第86話 ヒルダ視点 クロ、頼みましたよ
「次は、ユリアンダルス君とバタリラ君。準備したまえ」
「「はい」」
先生に名を呼ばれ、わたくしはすぐに返事をして立ち上がりました。学院では機敏な動作が要求されます。それは、この学院が軍学校の側面を持っているからです。卒業生の実に7割以上、特待生クラスにいたっては、ほぼ10割が軍へと進むため、必然的にそうなったと聞いています。
元々は、貴族のための優雅で華やかな学院だったようですが、5代前の国王【強王】アグルレスハイム陛下が、軍拡の一環として、優秀な魔力の資質を持つ平民の入学を認められてから、徐々に学院全体が軍の色に染まっていったと聞いています。
一応、貴族クラスでは、優雅で華やかな伝統が残っているそうですが、平民クラスと呼ばれることもある特待生クラスでは、軍の影響が色濃いです。
「いきますわよ、クロ」
わたくしは、己の使い魔リノアではなく、クロムを呼びます。そうです。リノアが妊娠中で無理ができない体のため、アリアさんの使い魔であるクロムを借りているのです。
元はと言えば、クロムがリノアを妊娠させたことが原因なので、クロムがリノアの代わりをするというアリアさんの案です。そんな無理が通るわけがないと思っていましたが……意外にもすんなり通ってしまいました。
なんでも「戦場では、主を失った使い魔と、使い魔を失った主がペアを組むこともありえる」とおっしゃっていました。面白い試みだと学院の上層部の許可も得たようです。
平民クラスと揶揄されることもありますが、特待生クラスは優秀な魔力の資質を持つ、将来の軍の主力となる生徒たちです。その教育を任されている時点で察してはいましたが、先生はやり手のようですね。一教員の意見を学院の上層部が聞き入れるのですから。わたくしとしては幸運でした。もう少しで留年するところでしたから。
「にゃーぉ」
アリアさんの傍に居たクロムが、わたくしの呼びかけに応じてノシノシとやってきます。リノアよりも二回りは大きい精悍な顔立ちの黒猫。リノアには無い貫禄がある気がします。アリアさんの話では『猫の王様』らしいですが……普通なら、どこまでその話を信じて良いのか迷うところですが、クロムを見ていると、なぜだか納得してしまいます。これが王の貫禄というものかもしれません。
ですが、そんなクロムの左手に白いミサンガを見つけて、少し微笑ましく思います。リノアの話ではクロムもミサンガを気に入っているとか。鈴も気に入ってると聞きましたし、クロムは意外とかわいい物が好きなのかもしれません。
そんな意外な一面を持つクロムと共にグラウンドの中央へと歩きます。これから模擬戦です。相手は、ガラスの金魚鉢を持つ同じクラスの女子生徒、カサンドラさんと、その使い魔、金魚のルーイです。
小さな、それこそクロムなら一口で食べれてしまいそうな小さな使い魔ですが、油断はできません。相手は、クラス第三位の実力者です。水を生み出し、自由に操る強力な魔法の使い手。その戦い方は、影を自在に操るクロムと、どこか似ているかもしれません。
そして、その強力な使い魔の主であるカサンドラさんも、腕の良い魔導士です。わたくしとカサンドラさんでは、悔しいですけど、カサンドラさんに軍配が上がります。わたくしは、彼女に魔術戦では負けっぱなしです。一度も勝てたことがありません。
魔術戦は、生徒同士で行う模擬戦です。使い魔の力を借りず、生徒同士で魔術の腕を競います。わたくしの魔術戦の戦績は、あまりよろしくありません。
わたくしは、魔力の資質という点で、特待生クラスの中では下の下です。わたくしは、特待生に求められる魔力の資質の基準をギリギリで満たしている、言ってしまえば特待生の底辺がわたくしです。わたくしが魔術戦で安定して勝てる相手は、アリアさんくらいでしょう。他の方が相手だと、力負けしてしまうのが実情です。それでも知恵を絞り奇襲をかけ、たまに白星を拾っていますが、その程度です。魔術戦の戦績は、アリアさんに次いで下から二番目。それがわたくしの実力です。
クロムには申し訳ないですけど、主の力の差は歴然。この差をクロムにひっくり返してもらう必要があります。
「クロ、貴方は自由に動いてください。わたくしが貴方をサポート致しますわ」
「なぁー」
わたくしにはクロムの言葉が分からないことも不安要素の一つ。クロムにはわたくしの言葉が理解できているはずですが……ここはクロムを信じるしかありませんね。
幸いなことに、クロムは信じるに値する猫です。リノアを孕ませたのは、ちょっと、いえ、かなりビックリしましたけど、あれはリノアも望んでいたことのようですし……。本猫同士が納得しているのなら……でも、クロムは他にも女を作っていそうな気配がしますし……。クロムが言っていたように、あまり人間の倫理観を押し付けるべきではないのかしら?でもそうすると、リノアが憐れなことに……。
考え事をしていたら、いつの間にかグラウンドの中央に着いていました。
今は、模擬戦に集中しないと。
「クロ、頼みましたよ」
「にゃ」
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