第83話 猫の常識
「クロぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
いつものように中庭でイノリスと一緒に日向ぼっこをしていたら、我の名を呼ぶ声が聞こえた。アリアの声だ。そちらに目を向けると、アリアがスカートが翻るのも構わず、全力疾走でこちらに向かって来るのが見えた。すごい形相を浮かべている。あれは怒りの顔だろうか?今ではもう慣れたが、人間の顔はだいたいハゲているから感情が読みにくい。アリアにもヒゲが生えればいいのに。そしたら顔色を読むのが簡単になる。
「クロおおおおおおおお!」
アリアが我を抱き上げて、前後にぶんぶん揺さぶる。首ががっくんがっくん揺れて、視界もぶんぶん揺れる。
「ゃめろぉおぉおぉおぉおぉおぉお!
体が揺らされているせいで、我の声まで揺れる。だんだん気持ち悪くなってきた。吐きそうだ。
「クロ!」
アリアがやっと我の体を揺さぶるのを止める。そして我の顔を睨み付けるように鋭い視線を寄こす。
「いい?正直に答えなさい」
アリアの赤い瞳が、嘘は許さないと強い意思を感じさせる。
「何だ?言ってみろ」
いきなり我に対してこの仕打ち。言い訳があるなら聞こうじゃないか。そんな気持ちで我はアリアの瞳を睨み返す。
「クロ。あなた、リノアに変なことした?」
変なこと?アリアは何を言っているんだ?なぜ突然リノアの話が出てくる?
「変なこととは何だ?」
「それは……」
アリアが口ごもる。アリアは何を言いたいんだ?
「とにかく!変なことは変なことよ!」
アリアが叫ぶが、ちっとも意味が分からない。変なことって何だ?
「アリアよ、まずは落ち着け。我がリノアに対しておかしなマネをするわけがないだろう?」
我はとりあえずアリアを落ち着けることにした。今の興奮したアリアでは話にならないと思ったためだ。
「しらばっくれる気!?」
しかし、アリアは我の言葉を聞くなり激高する。なぜだ?
「男ってその辺いい加減だってよく聞くけど、あなたもそうなの!?見損なったわ!」
なぜかアリアの中で我への評価が著しく下がったらしい。解せぬ…。
「まぁ落ち着けアリア。アリアは何の話をしてるんだ?」
「あなたがリノアにおかしなマネしたせいで……」
「待て待て待て!なぜ我がリノアにおかしなマネをしたことになっている?」
我はリノアをいじめたりなんてしていない。むしろ大事にしている。関係も良好と言っていい。なぜ我がアリアに責められているのだろうか?
「証拠があるのよ!」
「証拠だと…?」
アリアは何を言っているだ?証拠?我がリノアをいじめた証拠があるだと?なにをバカなことを言っているんだ。そんな証拠あるわけがない!
「まぁまぁアリア。クロちゃんもいきなりのことで驚いているでしょうし……」
レイラが我とアリアの仲裁に入ってきた。たしかに、いきなりこんな言いがかりを付けられて我は驚いている。やっとまともに会話できそうな相手の登場に我は安堵した。レイラならば、我が濡れ衣を着せられたのだと分かってくれるだろう。
「でもレイラ!クロったらしらばっくれる気なのよ!」
「まぁ!」
アリアの言葉に、レイラが我を非難するような目で見てくる。なぜだ?
「クロ男らしくないぞー!」
いつの間にかやって来ていたルサルカにまで詰られる始末だ。なぜこんなことになっているんだ?訳が分からない。
その時、中庭にもう一人の人物が姿を現した。輝く金髪を靡かせたヒルダだ。腕にリノアを抱えてこちらに向かってやって来る。その顔は、今まで見たこともないような、なんとも言えない顔をしていた。嬉しいことだけど素直に喜べない。そんな二つの相反する感情が混ざったような顔だ。
「クロムさん…」
ヒルダの腕に抱かれたリノアが我を見る。もう一匹の当事者の登場だ。リノアが証言してくれれば、全てが誤解だったと皆に分かってもらえるはず。我は期待を込めてリノアを見る。するとリノアは、恥ずかしそうに我から視線を外した。だが、完全には視線を外さない。チラチラと我を見てくる。何だこの反応は?
「クロ…」
ヒルダが我を見て言う。
「あなた、リノアを抱きましたね?」
ヒルダには確信があるようだ。リノアから聞いたのかな?
「ああ。抱いた」
「やっぱり変なことしてたんじゃない!」
アリアが我から言質を取ったと言わんばかりに厳しい目を向けてくる。
「アリアよ。交尾は変なことではない。普通のことだ」
「普通じゃないわよ!」
アリアが顔を赤らめて叫ぶ。交尾は普通のことだと思うのだがなぁ…。
「まぁまぁアリア。今大切なのは……」
レイラがアリアを宥めて我とリノアに視線を送る。何の目配せだ?
「どうします、リノア。あなたから言いますか?」
「はい…!」
ヒルダの言葉にリノアが決意を込めて頷く。リノアの青い瞳がまっすぐ我を見た。
「クロムさん!その…わたくし……。孕みましたわ…!」
「ほう…」
なんとリノアが孕んだらしい。
「誰の子だ?」
そう言った瞬間だった。
「クロ…」
皆から今まで見たこと無いような冷たい蔑んだ目で見られる。何で?
「あなたって奴はぁぁあああああああ!」
アリアが我をまた前後に高速で揺すり始めた。体がガクガクと揺れ、視界もガクガク揺れる。これめちゃくちゃ気持ち悪い。止めれ!
「誰の子か分からんだろぉお!?」
リノアを抱いたのだ。我の子もお腹に居るだろうが、他の男の子もお腹に居るだろう。猫は一度の妊娠で複数匹の子を孕むが、その全てが我の子とは限らないのだ。
普通、猫の女はより強い男と子どもを作りたがる。発情期間中に今の男より好みの男を見つけたら、その男に乗り換えることも普通にある。よって、猫の女は発情期間中に複数の男に抱かれていることが多い。たぶんリノアも他の男に抱かれているだろう。
まぁ猫の交尾は女が主導権を握っている。女に気に入られなければ交尾することはできない。無理やり迫ると、逃げられたり、パンチされたりして交尾どころではないからな。人間のように男に無理やり手籠めにされるなんて状況は、猫ではありえない。
よって、リノアは気に入った相手との子どもを授かったわけだ。我以外に気に入った相手が居るなどモヤッとするものを感じないでもないが、我だってミケを始め他の女と交尾している。そこはお互いさまだろう。
「という訳だ。一度に一人しか孕まん人間とは、そもそも考え方が違うのだ」
さんざんアリアによって揺さぶられた後、我は冷たい蔑みの視線を向けてくるアリアたちに弁明していた。
「我以外にリノアが気に入った相手というのが気になったから訊いただけで、我の子どもと認知しないわけでもなければ、人間のように不貞を疑って訊いたわけでもない」
我の言葉を聞いて、蔑みの視線は若干和らいだ気がする。
「あまり人間の基準を押し付けてくるな」
「それはそうでしょうけど……」
アリアが納得のいかなそうな顔をしているが、これが猫の常識なのだから仕方がないじゃないか。
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