第84話 番

「………せん…!」


 その時、リノアの鈴を転がしたような声が微かに聞こえた。皆の視線が、リノアに集まる。


「わたくしは!クロムさん以外と交尾してません…!」

「そうか…」


 リノアはどうやら珍しいタイプの女のようだ。一途と言えばいいのかな。まぁ単純に我以上に強い猫など居ないから、我としか交尾しなかったのかもしれないが。


「これからもです!これからもクロムさん以外と交尾なんてしません!」


 ふむ…。ここまで言われれば、我にもリノアの思いが伝わってくる。たぶんリノアは、人間のように我とつがいになりたいのだ。


「だから、だからわたくしと……」


 思えば、リノアは幼い少女時代からヒルダと共に人間に囲まれて生きてきた。おそらく、リノアの中の考え方や常識といったものは、かなり人間の影響を受けている。


「わたくしと一緒に居てください!」


 そして、それが分かってしまう我も、知らず知らずの内に人間に染められていたのだろう。


「ほら、女の子にここまで言わせたのよ。なんとか言いなさいよ」


 アリアが急かすように我を揺さぶる。


 分かっている。分かっているから揺らすな。もう本当に吐いちゃいそうだ…うっぷ。


「…いいだろう、リノア。貴様を我の番にしてやる」


 言った瞬間、頭に軽く衝撃が走った。アリアに頭を叩かれたのだ。


「なんであなたは、そう上から目線なの!?」

「我が偉いからだ」


 猫の世界では強い者が偉いのだ。


「リノアはいいの?クロはこんな感じだけど…?」


 アリアがすごく申し訳なさそうにリノアに問う。なぜ、そんな卑屈な態度なんだ?仮にも我の主なのだから、もっと堂々としていてほしい。


「いいんです、そういう猫だって分かってましたから。でも、いつか絶対振り向かせてみせます!わたくし抜きでは生きられなくしてあげますから!」


 笑顔で物騒なことを言うリノア。冗談だよな?でも、その宝石の様な青い瞳は真剣そのものだった。その様子に背中がゾクリとし、少し気圧されるものを感じた。我の方が強いのに、なぜだ…?



 ◇



「本人…?本猫同士の意思が確認できたのは良かったのですけど……他にも問題がありますわ」


 そう嘆くのはヒルダだ。なにやらまだ問題があるらしい。我はもう考えることを放棄して昼寝したい。


 だが、そんなこと言ってられそうにない雰囲気だ。皆がヒルダの発言に憂い顔を見せる。どうやら、その問題とやらを知らないのは我だけらしい。


「その問題というのは?」


 そう言ったら、また頭に軽い衝撃が走った。またアリアに頭を叩かれたのだ。アリアめ、我の頭をポンポン叩きおって…!


「あなたのせいでしょ。少しは当事者意識を持ちなさい」


 なんと、その問題とやらは、またしても我が当事者らしい。またか…。正直、もう勘弁してほしい気持ちでいっぱいだ。昼寝したい。


「今日、学院の獣医の方にリノアを診ていただいたのですけど……」


 リノアのお腹が膨らんでいるのを不審に思ったヒルダが、獣医にリノアを診せたことが、事の発端らしい。その時、リノアが妊娠をしていることが分かったそうだ。学院の獣医の診立てならば信頼できるな。確かな事実なのだろう。


 そう言われて見れば、リノアの腹はちょっと膨らんでいる気がする。


 そして、お腹の仔猫の父親捜しが始まり、リノアが白状したことにより、我が皆に吊し上げられる羽目になった訳だ。だが、それは済んだ話だ。他の問題とは何だ?


「獣医の方に、リノアが激しい運動をすることを禁じられてしまって……」


 まぁ妊婦だからな。野生ではそうも言っていられないが、たしかに激しい運動は良くないだろう。避けられるなら避けるべきだ。


「授業を一部、休まざるを得ません」


 使い魔と一緒に受ける授業は基本戦闘訓練だからな。リノアは休まざるを得ないだろう。それの何が問題なのだ?


「そうなると、今度はわたくしの単位が……」


 人間の考える仕組みは聞いてもよく分からなかったが、このままリノアが授業を休むと、ヒルダが学院を卒業できなくなってしまうらしい。留年といって、もう一年学院に縛られることになるようだ。


「ヒルダ、わたくしなら大丈夫ですわ」

「いけません!貴女は大事を取って休むべきです」

「でも……」


 ヒルダはリノアの身を案じてくれるらしい。しかし、学院は卒業したい。


「リノアの為なら一年くらい、どうということはありませんわ」


 ヒルダは、学院を卒業したらハンターになると夢を語っていた。本心では早く卒業したいのだろう。だが、リノアの為にもう一年学院に留まることを決めたらしい。リノアは良い主に巡り会えたな……。


 ヒルダの決意に心の中で喝采を送っていると、アリアがおずおずと手を上げる。


「その…元はと言えば、こうなったのもウチのクロが原因ですし、クロ貸しましょうか…?」

「なに…?」


 突然名を呼ばれてビックリする。


「どういうことでしょう?」


 ヒルダも困惑を浮かべていた。


「えっとですね…。ヒルダ様は、授業の時だけリノアの代わりにクロを使い魔として扱うんです」


 アリアの考えは単純なものだった。そんな考えが通るわけないだろうに……。



 ◇



「事情が事情だからね。いいよ」


 通ちゃったよ……。

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