第22話


 エルネシア連峰、その七つの山の連なりからなる場所の東から三つ目、第五山であるナルプは山全体が一つの岩石のようになっている。


 足場はどこもゴツゴツと硬く、傾斜は急勾配だったり平らだったりとバラバラで、周囲の山と比べるとその形はかなり歪だ。


 ぺんぺん草も生えないほど荒れているその山は、しかし大地が生み出した天然の要害であった。


 水はけが悪い足場は天然の堀となり、切り立った崖は矢を射かけるのに丁度良い足場となり、馬の通れぬ細く狭い通路は迷路のように人を迷わせる。


 遠目に見るナルプ山は、赤く染まっていた。


 近くへ寄れば血の臭いが強く漂い、それにあてられた野生の獣達が興奮気味に近寄ってきている。


 ナルプを染めた鮮血は、即ちそこに元々住んでいた先住民族の血であった。


 長い間降伏せず、その攻略を手間取らせたことが、この惨劇の原因だった。


 ナルプの天頂に近く、周囲の光景を見渡せる場所に一人の男が立っている。


 彼は腕を組み、眼下の血だまりを見て笑っていた。


 そして次に顔を隣のシーラ山へと向け、更にその先にある何かを見据えていた。


 筋骨隆々とした大男は、戦装束である赤と緑の布を編んだ衣服に身を包み、腰には山刀を提げている。


 頬には獣に引っかかれたような白くなった傷痕があり、黒い髪の生える頭皮にまで続いている。


 よく見れば全身にも数えきれぬほどの戦いの跡が残っており、その風格は彼が歴戦の戦士であることを容易に想像させた。


「族王様、失礼致します」

「何用か?」

「は……シーラ山の者達へ降伏勧告を出したのですが、彼らはやって来た使者を切り殺し敵対する姿勢を露わにしたとのことです」

「バカなことを……祖霊なんぞに縋り、機会を逸するとは」


 族王である彼の名はトティラ。


 ナルプ、ガル、アッティラの三山を征服し、山の民中へその名を轟かせている男である。


 トティラは常々思っていた。

 自分たち山の民は、他の民族達と比べ決して劣ってはいないと。


 騎馬の技術、馴致の技術、魔物を狩る技術。

 誇るべきところはたくさんある。


(だというのに平原の民は自分たちを蛮族と蔑み、連合の烏合の衆達は敗者の末裔とのたまっている!)


 トティラにはそれが許せなかった。

 そして許せないのであれば、行動に移し、結果として示すしかない。


 山の民は強い。

 武力を以て、戦という場でそれを示すのだ。


 世界に山の民あり、山の民に族王トティラありと凱歌を流すために。


 彼は己の故郷であるアッティラの方をちらりと向いてから、後ろを振り返る。


 そこには何十もの戦士達が膝を折り頭を垂れていた。


 元はトティラの父親の代からいるものや、他の氏族の中でも一際有能な戦士達を引き抜いて作った、親衛隊員達である。


 その中にはトティラの考えに共感し、彼の生き方に憧れているものも多かった。


「祖霊が我らを守ってくれたことが一度としてあったか?」

「「否、断じて否!!」」


「夜襲は我らに天罰を与えたか?」

「「否、族王の行動こそ即ち天意なり!!」」


 トティラは山の民達の中で、ひどく開明的な考えを持つ者であった。


 彼は戦士であるのと同時に、優秀な軍師でもあったのだ。


 頭が良い分、彼は常々思っていた。

 何故平原の民はあれほど富み、我らは痩せ衰えた大地に坐さねばいけないのか。


 その理由が祖霊の、そして祖霊が住まうとされる山々への信仰にあることは考えればすぐにわかることだった。


 山から出ようとせず、一つ所に住もうとする硬直性が山の民の住む土地を年々貧しくする。


 祖霊が見ているなどという理由でバカ正直に真っ正面からのぶつかり合いしかしないせいで戦士達は無駄に損耗するし、略奪をしにいった者達も平原の民に策で負けるのだ。


 故にトティラは否定する、今まで山の民が築き上げてきたものの全てを。


 それをしなければ、山の民に未来はないと彼は確信していた。


 山の民の生活様式は他民族とは相容れない。

 ならばそれを破壊し、勝つために必要なものを一から作り上げねばならない。


 草食み共からでも学ぶべき所は学び、俺は山の民達を一つにまとめ上げる。

 そしてトティラの名を、恐怖と共に大陸全土へ響き渡らせるのだ。


「そういえば、シーラ以西の三山はどうなっている?」

「それが……」

「その首を落とされたいか?」

「ひぃっ!? 既にマーブ山はトッドなる者に制圧されております! 第三山へ向かった者は未だ連絡が取れておりません! 最悪を想定するのなら、既に制圧されているものかと!」


 トティラは顔面蒼白になる連絡員の言葉を反芻していた。


 彼は情報の有用性を何より知っている。


 そのため既に自分とは別の支配勢力が山の民に生まれ始めていることは知っていた。


 氏族の戦士と己を鍛え上げ、行動に出ることを決意してから三ヶ月。


 怠惰な己の父を殺し、族長となり、数を減らしては増やしつつトティラはここまでやってきた。


 だがそいつは今までのトティラの努力を嘲笑うかのように、第一山ニングを瞬く間のうちに攻略し第二山マーブまでその手を伸ばしている。


 男の名はトッド、詳細は不明だがなんでも相当の猛者であるらしい。


 トティラとて山の民、本来なら強者の登場は嬉しいことではある。


 だが今回の場合はまた話が違う。

 というのもそのトッドなる人物は平原の戦士だからである。


 トッドの部下の戦士達もまた屈強であり、その圧倒的な力を用い彼は瞬く間に支配領域を広げているという。


 自分が蹶起を決意してから動き出したそのタイミングの良さは、まるで何者かが裏で糸を引いているように不気味さがあった。


 もしかすると、その人物こそが神が自分に下した神罰なのではあるまいか。 

 馬鹿らしいとは思いつつも、そう考えなかったと言えば嘘になる。


 だが己は山の民の王、迷信を祓い新たな礎を作る族王トティラである。



 トティラは意識を戻して現状を分析し始めた。


(三山まで制圧されているとは思っていなかった)


 彼の予測では未だトッド達はマーブのあたりで氏族を拡大しているとばかり思っていたからだ。


 進軍速度が上がっているのか、それとも何かしらの策を用いたのか。


 なんにせよ想定外のことが起こっているのは間違いない。


「何があった?」

「それより先は私が。どうやら彼らは各山々に私たちと同じように降伏勧告を出しているようです。ですがその中身が、大きく異なっているらしく……」


 諜報員として働かせている戦士から出てきたのは、馬鹿馬鹿しくなるような話であった。


 そのトッドという男は、山の民達にこう触れて回っているという。


 自分は山の民の文化を尊重し、この場所にいる限りはあなた達の掟にも従う。

 平原の文化を押しつける気はないし、あなた達は好きなように暮らしてくれて構わない。

 だが山の民の文化を壊そうとする、トティラという男がいる。

 彼を討つために、力を貸してはくれないだろうか。


 ふざけるなと、族王となり落ち着きを得る前のトティラなら激高していただろう。


 情報を出した諜報員のことを殴り殺してしまっていたかもしれない。


(草食みが、山の民の文化を守る? それはいったいどういう冗談だ。そんな戯れ言を、本当に信じたのか。まったくいいように騙されおって。平原の民は狡猾だ、口車に乗せて騙すくらいのことはやってのける)


 トッドに山の民が併合されれば最期、我らの文化・文明は跡形もなく消え、その上に新たな彼らの文化が築き上げられるだけだというのに、なぜそれがわからない。


 激昂しそうになる自分を戒めながら、トティラは努めて冷静なフリをし続けた。


「それで奴らはほだされた、と?」

「はい。おまけに女性を奪わず、食料を供給すると約束をしているのも大きいようです」


 向こうは山の民の厳しい食糧事情を見抜いている。


 更に国へ戻れば女もいるから、わざわざ奪う必要がない。


 そういった即物的な部分は、たしかに人を揺るがせるには適しているだろう。


 文化云々などという美辞麗句より、そちらの方が切迫した問題だ。


 トティラもトッドも好ましくはないが、どうせどちらかにつくのなら……とあちら側に傾いたのは想像に難くない。


 もしかすると既にトティラの氏族に入った者達の中からも、離脱者が出るかもしれない。


「やられたな……今の我らには、奴らと同じ事はできん。武力ではなく交渉で引き入れるなら、兵の損耗もない」

「ですが一応、向こう側にも反発する者達がいるようです。以前氏族を抜け出てきた者達の一部から、こちら側に戻りたいという連絡が来ていると」

「ふむ、そういうこともあるか……草食みと意見が合わないこともあるのは収穫だ。元の氏族に戻しておいて構わん。ただある程度の事情聴取はしておけ。なるべく情報を吐き出させてから帰らせるように」


 向こうも一枚岩ではない、ということだろうか。

 やはり平原の民につくことをよしとしないものもいる。

 トッドのやり方は穏当すぎるため、ぬるいと感じる者もいるのだろう。


 トティラは強権や恐怖を以て氏族を纏めている。


 元々の気質としては、どちらかといえば彼の氏族の方が好ましく見えるはずだ。

 山の民は闘争を楽しみ、戦を愛するのだから。


 抜ける者達と入ってくる者達で帳尻が合うとすれば、勢力はこちらに優勢。


 だが大局を決めるほどの差ではない。

 こうなってしまうと、ナルプを落とすのに時間をかけすぎたことがあまりに惜しかった。


 トティラは歯噛みしながら、見えているシーラ山を見つめる。


 彼の山の動向は、既に今まで以上に大きな意味を持ち始めている。


 向こうは戦力を整えるために相当な速度で進軍を行っているらしい。


 となればあちら側とかち合い、偶発的な戦闘が起こる可能性も考えねばならないだろう。


 シーラを落とすことは重要だ。


 今の自分達が布陣しているのが天然の要塞であるナルプ、守るに易いがその分馬上戦闘が出来ぬという欠点もある。


 諸々を加味した上でトティラは答えを出した。


「シーラを落とし、そのままトッドの氏族まで攻め入る。全山の民に通達しろ。老若男女問わずありったけを動員、総掛かりだ」


「「―――はっ!!」」


 未だ数では自分たちの方が優勢。


 そして山の民は騎馬民族であるがゆえに、防戦よりも攻戦を得意とする。


 故にこの場面で最も強力なのは、数と勢いに任せた力押しのはずだ。


 敵は山の民の文化を尊重するなどとのたまう平原の民。


 それなら恐らく戦いは、両者の雌雄を一戦の下に決する会戦となるだろう。


 トティラはかつてないほど大規模な戦いが起こることに身を震わせながら、命令を下達する兵士達を満足そうな顔で見つめていた……。

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