央のテーブルへと戻る。
綺麗に焼けたクッキーを、6枚、7枚と皿の上に乗せていると、隣から声が掛かった。
「このトライフル召し上がりました?」
見ると、20代後半とおぼしき男性が人当たりの良い笑みを浮かべている。
パーティーに出席するにふさわしい質の良いスーツの光沢からして、かなりのお金持ちだろう。
エレーナのおかげで、服飾に関する知識を覚えたリーシアは、目の前の男を実業家だろうかと当たりを付けた。
ポケットチーフと、ネクタイは、上品なミントグリーンで、艶のある髪と垂れ気味の目は栗色。
優男と呼ぶにふさわしい女性受けしそうな風貌だ。
「いえ、まだです」
「ぜひ食べてみて!カスタードクリームがどこの店のものより美味しいんですよ。パティシエの拘りを感じます」
そう言われると、ちょっと気になってしまう。
お土産用の食糧調達の筈が、つい、トライフルを手に取ってスプーンを掴んでしまった。
スポンジと生クリーム、カスタードクリーム、ラズベリーソースが層になって重ねられた見た目も鮮やかなそれは、彼の言う通り、クリームが圧倒的に美味しい。
滑らかな舌触りと、控えめな甘さが上品で、いくつでも食べれてしまいそうだ。
「美味しい!!!」
「でしょう!良かった。どなたも召し上がっていないようだったから、どうしてもお勧めしたくて」
「皆さん名刺交換にお忙しいようですものね」
「そういうあなたは?」
「私はー・・・古い友人に会いに」
食糧調達目的で、とは死んでも言えない。
「そうですか。僕は、付き添いで来たんですが、どうにもつまらなくて困っていたんです。でも、料理がこんなに美味しいなら来た甲斐があったなぁ」
「ええ、本当に!あ、ミートパイは召し上がりました?これもとっても美味しいんですよ」
「おっと、それはぜひ食べてみないと!」
リーシアのお勧めに早速手を伸ばした彼が、その場でがぶりと大口を開けてミートパイに噛り付く。
柔らかい印象の彼の豪快な仕草に、思わずあっけに取られて笑ってしまう。
唇についた油までぺろりと舐めて、彼は美味いと朗らかに笑った。
見ているだけで幸せになってしまう位、あたたかな笑みだった。
胸の奥に広がったくすぐったいような、もどかしいような感覚は随分と久しぶりで、ああ、これはときめきだと、どこか冷静な頭で思う。
不躾にならないように、優し気な彼の横顔を眺めていたら、ドキン、と胸が鳴った。
身分の貴賤に拘らない紳士ばかりが、集うパーティー。
友人の言葉が甦って来る。
けれど、社交らしき社交をした試しがないリーシアは、どう彼に話しかけて良いのかさっぱりわからない。
迷いながら、会場に視線を巡らせれば。
「あっ!!!」
会場の端で、男性客にペコペコ頭を下げている姉の姿を発見した。
早速何かのトラブルに巻き込まれてしまったようだ。
「ちょっと失礼します!」
早口に言って、駆け足にならないようにエレーナの元へ駆けつける。
「レイ!!!」
何事かと呼びかければ、エレーナが泣きそうな顔でこちらを振り返った。
「どうしたの!?」
「私がぶつかって、お洋服を汚してしまったの」
見ると、前に立っている長身の男性のスーツの袖が赤く染まっている。
よりによって赤ワインを零したようだ。
胸元のハンカチーフを抜き取って、適当に袖口を拭う男性は、近寄りがたい空気を醸し出している。
さっきまで話していた男性とは正反対の、硬質な印象を抱かせる黒髪と、涼やかな切れ長の目、感情が浮かんでいない表情からは、怒っているのかどうか伺うことは出来ない。
「何てこと!!申し訳ありません!!」
クリーニング代を考えると血の気が引いて来る。
勢いよく頭を下げて、エレーナ共々精一杯謝罪した。
上流階級の集まりで不作法だと詰られでもしたら、招いてくれたルイスに迷惑をかけてしまうことになる。
「いや、こちらも不注意だったので、お気になさらず」
静かな声音で返した男は、濃紺のスーツの袖を軽く払ってすぐに背中を向けてしまう。
「あの・・お詫びを!」
「いや、結構だ。大したことじゃない」
平坦な声で返されて、再び謝罪を口にしたリーシアの横で、髪に結ばれていたリボンを解いたエレーナが、彼に一歩近づいた。
「お詫びにもなりませんが・・・あの・・これを・・ハンカチーフの代わりに・・・」
震える声でさっきリーシアが結んだ幅広のラベンダーのリボンを差し出す。
「・・・ああ・・ありがとう」
一瞬瞠目した彼は、すぐにリボンを受け取ると、そのままパーティー会場から出ていってしまった。
お咎めなしで心底ほっとしたが、相手が別の誰かだったならば騒ぎになっていた可能性もある。
ドリンクをお願いした事を今更ながら後悔しつつ、隣でしょげるエレーナをねめつけた。
「もう・・・冷や冷やしたわよ・・・歩くときはちゃんと前を見て」
「見ていたわよぅ。でも、シアちゃんが嬉しそうにデザートを眺めているのが見えたからつい」
「つい、余所見したのね?」
「ほんの一瞬よ。でも、良かったわ・・・弁償しろって言われたって、うちのお金じゃせいぜい買えてハンカチ一枚よ」
「そ、そんなに高級なスーツだったの?」
「そうねえ・・・私たちのドレスが二着は作れるんじゃないかしら・・・ああ、良かった」
胸をなでおろすエレーナの隣で、リーシアは、どっと肩の力が抜けるのを感じていた。
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