第9話
「兄上が行かなくてもいいじゃないですか! 兵を動かすなら僕からも口添えをします! どうしてわざわざ自分で……」
「――聞き分けておくれ、エドワード。僕は彼らの危険性を、そして有用さを誰より知っている。僕以外の人がやれば、間違えるかもしれない。そしてそれが致命的なミスにつながる可能性もゼロじゃないんだ」
後の災いの芽となるトティラを倒し、山の民を仲間に加えながら戦う。
それだけならば、きっとある程度兵を預かったライエンバッハにもできるだろう。
だがこの世界は、『アウグストゥス ~至尊の玉座~』と似てはいるが、だからこそ見えてこない部分というものもある。
ゲームで描かれていない部分にも、人間の営みは確実に存在しているのだから。
ハルトが狂気に身を委ねるきっかけとなるはずだったレンゲのような人間が他にいるかもしれない。
有能なら取り込み、危険なら対処しなくてはいけない。
そういったイレギュラーに対応できるのは、トッドだけだ。
そもそもそれを異常だと認識できるのは、この世界ではトッドだけなのだ。
「僕ならやれる……ううん違う、僕しかやれないんだ。やり遂げて、そして絶対に生きて帰ってくるよ。約束する」
気付けば、身体の震えは止まっていた。
死ぬかもしれないという恐怖も、どこかへ飛んでいってしまった。
エドワード、タケル、エネシア、アナスタシア。
可愛い弟妹達を今後も支えていくためには、たかが山の民ごときでつまづくわけにはいかない。
トッドの目に覚悟の炎が灯る。
彼がこの世界に生まれ落ちてから出会ってきた、たくさんの人達。
彼らはトッドにとって、前世でやっていたゲームのキャラクター達ではなく、生きた人間だった。
「だから、そんな顔しないでくれ。自分で言うのもなんだけど、今回持ってく武器は自信作なんだ。たかが山の民ごとき、ものの数じゃないよ」
エドワードの髪をゆっくりと撫で、落ち着かせる。
普段から梳かれているからか、彼の金色の髪はさらさらと手櫛をなぞるように通っていく。
されるがままなエドワードは自分の醜態に気付き、頬をピンク色に染めていた。
「あ、あの兄上、恥ずかしいです……私はもう十歳で……」
「僕が十歳の頃は、ただ毎日ライと木剣を打ち合わせてばかりだった。それと比べればエドワードの方がずっと頑張っているさ」
それはトッドの掛け値のない本音だった。
前世の分の貯金を使って神童などと言われていた自分とは違う。
エドワードは正真正銘の天才だ。
既にスラドでは勝てなくなってしまったし、何個かあるボードゲームでも、トッドでは追いつけぬほどに頭の回転が速い。
最近は魔法の勉強も始めたらしいし、自分が受けずに済ませた帝王学なんかも父からみっちりと習うことになるはずだ。
一体彼がどんな風に成長するのか、これから先の将来が楽しみで仕方ない。
だがどうやら、エドワードの自己評価は自分とは随分と違うらしい。
落ち着いた彼の顔は俯き、ひどく弱々しい態度をしている。
「私は……兄上みたく、身体を動かすことが得意ではありません。それに兄上ほど根気強いわけでもなく、人を従えるカリスマもありません。だからせめて何か一つくらいはと、自分の頭を鍛えてきたつもりです」
「……僕なんて、そう大したやつじゃないよ。ただ幸運と奇跡が重なって、そんな風に見えてるだけさ」
「――そんなことありません! 兄上は物語に聞く、大空を駆けるペガサスのようです。あなたは誰からも縛られない。そして空を自由に飛ぶ姿は、あらゆる人を魅了する」
エドワードは一体自分のことを、どれだけ凄い人間だと思っているのだろうか。
そう思わずにはいられなかった。
トッドという人間の自己評価は驚くほどに低い。
言ってしまえばこの世界の攻略法を知っているという圧倒的なアドバンテージがあるだけなのだ。
自分でない誰かが転生していたら、きっともっと上手くやれていただろう。
父や母に詳しい説明をしないのは、今しても彼らを説得できるだけの弁舌を振るうことができないからだ。
ライにボコボコにされ続けたのは、機動鎧の感覚は肉体のものに準じるとわかっていたからだ。
土魔法と風魔法に習熟したのは、自分がやらなければ他に頼れる人間がいなかったからだ。
ハルト達を引き抜いたのは、そうしなければ不利益を被るとわかっていたから手を拱いていられなかっただけ。
自分は知っている知識をそれっぽく話しただけで、それを形にしたのはハルトとレンゲの二人の功績だ。
本来仕えるはずの父にも黙って色々と協力してくれるライエンバッハのおかげで、トッドは自分に合うようにシラヌイの出力を調整することができた。
トッドは色々な人達に助けてもらって今この場所に立っている。
自分が凄い人間だとは、まったく思っていない。
だがエドワードはそんな考え方が気にくわないらしい。
彼が感情的になる機会は、今まで驚くほど少なかった。
不満を露わにすることなど、初めてのことかもしれない。
きっと今まで、エドワードはずっと自分を押し殺し、我慢してきたのだろう。
「兄上は、凡人では測りきれぬ大鵬です。父さんも母さんも、その取り巻きの貴族達だって、誰一人あなたの凄さを理解していない! 私はそれが……悔しいのです」
トッドの凄さを誰も見ていないし、見ようともしていない。
何を為そうとしているかなど、考えようともしていない。
それが悔しくてたまらないと、エドワードはこぼした。
瞳からは大粒の涙がこぼれおち、絨毯にシミを作っている。
弟がそんな風に思っているなどと、トッドは考えもしていなかった。
王位継承で揉めないためには、これくらい低い評価の方が都合がいいだろうとしか考えていなかった。
王族にもかかわらず身体ばかり鍛え、本来使わぬはずの土と風の魔法に熟達し、異国人を王宮の近くに引き入れて怪しげな研究をする墜ちた天才。
それがトッドの評価であることが、エドワードは嫌で嫌で仕方がないらしい。
今のままの自分ではダメなのだと、弟の言葉を聞いてトッドは気付く。
フラグが立たないよう心がけ、自分の評価を下げなければいけない。
エドワードを始めとする兄弟達と仲が悪くならなければ、後のことはどうでもいいと考えている部分はたしかにあった。
彼が気付かされたのはそういったゲームにおいてのどうこうの話ではなく……もっと単純な事実だった。
――エドワードにとってトッドとは、王位継承云々の前に、世界でたった一人の兄なのだ。
自分の兄に格好よくいてほしいという、純粋な気持ち。
それは特定の人物との会話する際に細心の注意を払い、将来の布石として意図的に会話を誘導するよう意識していたトッドからすれば、直視できないほど眩しいものだった。
「そうか……そうだね……」
これからのことを考えすぎていたせいで、足下が疎かになっている。
自分が取ってきたのは、そう言われても文句が言えないような態度だった。
これは優先順位の問題だ。
王位継承権だとか、フラグ管理だとか、そんなことよりもっと大切なものがある。
トッドはエドワードの言葉を聞いて初めて、それに気付くことができた。
兄なんだから、弟妹達の模範たらないといけない。
そんな誰もが一度は母親に言われるような当たり前のことを、彼は十二歳を迎えて初めて理解したのだ。
「じゃあ一度帰ってきてからは、もう少し色々と頑張ってみることにするよ」
「……約束ですよ」
「うん、約束。指切りしようか」
「指切りってなんでしょう?」
そういえばリィンスガヤにはなかったなと気付き焦って説明を加えると、エドワードは納得し指切りをしてくれた。
エドワードは指切りを交わした自分の手をじっと見つめてから、満足そうに部屋を出ていく。
トッドは頭の後ろに手を組んで、弟同様満足した顔つきで目をつぶる。
すぐに睡魔に襲われ、先ほどまでの様子が嘘だったように一瞬で眠ることができた。
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