第2話
「あにうえ、よんできました」
「こんにちは、あにうえ。それに……エネシアさんも」
おずおずと、エドワードの背に隠れるような態度をしている黒髪の少年、タケルが入ってくるが。
自分とその母親であるミヤヒに対してきつくあたるエネシアに対しての接し方は、ひどくよそよそしかった。
以前一度『あねうえ』と呼んだときに怒られたせいで、呼び方も他人行儀だ。
タケルとその母であるミヤヒが心労をため込みすぎないよう、トッドは定期的にミヤヒ達と茶会を開き、彼らと話をするようにしていた。
一応そこにはタケルがトッドと仲が良いことをアピールする意図や、ミヤヒからアキツシマの生の情報を聞き出すという副二次的な目的もあったりする。
だが一番の目的は実の弟をかわいがることでなのは言うまでもない。
努力の結果が実り、自分のことを『あにうえ』と呼んでくれることが嬉しくて、トッドはつい頬が緩んでしまった。
だが今はエネシアを怒っている最中だと思い出し、すぐに真面目な顔を作り直す。
幸いなことに、エネシアにはトッドの表情の変化は気付かれなかったようだ。
「……ぐすっ」
エネシアは既に鼻水が垂れ始め、涙が溜まり続けている目は充血して赤くなっている。
ただそれでも意地があるのか、未だに涙を流してはいなかった。
エドワードは興味深げに様子を観察していて、その後ろにいるタケルは突然こんな現場にやってきたことに理解が追いつかずオロオロとしている。
「二人ともよく来たね。実はアキツシマの茶菓子が届いたから、一緒にどうかなと思って。たまには兄弟三人水入らずというのも悪くないだろ?」
トッドの言葉がトドメになったのか、とうとう限界を迎えたエネシアが地面にくずおれる。
頬に当てていた小さな手のひらを、勢いよく流れる涙が濡らしていった。
「う、うぇ……うえぇぇぇぇん!!」
「……」
今度はトッドが黙る番だった。
許してやり、今すぐに抱きしめてあげるのは簡単だ。
しかしそこで甘やかしては良い子には育たないと、グッと我慢して無視を継続する。
物言わぬトッドと、女の子座りをして涙を流すエネシアの間に一つの人影が現れる。
そこに立っていたのは――先ほどまでおどおどしていたとは思えぬほど精悍な顔つきをした、タケルだ。
「あにうえ」
「うん、どうしたのかな?」
何もわかっていない風を装ってそう問いかける。
トッドは内心でガッツポーズを取りながら、悟られぬよう気を引き締める。
「だめです、おんなのこをなかせては」
「それは違うよ、タケル。エネシアはそれだけのことをしたんだ……無視されて当然のことをね。君の悪口を言っていたんだよ? 許せることじゃない」
「……おんなのことけんかをしたときは、おとこのこがあやまらなくちゃいけないんです。ぼくはははうえから、そうおしえてもらいました」
ミヤヒという女性は、リィンスガヤのものとは違うアキツシマ固有の価値観を持ち、それを捨てることなく保ち続けている。
そして彼女の持つ気高さ、そして気品はしっかりとタケルへと受け継がれている。
タケルは自分が酷い目に遭わされようと、それだけで誰かを嫌いになるような柔な子ではない。
彼は身内にどこまでも優しく、そして自分よりも他人のことを大切にしようとする甘ちゃんなのだ。
今回は目論見通り、それが良い方向へと働いてくれた。
トッドが安堵するのと同時、タケルの後ろで呆けたような顔をしているエネシアがさっきよりも激しく泣き出した。
「ご、ごべんなさい!! わたし、わたしひどいごと……」
彼女は泣き出して、タケルの背に縋って謝り始めた。
自分が守っていたはずのエネシアが泣き出したことに驚いたタケルは、どうやら彼女を泣かせたのが自分だとわかり慌て始める。
そしてエネシアにつられて、すぐにタケルも泣き出してしまった。
二人は泣きながら、互いに謝り合っている。
もう最初に泣き始めた理由など、どうでもいいと言わんばかりである。
「いっけんらくちゃくですね、あにうえ」
「……そうだね、これで少しは二人の仲が良くなってくれるといいんだけど」
気付けば自分の後ろに立っていたエドワードが、したり顔でうんうんと頷いていた。
いきなり背後から声をかけられて驚いていたが、動揺は必死に隠してなんとか返事を返す。
「あにうえはこうなることがわかってたんですね」
「それは買いかぶりだよ。私はこうなればいいなって思って、行動をしただけ」
「ふふ、じゃあそういうことにしておきます」
涙ながらの謝り合戦が終わってから、エネシアがタケルのことを馬鹿にすることはなくなった。
エネシアは自分のことを守ってくれたタケルのことを信じるようになり、次女であるアナスタシアとやっていたおままごとに、タケルを混ぜるようになったのだ。
タケルが演じるのは、エネシア演じる姫を守護する騎士の役。
女の子の遊びをやるのが恥ずかしいのか、一緒に遊んでいる時の彼はいつも照れたようなはにかみを見せる。
ちょっぴり赤くなったタケルの顔にはいつも、ひまわりのような笑顔が浮かんでいた――。
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