第4話


 アキツシマはあらゆる国家から海を隔てて存在している、海洋国家である。


 しかし水軍よりも陸軍の方が圧倒的に数が多く、その指揮系統は各武家によってバラバラのまま。


 王である皇家の威光のおかげで大きな争いはなく、武家達は緩やかな連合を保っている。


 外征をするだけの戦力的な余裕はなく、内側で団結できるだけの危機も迫ってはいない。


 国家全てが一丸となって戦えるだけの何かがない現状は、正しく小康状態と言えた。


「いやぁ、平和だねぇ……」


 一人の男性が水平線の彼方に見える太陽の見ながらふわあぁと大きなあくびをする。


 着ているのは純白の研究衣で、両手はポケットの中に入れている。


 猫背なためにわかりにくいが、恐らく身長はかなり高い。


 背骨を曲げていても、隣にいる女性と同じだけの背丈があるのだから。


「大過ないのが一番ですよ、ハルトさん」

「そうだねぇ。最近は妖怪が騒ぎを起こすことも滅多になくなっちゃったし、実戦の機会なんてほとんどない。折角レンゲちゃんもスーツもあるのに、これじゃあ宝の持ち腐れだよ」

「――私はハルトさんの所有物じゃありません! あなたが作った発明品と同列にしないでください!」


 レンゲと呼ばれている彼女はアキツシマ人に多い黒の髪を、腰のあたりまで伸ばしていた。


 くびれた腰に両手の甲を当てながら怒っている様子は魅力的と言って差し支えないが、ハルトは興味なさそうに一瞥してからまた視線を海へと戻す。


 レンゲの年かさは恐らくは二十歳前後だろう。

 その顔は未だ挫折を知らぬ若者特有の自信に満ちていた。


 レンゲが着ているのは、体の線が明らかになるようなぴっちりとしたボディースーツだった。


 色は黒く光沢があり、女性的な凹凸のある肢体がはっきりとわかるようになっている。


 特筆すべきはその胸部にある大きな緑色の石と、そこから支脈のように飛び出している幾つもの管だ。


 その石の正体は魔石、魔物が生まれてくるときに心臓に宿し、体の成長と共に大きくなってゆく胆石のようなものである。


 魔物の体内で長年かけて大きくなったその魔石には、濃密な魔力が宿る。


 そのため魔道具作成や魔力の抽出の際には、非常に有用なものとなるのだ。


 魔石の価値は大きさと純度により決まる。


 透明度が高く、こぶし大の大きさがあるこの魔石がどれほどの値段になるのか。

 目玉が飛び出るような値段であるのは間違いない。


 飯島ハルトがここ一年ほどかけて生み出した装着型ボディーアーマーは、その正式名称を特弐型強化兵装という。


 魔石から回路をつなげて魔力のラインを作り、そこに魔石へ付与された強化魔法を流し込むことで歩兵の運動能力を飛躍的に上昇させる装備である。


 ハルトからすると会心の出来であるこの兵装の開発は、直属の上司によって打ち切られてしまった。


 それならと実費で開発を首が回らなくなるギリギリまで続けたのだが、結局実戦での使用許可は下りなかった。


 上司の上にあたる人間に直談判もしたのだが、結果は芳しくはなかった。


 ハルトが働く魔道研究室の上の人間は慣習やしきたりを重視し、新しい物には得てして批判的な態度を取る者が多い。


 あまりにも採算を度外視しすぎている、ボディラインが浮き出るなどはしたないにもほどがあるなどというのが表向きの言い分だ。


 だが実際の所は彼らが、下手に予算を使ったせいで上に叱られるのが嫌なだけであることは、ハルトにはお見通しだった。


 魔法や魔道具の発展のためにはどのようなものも犠牲にすべきというのがハルトの持論である。


 上司も部下も、どいつもこいつもハルトからすれば頑固で古くさい人間しかいない。


 ハルトの強化兵装は、今後世界の軍事力の一端を担うことになる強力な武器である。


 誰に教えられるでもなく独自で開発に成功したハルトは、間違いなく天才といっていい。


 そういった人間は、己の思う最適解を選び取ることができる。

 だがそのビジョンを誰かと共有できることは、めったにない。


 何故ならその思想を理解するには、相手に自分と同じ視点に立てるだけの才覚が必要だからだ。


 彼は他の天才達と同様に、自分以外の人間の理解を得ることが不得手だった。


 上司の恨みを買ったハルトは、国防や貿易に多大な影響を及ぼす魔道具研究所から、今では役目のほとんどなくなった対妖怪特殊武装研究室、通称タイヨウへと島流しにされてしまい。


 今ではボウソウ半島などという、妖怪どころか人すらほとんどいない田舎で、いつ来るかもわからない妖怪の対策を講じる毎日だ。


「どこかで妖怪騒ぎの一つでも起きてくれないかなぁ。あとは実戦証明さえあれば、あのハゲも認めてくれるはずなんだけど」

「……ヤマタノオロチの封印を解くとか絶対ナシですからね? あんまり過酷だと、私逃げますから」

「あはは……アリだね、それ」

「ナシですよ、ナシ! ああっ、もう、変なこと吹き込むんじゃなかった!」


 地脈と呼ばれる地下深くにある天然の魔力回路が安定するようになってからは、妖怪の被害はほぼ皆無と言っていい。


 彼らがいるタイヨウは、そろそろ潰れると噂の体のいい研究員達の左遷先だった。


 上司の不幸を呪いながらタイヨウへやってきたハルトは、しかしそこで運命の女性と出会う。


 それが職場の後輩であり、条件付き雇用でハルトが雇っている九条レンゲだ。


 上司のセクハラに拳で抵抗した彼女は、ハルト同様ここに左遷された職員の一人である。


 強化兵装の回路を安定させられるだけの魔力と高い身体能力を持つ直属の部下という、なんとも都合の良い駒がやってきたのだ。


 そんな人間が自分の下へやってきたことを、運命と呼ばずになんと呼べばいいのか。

 ハルトはそれを上手く言い表す言葉を知らなかった。


 彼は上司や同僚にも内緒にして、レンゲを強化兵装のテスターとして働かせている。

 無論危険報酬や各種手当てを、自分の懐と研究費から出しながらだ。


 レンゲは自分は研究畑の人間なのに、実戦形式のテストをさせられることに、最初は文句タラタラだった。

 だが給与面で不安がなくなるのならと、今では割り切って作業に従事している。


 ハルトは己の研究成果のためには、あらゆるものを犠牲にできる。


 レンゲを離せばいつ次の逸材が来るかもわからない現状、彼女に性的な目を向けることは決してなかった。


 二人の関係は事務的で、だからこそ気を使わずに接することのできる理想の上司と部下の関係であった。


「スポンサーさえいればなぁ。ねぇレンゲちゃん、実は君ってどこかの深窓の令嬢だったりしないの?」

「もう、バカ言わないでくださいよ。お金がある家ならこんな危険な仕事しませんって」

「だよねぇ、育ち悪そうだし」

「……どういう意味ですか、それ?」


 ハルトの研究資金は、強化兵装一つを作ることで尽き果ててしまった。

 研究所からお金を引っ張ってくるのには限界があるし、名目を作る必要もあるので結構な手間もかかる。


 兵器というのは使ってこそ意味があるという考えなのだが、今のアキツシマは平和そのものだから実戦の機会がない。


 ハルトは一応武家である吉沢家の技術部所属になっているが、特に階級もないヒラの研究員だ。


 仕事をやめてどこかへ行くこと自体はそう難しいことではない。


 無論軍事機密などは漏らせないが、幸いにして強化兵装は完全に自作なのでその範囲外。


 アキツシマを出て大陸部の紛争地帯に行けば、強化兵装が日の目を見る可能性は高まるだろう。


 ハルトとしてもアキツシマのバカ共と心中するつもりはないが、彼が未だ国内に留まっているのにも理由がある。


 ――体が弱い母を、一人置いてはいけないからだ。


 飯島家は元々は公家だったが、父がポカをやらかしたせいで既に家は取り潰されている。


 父は家の財を食い潰し、太りすぎたのが祟ったのか早死にした。


 高貴な生まれである母は貧乏暮らしが続いたからか、最近は体の調子が思わしくない。


 最初は服の着方も知らなかったらしい元箱入り娘の母親が、そんな状態で一人で暮らしていけるとは、ハルトには、到底思えなかった。


 母の世話ができるような家政婦を雇えるような好条件なら、国を出ることもやぶさかではないのだが……今のハルトにそれだけの期待をかけてくれる奇特な人間はいない。


「はぁ、どこかにいないかねぇ。こんな安月給じゃなくて、もっと良い給料出してくれるパトロンさん。ねぇレンゲちゃん、お金持ちの知り合いとかいない?」

「いないですね、何せ私は育ちが悪いですから」


 ハルトは脳裏に人別帳を思い浮かべて、可能性がありそうな人物がいないかをざっと確認する。


 だがこの作業も既に何回もやっているので、当たり前のように該当者はいない。


 ハルトには海外の伝手もない。

 雇われの身では、そう簡単に海外に出掛けることも難しい。


 アキツシマに来ている異国人は……とそこまで考えて、とあることを思い出した。


「そういえばさ、今リィンスガヤの王子達が来てるんだよね?」

「トッド殿下にタケル殿下、それからミヤヒ様の三名が来ておられますね」


 アキツシマとリィンスガヤは、国の格としては同等とされている。


 そのため王位や爵位に関する事柄は、こちら側と同様に扱うのが通例だ。


 ミヤヒは既に降嫁されているため継承権はないが、元はアキツシマの王である皇家の三女である。


 彼女自身に継承権はなくとも、生まれてきたタケルは正当な王位継承者になり得る。


 彼らがやってきた目的はただの観光旅行なのか、それとも……。


「すいません、少しお話できますかね」

「レンゲちゃん、お客さんだよ。対応しといて」

「はいはい、人使いの荒いことで……って、え?」


 思考にリソースを振っているが故に、ハルトは話しかけられた男へは視線を向けてすらいなかった。


 その様子を見たレンゲは、一昼夜続いたテストのせいでクタクタになっている身体を無理やり動かして、ゆっくりと声のする方へ振り返り……固まった。


 それからギギギと、油が差されていない人形のようにハルトへと振り返る。


「ハルトさん、あなたもしかしてとんでもないことでもしでかしてくれやがりましたか?」

「えぇ? そりゃ研究費ちょろまかしたり、裏帳簿かましたりはしてるけど?」


 変な敬語を口にするレンゲの顔は、満面の笑みだった。

 笑っているのに怒っているとわかる、怒気の籠もった笑顔だ。


「――あ、あなたって人は! 私がどれだけ気を配って、頭を下げてるかも知らないで、またそんなことを!」


 レンゲが目じりをピクピクさせながら、ハルトの研究着の裾を揺さぶる。


 強化兵装の力が遺憾なく発揮され、自分よりはるかに筋量が少ないはずの彼女のパワーがとてつもないことになっている。


 首がもげそうなその強化兵装の性能に、ハルトはニヤニヤとした笑みをこらえることができなかった。


「へぇ……面白いですね、そのスーツ。色々と使い道がありそうだ」

「ああっ、すいません殿下! お見苦しいところを!」


(殿下……?)


 と疑問符を浮かべながら、拘束が解かれ、ようやく首が回るようになったハルトは、声をかけてきた人物の正体に気付く。


 自分よりも一回りも小さく、金色の髪をした少年。


 服の仕立てがいいのは一目見てわかるし、すぐ後ろに強面の騎士らしき男が待機していることからも相応の身分なのは間違いない。


 レンゲの言葉から類推すると……恐らく彼は、リィンスガヤのトッド殿下。


 トッド=アル=リィンスガヤ。

 王位継承権第一位の、将来彼の国の国王になる少年だ。


(そんな彼が、僕が開発した強化兵装に興味を持ってくれている……っ! これはチャンスだ。恐らく千載一遇、ここを逃せばあとがないくらい大きな大きなチャンス!)


 ハルトは明るい未来と潤沢な研究費に思いを馳せながら、キラキラと目を輝かせる。


 こんな辺鄙なところに他国の王子がやってくることはおかしなことなのだが、目の前にぶら下げられた好機の前にはそんな些細な違和感はすぐに消えてしまった――。

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