第8話
出立の前日の夜、トッドは寝付けずにいた。
ベッドの上で目をつぶっても、何度寝返りを打っても一向に眠気がやってこないのだ。
トッドはこの世界にやってきてから、色々なことをやってきた。
あるいは、しでかしてきたと言ったほうがいいかもしれない。
失敗することの方が圧倒的に多かったが、成功したものもいくつかある。
前世の知識を頼りに人材の引き抜きと兵装の開発には成功した。
おかげで今のトッドの手元には、現状では最強に近い強化重装シラヌイがある。
だがどれだけ使う武器が強くとも、トッドは対人の実戦は未経験だ。
やってきたことは自己の鍛錬とライエンバッハからのシゴキ、そしてオーガ討伐くらい。
山賊討伐くらい、一度は経験しておくべきだったと後悔しても後の祭り。
既に出発は明日に迫っているのだから。
頭は冴えているのに寝付けない。
そんな不快な夜長を、トントンというノックが引き裂いてくれる。
意識を現実世界へ引き戻し、瞼を擦って起き上がった。
「……兄上、まだ起きてますか?」
「ああ……入っていいよ」
やってきたのは、エドワードだった。
年は十になり、その美少年っぷりには更に磨きがかかっている。
蝋燭に照らされる彼の横顔は、少し前に王宮にお呼ばれした芸術家が作った彫像に、勝るとも劣らないほどに美しい。
ゲームなら王位継承権を巡って争うはずの関係なのだが、トッドとエドワードは相変わらず仲良しのままだった。
トッドとしては、自分が既に王位継承のレースから外れているのが一番大きいと考えている。
既に母である王妃からは見捨てられており、何をしても放任状態だ。
王も小言を言うくらいで何をやっても黙認してくれている。
今トッドはほとんど王宮の裏手にひっそりと建つ土蔵で暮らし、研究にのめり込んでいるが、誰から何かを言われるようなことはない。
けれど土蔵で暮らすのは、さすがに色々とよろしくない。
そのためトッドは、夜は未だ自室で眠るようにしていた。
トッドは自分から道を踏み外した不良債権である。
これが多くの貴族達の見解だ。
故に彼を担ごうとする者はほとんどおらず、今では王の後を継ぐのはエドワードだというのが多数派の意見である。
「明日から東のエルネシア連峰へ出掛けるのですよね。視察ということでしたが」
「そうだね、略奪が続く現状は好ましくない。交渉でなんとかできるといいんだけど」
「……戦うおつもりなのですか? 隊を動かした形跡が残らないような、ごく少数の人員で」
両親の目もあるせいで、エドワードと表立って会う機会は年々減っている。
それにトッド自身開発や研究に多くの時間を割いているという理由もある。
王族としては見放されても、自由な時間はほとんどないも同然だった。
(まずいな……明らかに勘付かれてるよね、これ)
一応名目としては視察ということになっているが、エドワードにはトッドが何をしようとしているか予想できているらしい。
自分を含めてライ・レンゲ・親衛隊三人と戦闘員は合わせて五名のみ。
だというのに偵察や視察ではなく戦闘と予想できていることに、トッドは驚いていた。
父も恐らくは自分のことを、自作したおもちゃを使おうとする子供としか思っていないだろう。
恐らくは周囲の貴族達の意見も、これに似たもののはずだ。
だがエドワードは違う。
どんな方法を使うかまではわかってはいないだろうが、彼はトッドが何かをしでかすつもりでいることに感づいている。
彼の成長につい頬を緩めてしまうのは、家族ゆえだろうか。
頼もしく育つエドワードの将来が、トッドは楽しみでならなかった。
今回の作戦は、今後の王国の取る方針に関わるだけの大きなものだ。
強化兵装や強化重装がどれだけの力を持ち、有用なのか。
今後やってくる、騎士の時代の再来。
その大きな波に王国が乗り遅れずにいられるかは、トッドがどれだけ頑張れるかにかかっている。
だが前世の知識があるとはいえ、トッドは傑物でもなければ英雄でもないただの人だ。
山の民との戦いで、死んでしまうことも十分に考えられる。
そうした場合、果たしてハルト達は王国に留まってくれるだろうか。
自分と同じ条件で雇用してくれる人がいなければ、彼らはアキツシマに戻ってしまうかもしれない。
それに自身が死んだ時、後を継いでくれる人間も必要だ。
本来ならライエンバッハに託すつもりだった。
だが……別に伝える人がもう一人増えたところで、展開は変わらないはずだ。
エドワードにならと思い、トッドは知る知識のうちの一部分を伝えることにした。
――それは彼が知る未来と、そのための対応方法について。
戦場は機動鎧と呼ばれる特殊な装備を着けた、機動士達により席巻される。
だからリィンスガヤは一刻も早く、機動鎧を開発する必要がある
誰にも信じてもらえぬ現状では、トッドが手ずからやるしかない。
「もし僕に何かあった場合は、あとの事をエドワードに託す。ハルトに任せてあげれば、あとのことはなんとかしてくれるはずだから」
最低限の人員は揃えている。
自分が死んだとしても、彼さえいれば機動鎧の開発まではこぎつけることができるはずだ。
後必要なのは人手と、誰にも漏洩することのない環境、そして大規模な生産設備。
恐らくはこうなるだろうと漠然と伝えた未来予想図を、エドワードは黙って頷きながら聞いていた。
「正直な話、僕が与太話を言ってるようにしか思えないと思う。だから全部を頭から信じなくていい。ただこうなるかもしれないから、もしもの時は備える方法だけは、知っておいてくれると嬉しい」
「兄上は……いったいどうして……」
信じられないものを見るような顔をするエドワードを見て、しまったと思うがもう遅い。
弟の可愛らしい顔は引き結ばれ、怒りにも悲しみにも見えるつらそうな顔を向けられる。
少し喋りすぎた。
睡眠不足と実戦への緊張がエドワードの来訪で気が緩んだせいで、言う必要のないことまで言ってしまった。
まずいなぁと思い、後頭部をガリガリと掻きむしる。
聡明なエドワードのことだ、トッドの内心もある程度推し量れてしまったに違いない。
今まで何一つとして話してこなかった研究内容を、どうして急に自分に話したのか。
その理由にも、思い至っているはずだ。
「兄上は……死ぬつもりなのですか?」
「死ぬ気は……毛頭無いよ。ただ人間いつ死ぬかはわからない、不測の事態っていうのはいつだって起こるから。もしものことを考えると……ね?」
「い、いやですっ!」
起こしていた上体に、エドワードが抱きついてくる。
どんなときでも冷静で、貴公子然としている第二王子の姿はそこにはない。
今トッドの身体をひしと抱きしめているのは、自らの兄を心配する一人の弟でしかなかった。
寝間着の胸の辺りが、うっすらと湿る。
顔を上げたエドワードの瞳からは……大粒の涙がこぼれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます