第1話
筆頭宮廷魔導師であるスラインに回復をかけてもらった時には、トッドは意識を回復させていた。
ちなみに回復とは水魔法を究めた者だけが手に入れることのできる、特殊な魔法である。
「まったく、トッド殿下は類稀なる魔法の才能がおありなのに、どうして剣術なぞ……」
スラインの説教を軽く流し、トッドは王宮の中を歩いていく。
お目当ての部屋はすぐに見つかり、コンコンと二度ノックをしてから中へと入った。
「あにうえ!」
「良い子にしてたか、エドワード」
「うん! だからいっしょにあそぼ!」
「わかったわかった、だから引っ張るなって!」
キラキラと宝石のように輝く瞳をした、体全身に元気を詰め込んだかのような活発な少年。
彼の名はエドワード・アル・リィンスガヤ。
本来なら『アウグストゥス ~至尊の玉座~』のプレイヤーが操るキャラクターであり、ほぼ全てのルートでトッドを廃嫡し王として君臨する人物だ。
しかし一緒に遊んだり食事を摂ったりしていても、王位継承ルートに入る時のような冷酷さは微塵も感じられない。
もしかしたらこの純真無垢な態度も、演技なのでは?
最初はそんな風にも考えていたが、トッドの疑念は既に消えてなくなってしまっている。
弟にデレ気味なトッドは、エドワードに言われるがまま、スラドと呼ばれる盤上遊戯を行うことにした。
これは魔法兵や騎兵の駒を用いて敵の王を倒す、この世界での将棋のようなものだ。
「うーん……歩兵はあとづめにして、魔法兵をまえにして――」
「それならこっちは遠慮無く重装騎兵を配置、損害覚悟で突貫だ」
「わあっ、まった! ちょっとまって!」
うんうんと頭を捻らせながら、一つ前の手まで戻って熟考を開始するエドワード。
頭にあるつむじが見えてしまうほど小さな彼の頑張りに、思わず笑みがこぼれた。
かわいいと言うと怒られるので、心の中に思うに留めておく。
エドワードが次の手を考えている間、トッドは今から六年ほど前、二つ下のエドワードが産まれた時のことを思い出していた。
自分とエドワードの母であるセレスが産気づいた時に感じたのは、ついにこの時が来てしまったかという焦りだった。
トッドがまず第一に考えなくてはいけないのは、自身の生存だ。
ゲーム通りに世界が動いてしまえば、どのルートを進もうとトッドという人間は最後まで生き残ることができない。
自身が気を付けさえすれば大丈夫だとは思うのだが、エドワードがどういう性格をした人間なのかがトッドにはわからない。
プレイヤーの分身であるエドワードは、性格も行動も通るルートや迎えるエンディングによってかなり幅広く変化する。
もし産まれてきたエドワードが長女惨殺ルートのように権力欲が強く、兄を邪魔者扱いするような人間となってしまえば、王位継承権を放棄したとしても殺される可能性が高いだろう。
他にもいくつかのルートによっては、トッドの人柄に関係なく殺し合う関係になってしまうパターンも存在している。
それならいっそのこと、エドワードを……などという考えも、ないではなかった。
トッドはどうするのがいいのかわからぬまま、彼は産まれたばかりのエドワードと対面することになった。
産まれたばかりの彼を慎重に観察し、自分のような転生者でなさそうなことにホッとした自分は、きっと小さい人間なのだろう。
自己嫌悪に陥りながら、難しい顔をしてエドワードを見つめていたその時だった。
トッドが無意識のうちに出した右手の人差し指を、エドワードがぎゅっと手のひらで掴んだのだ。
――その瞬間、トッドの全身に電流が走った。
彼は目の前にいるこれほどかわいい生き物が、自分の弟であることを誇りに思った。
脈打つ手のひらに優しく触れながら、トッドは不覚にも泣いてしまったのだ。
それに釣られてエドワードも泣いてしまい、産婆に笑われたのも今となってはいい思い出だ。
たとえ自分がどうなろうと、エドワードを殺すようなことがあってはいけない。
もし憎しまれるようなことが起こったとしたら、その時は潔くこの身を差し出そう。
それはトッドという少年がこの世界に落ちて初めて立てた誓いとなった。
彼はその後も、全ての弟妹達の出産に立ち会った。
そして新たな命に触れる度、彼を、彼女を大切にしようと誓いを新たにしてきたのだ。
騎兵が歩兵を蹂躙し、間隙を縫うように放たれた魔法兵が王を射程圏内に入れたことで王手がかかる。
勝負は今日もトッドの勝利に終わった。
昔のことを思いながら気もそぞろに打ってはいたが、何しろ生きてきた年月が違う。
前世も含めれば三十年以上年を重ねているし負ける道理はない……と言いたいところだったが、実際の所はかなり際どい戦いだった。
トッドの盤面からは既に騎兵が消えており、王と女王、そして魔法兵が飛び飛びに残っているだけ。
勝ちはしたものの、辛勝という表現がふさわしいギリギリの試合だった。
(でもやっぱりエドワードはすごい、僕の打ち方を学んではどんどん上手くなっていく。こりゃあと数年もしたら勝てなくなってしまうかもしれない)
「ああもう、またまけたっ!」
「惜しかったね、もうちょっとだったと思うよ」
「もういっかいやろ!」
「いいよ、じゃあ駒を並べ直し――」
「ちょっとまって、おにいさま!」
二人の会話に割って入るタイミングを待っていたのか、部屋の扉が勢いよく開かれる。
廊下からドスドスと勢いよく走ってきたのは、赤茶けた髪をした少女だった。
母親のアイリスによく似た勝ち気そうな顔をした彼女は、長く真っ直ぐな髪が乱れるのも気にせずにトッドへと抱きついてきた。
「ダメダメ、おにいさまはわたしとあそぶの!」
「こら、室内を走ったらダメだよエネシア」
「ごめんなさーい」
着替えを済ませた真っ白なスーツを両手で掴む彼女は、エネシア=アル=リィンスガヤ。
王位継承権第三位となる、リィンスガヤ家の長女である。
エドワード同様、今の彼女にもゲームで出てくる冷血皇女の片鱗は見受けられない。
四つ下の四歳の少女は、トッドに一緒に遊んでとせがむだけのかわいらしい女の子でしかなかった。
エドワードも、エネシアも、それ以外の弟妹達も、皆エドワードにとって大切な家族だ。
彼らに幸福に生きてもらうために、トッドはできるだけのことはするつもりだった。
「おにいさま、じゃあぼくはタケルとあそんできます」
「えー、エドワードにいさまあいつとあそぶの? くさくなっちゃうよ、おかあさまがいってたもの」
「――エドワード、いいよ。もう一局打とう」
「……ですが」
「いいんだ、やろう」
立ち上がろうとしていたトッドはほだされぬよう目線を外してから、ひっついていたエネシアを強引に引き離した。
そして何事もなかったかのように盤上の駒を並べ直し、エドワードだけを視界に入れる。
――まるで部屋の中にいるエネシアが、見えていないかのように。
彼女の母親であるアイリスは、非常に選民意識の強い人間だ。
アイリスは王国民、もっと言うのなら貴族以外の人間を軽蔑しているし、教養がない人間だとバカにしている。
そんな親に育てられたからだろう、エネシアは異民族の血を引くタケルのことを、どこか小馬鹿にしている節があるのだ。
これはゲームではわからなかったことだが、エネシアの差別の思想はトッドというより、母のアイリスから植え付けられたものだったようだ。
母であるアイリスから散々悪口を聞かされていからだろう、何度矯正しても彼女のタケルへの態度は直らなかった。
トッドはそれなら今日という今日はと自分に鞭を打ち、努めてエネシアを無視することにしたのだ。
タケル――本名タケル=フン=リィンスガヤは、西にある大海峡を隔てた先にある海洋国家アキツシマとの親善のため送られてきた、アキツシマの王女と父との間に生まれた子供である。
アキツシマの人間は大陸に住む者達と比べると肌の色が黄色く、背丈も小さい。
異国民を蛮族と言ってはばからないアイリスの教育のせいで、エネシアは差別意識を持った子へと育ちかけている。
このままではゲーム同様、異民族を人とも思わぬような政策を打ち出したり、奴隷同然に扱うような子になってしまうかもしれない。
それを危惧したトッドはしつけとして、異民族のことをバカにしようとするエネシアに罰を与えるようにしていた。
叱ったり、あまりにも酷かった場合は軽く頬を叩いたり。
彼は心を鬼にして、エネシアを教育している最中なのである。
タケルは将来、全世界でもトップクラスの機動士へと成長する逸材だ。
そして彼の母親であるミヤヒの故郷のアキツシマは、機動鎧の前身となった強化兵装を生み出した飯島ハルトの生まれ故郷でもある。
アキツシマの人達は決して知能の足りていない野蛮人などではないし、学ぶべき所も数多く存在している。
それに――そういった差別云々の前に、トッドは兄弟皆に仲良くなってほしかった。
タケルもエネシアも、どちらもいい子なのだ。
肉親の二人の仲が悪いなんてことほど、悲しいことはないだろう。
「ほう、そう来たか。なら今回はゆっくりと後詰めの歩兵を前に出していこう」
「騎兵をまえにして、きどうりょくであにうえをたおします」
「………」
エドワードは王の駒を動かしながら、ちらとトッドの方を見た。
トッドがそれに黙って頷きを返すと、エドワードの方もわかったように小さく首を縦に振る。
エドワードは六歳にしては、信じられないほどの聡明さを持っている。
それはエネシアが来るや否や、王宮内で肩身の狭い思いをすることの多いタケルのところへ向かおうとしていたことからもわかる。
それに今だって時折アイコンタクトをしているし、教育目的でエネシアを無視していることまでしっかりと理解している様子だ。
トッドには、自分の弟の出来が良いことが何よりも誇らしかった。
これで王国の将来は安泰だろう、などと思ってしまうほどに。
「――これで詰みだね、また僕の勝ちだ」
「……まいりました」
ちらとエネシアの方を向くと、彼女は目に涙を溜めながら必死に歯を食いしばっていた。
兄達に無視される悲しさと、人前で泣くことを恥とする気位の板挟みになっているように見える。
これだけ大きな反応が得られるとは思っていなかったトッドとしては、嬉しい誤算だ。
どうやら彼女は身体的な痛みより、精神的な痛みの方が効くらしい。
このまま無視していれば、恐らくあと数分もすれば泣き出すだろう。
それならば……と考え、トッドはもう一度ゲームをしようとするエドワードへ声をかける。
「勝者の特権だ、エドワード。タケルを急いでここに呼んできてくれないか?」
「……はい、わかりましたあにうえ」
エドワードは理由を聞くこともなく、急いで部屋を出ていった。
トッドが走っているエネシアを叱っていたのを見ていたため、走らずに、早足のペースを維持したままで。
エドワードはトッドの言伝を守るため、駆けない程度の速さで急ぎタケルの部屋へと向かっていく。
彼が疑問に感じたのは、トッドがタケルを呼び出すその理由である。
(どうしてあにうえは、このタイミングでタケルをよぶんだろう)
アキツシマ人やリィンフェルト人のような異民族にきつくあたるエネシアを矯正するために、無視をするところまではわかっている。
しかしエドワードからすると、ここでタケルを呼ぶのは悪手にしか思えないのだ。
エネシアが叱られている原因は、タケルのことをバカにしたからだ。
そんな場所に陰口を叩かれていたタケル本人を呼び出しても、いい結果になるとは思えない。
エドワードが何度考えても、疑問に対する答えは出てはこなかった。
(しかしあにうえのこと、かならずおかんがえがあるはず……)
必死に頭を悩ませるエドワードは、既に六歳にしては異常とも言える思考能力を持ち始めている。
彼がそこまでの成長を遂げた理由は簡単だ。
――自分より優れていて、どれだけ手を伸ばしても届かないトッドという兄がいたからである。
次男の性質上、エドワードは兄と比較されて育ってきた。
直接言われるようなことはないが、ライエンバッハやスラインはエドワードが努力して結果を出しても、明らかに物足りなさそうな顔をすることが多かった。
恐らくは同年代の頃のトッドの方が、自分よりもいい結果を出していたのだろう。
聡明なエドワードがそう気付くのは、当然のことだった。
そのため最初は、兄に冷たい態度ばかり取っていた。
だがそれでも不思議なことに、トッドの態度は何一つ変わらなかった。
自分を嫌っているはずの弟にも優しさを持って接し、わからないところは教えてくれ、その背中を見せて、言葉にせずとも心の内を語ってくれた。
変に尖っているのが恥ずかしくなったエドワードは、兄の通ってきた道を後を追うように進んでいき、努力をすることにした。
トッドは大人達から神童、王国きっての麒麟児などと呼ばれている。
それには及ばずとも、兄を見て倣えば自分もまた同じだけの知見を得ることができるはずだ。
トッドの見ている景色を、自分も見てみたい。
肩を並べるだけの存在になりたい。
そしていつか―――何か一つの分野で構わない、兄のことを追い越してみたい。
エドワードはそう考え、最近では知的遊戯にのめり込むようになっていた。
兄について考えを巡らせていると、気付けばタケルの部屋へと辿り着いていた。
自分の考えの及ばぬ何かをしでかすであろう兄のことを思い浮かべると、ふと笑みがこぼれてくる。
エドワードにとってトッドとは自慢の兄であり、いつか超えたい目標なのだった。
――既に二人の関係は、『アウグストゥス ~至尊の玉座~』から離れ始めている。
だがそれを指摘できるものは、トッドを含めこの世界には誰一人としていなかった……。
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