第3話

 当日。ライブハウス前で萌と落ち合ってから会場内に入る。開演の三十分以上前だというのに、それなりに賑わっているように見えて、少々驚いた。萌に話を聞いてみれば、知らないの、と呆れ顔で言われたあと、

「もうすぐメジャーデビューだって噂されるくらい人気なんだよ」

 という答えが返ってきて驚く。

 いつの間にかそんなに有名になっていたのか。優衣はそんなことを思いつつ、チケットとるのもけっこう大変らしいよ、と愚痴るを萌の声を耳にする。やはり大学の卒業を機に手を引いたのは、バンドにとって正解だったかもしれない。自らの認識を新たにしつつ、楽しげな会話をかわす待機中の観客達をぼんやりと眺める。優衣自身がこちら側にいるのは少しばかりおかしがりながら。


 ライブが始まったあと、益々驚かされた。

 優衣が所属していた頃の『あたらくしあ』と同じく、演奏している曲のジャンル自体は同じような七十年代頃の日本語ロックやフォークの流れを汲んだもののままだ。ただ、かつてはほのかに付随していた古臭さのようなものがほぼほぼ完璧に取り払われ、現代っぽく垢抜けた。

 編成は元の五人から優衣のみを引いた、ベース、ドラム、キーボードの四人編成になっていて、全員の演奏力が格段に向上していた。かつて優衣が担当していたボーカルは、当時のリードギターだった鈴川太一すずかわたいちが担当するようになっており、正確な音程と発音、それでいて掠れ気味の声を響かせていた。同時に兼ねているギターもバッキングを中心としていたものの、歌っていない時にはよく指が動き、どこかノスタルジックな響きを奏でた。ベースとドラムは正確なリズムを刻みつつも、時折遊び心を交えたように自らを主張し、聞き手としてはどことなく楽しくさせられた。キーボードもギターと同じく伴奏を中心としつつも、ちょうどいい隙間に入り込んでは、飛び跳ねるような自由さを発揮した。

 かつてはほぼほぼ全編優衣が担当していたMCも太一を中心としながらも、四人全員で割り振るようになっていて、ドラムの朱鷺渡紗枝ときどさえの天然ボケじみた言動に度々笑いが起こったりなど、終始和やかな催しだった。

 良かったね。そんなことを一人思い、演奏に聞き入る。かつての優衣が愛した音楽からは少々外れるものの、年を経て守備範囲が広がったからか、あるいは別の要因からか、奏でられる一曲一曲がとても愛おしく思えた。


 アンコールが終わり、客が引きはじめる。夕飯どうしようか、という相談を萌に持ちかけようとしたところで、

「みんなに挨拶に行こうよ」

 そんな申し出をされる。正直予想していた流れではあったものの、首を横に振る。

「みんなに合わせる顔がないから」

 思い出すのは、卒業間近まで揉めた優衣がバンドを抜けるか否かという口論。話自体は四年になったのを機に切り出していたものの、メンバーがなかなか納得しなかった。正直なところ、優衣自身が辞めると決めてしまっている以上、本来であれば誰がなんと言おうと関係ないはずではあったものの、メジャーデビューを目指すと公言したうえでバンドをずっと引っ張ってきた責任を感じていたのもあり、なかなか完全に手を引く決断ができなかった。ようやく夏頃に、他の四人は卒業や留年をしたあともバンドを続け、優衣は諸々の引継ぎをしたあとに脱退するという方向で話はまとまったが、その後もメンバーたちからはしつこく引き止められ、度々口喧嘩に発展もした。最後の方は憎悪ばかりが膨れあがり、顔を合わせれば争ってばかりいた。

 そのような経緯から就職してからはかつてのバンドのメンバーと極力関わるのを避けていた。年賀状や結婚式の招待状は全員に送っていたものの、返ってきたのはドラムの紗枝からの結婚式への欠席の返信くらいのもので、他は一通たりとも返ってこず、メールやラインなどもなかった。

 こうした学生時代の終わりの時点の関係性を考えれば、いまだに嫌われているのは想像に難くない。とりわけ、バンドが大きくなってから擦り寄ってくる女など、優衣自身の感性からすれば、何様なのだとしか言いようがなかった。

 優衣の返事に萌は小さく溜め息を吐いたあと、真正面から向き合ってみせる。

「今回のライブさ。優衣を連れて来てくれって鈴川君に頼まれたんだよね」

 ぽかんとする優衣の前で萌は、

「仲直りしたいんだって。少なくとも鈴川君はそう思ってるらしいよ」

 そんなことを口にする。

 予想していなかったわけではない。とはいえ、優衣の中で当時のバンドメンバーとの仲直りだとか、許されることなどはあくまでも頭の中にぽつんと存在する願望であって、自らの現実ではない気がしていた。

 とはいえ、萌の口車である可能性はゼロではなく、

「それ、本当?」

 力なく聞き返す。萌はぶんぶんと首を縦に振ったあと、

「こんなことで噓を吐くほど悪趣味じゃないつもりなんだけど」

 苦笑いを浮かべ、そんなにあたしって信用ないかな、と聞き返してくる。優衣もまた静かに首を横に振ったあと、

「そっか」

 と応じる。だとすれば、優衣がとれる選択肢は一つ。

「そういうことなら、行くよ」

 望まれているのであれば行かなくてはならない、と、萌に促されるまま重くなった足を動かした。


 萌に案内された控え室の扉をノックする、どうぞ、と聞き覚えのある声が聞こえるのに合わせて、ノブを捻る。

「お邪魔、します」

 萌に先んじて部屋に入れば、見知った顔のバンドメンバー四人が優衣を迎えた。一様に表情は固く、萌の言はやはり間違いなのではないのかと疑いつつ、

「お久しぶり、です」

 小さく一礼する。

 すると、真ん中に座るギター鈴川太一がくつくつを笑いはじめた。薄青のワイシャツと紺のスラックスに身を包んだ男の体は、元々細かったのが更に絞られており、整っているはずの顔立ちは頬がこけているせいか不健康そうに見える。

「なに、畏まってんだよ。昔と同じように喋れって」

 話し方の調子は記憶にあるものとさほど変わらない。厳密に言えば、四年の時に揉める前のノリに。

 太一の一言が堰を切ったのか、ベースの郷田晴之ごうだはるゆきが「そうだよ、水臭いって」と同意し、キーボードの睦月信吾むつきしんごもまた「俺ら友だちだろ」などとやや気まずそうに応じた。

 仲直りしたいという話自体は本当らしいと納得しながらも、露骨に目を背けるドラムの朱鷺渡紗枝の冷たげな表情と態度を見て、総意ではないのも読みとる。

 どちらにしろ、言うべきことだけ言ってしまおうと腹を括るべきだと判断した。

「聴いたよ」

「どうだった?」

 こころなしか太一の声は震えているように聞こえた。自然と部屋全体に緊張感が漂いはじめている感じがする。優衣もまたごくりと唾を飲みこんだあと、

「よかった」

 端的に一言で気持ちを伝える。もっと正確かつ厳密に言葉にすべきかも知れないと思いもしたが、本格的な音楽から離れていた優衣としては正確な評価は下せる自信がなかったのと、単純な感想の方が気持ちは届きやすいのではないのかと考え直し、この言い方になった。

 途端に室内の空気が弛緩する。

「ユイがそう言ってくれるんなら、大丈夫そうだな」

 眩しげに目を細めた太一を見た優衣は、そんな大げさに受けとられてもとたじろぎかけた。直後に、翻って優衣自身が太一たちと同じ立場だとすれば、似たようなことを思うだろうな、と納得する。

「……もう、やめた子の感想とかに何の意味があるのよ」

 ぼそりと呟かれた紗枝の声が耳に入ってきたが、隣にいる萌も、太一や他の二人もかまわず今日のライブについて盛りあがっているようだったので、聴こえないふりをした。


 その後、流れで近所の酒屋での飲み会へと向かうことになった。

 優衣は、家で夫が待ってるからと断わろうとしたものの、郷田と睦月のベース&キーボードコンビに、せっかく再開したんだしと押し切られた。仕方なく、渋々自宅に電話をかけると、夫に二つ返事でオーケーされて、愕然とする。

『なかなか会えない友だちなんだろう。君には日頃から家の方を頑張ってもらっているんだし、今日くらい羽目を外してもらってかまわないんだよ』

 物分りのいい返事はあまりにも優しすぎて、浮気でもしてるのでは? という失礼な想像が浮かびかけたが、だとすればもっと後ろめたさのようなものが声に滲み出るだろうから違うだろう判断し、より頭が痛くなる。

 もう少しだけでも、私に執着してほしいな。身勝手だと感じつつもそんなことを頭に浮かべたあと、愛してるよ、私も愛してる、などの定番のやりとりを済ませたあと、電話を切り、五人に同行し、暖簾をくぐった。

 通路に面した四角い六人掛けの座敷席にぎゅうぎゅう詰めになり、早々とやってきたビールで、「ライブの大成功を祝して、乾杯!」という、なぜかバンドメンバー外の萌が放った一言で会がはじまる。

 優衣は萌の隣にいようと思っていたが、上座に押し込まれ、隣には太一が陣取った。その男を境にして反対側の腕に抱きつく紗枝がこちらを睨みつけてきているせいか、どうにも楽しく酔えそうにはない。

 向かい側を窺えば、もう一方の上座に陣取る萌が、男二人と散弾銃の打ち合いじみた言葉の応酬をかわしていた。昔は、私もああいうテンションだったかもしれないなとどこか他人事のように思いつつ、ビールをちょびちょびと飲んでいく。

「結婚したんだってな」

 太一に聞かれ、頷いて応じる。まだ、気まずさがあるせいかどうにも言葉が出てこず、不自由だと優衣は感じる。

「それで、結婚してみてどうだった」

 そう尋ねてから水割り焼酎を呷る太一は、表情からしてさほどこの話題に興味がなさそうだった。優衣はすぐ目の前にある喉仏をぼんやりと眺め、全体的に骨ばっているのがやや心配にはなったものの、

「幸せ、だと思うよ」

 静かに答える。

 太一が笑った。

「奥歯に物が挟まった言い方だな」

「そうかな?」

 そういうつもりはなかったんだけれど。思いながら、優衣は、夫に不満があるのだろうか? 内省してみるものの、真っ先に浮かぶのは今日の家に呼び戻してくれなかったことくらいで、他は細かな共同生活内の習慣の違いのようなものに限定された。そして、その後者に関しても、一緒に暮らしていれば当たり前にあることだろう、と考えているため許容範囲内である。

「萌から聞いたが、専業主婦なんだろ。刺激が足りないんじゃないのか」

「それくらいで、今はちょうどいいんだよ」

 もしかして、仲直りという名目で絡まれているのでは? そんな疑惑を持つが、ぱっと見、他意はなさそうだった。

「今は、ってことはいつかは主婦以外のことをするつもりなのか?」

「わかんない。今はそういう気はないけど」

 なんとはなしに話の方向性が見えてくる。少なくとも、ただ優衣の結婚話を聞きたいわけではないようだった。

 そうか、とぐいっと残りの焼酎を干す太一。一気に飲み過ぎでは、という懸念を持つ優衣の前で、痩せた男は口を開こうとする。

 直後に、紗枝が太一の腕を強く抱き、自らの方に引き寄せた。唖然とする男の後ろから顔を出した紗枝は、

「ちょっと、優衣と話し過ぎ」

 釘を刺すように口にする。

 やっぱりか。薄々、そうだと感じていたものの、優衣は今のバンド内の関係性を察する。こうした事柄は、四年生の時の揉め事が激化した原因の一つでもあるため、あまり心穏やかではない。とはいえ、もはや部外者である優衣が口出しすることでもなく、対面で遊ぶ萌たちの方に視線を向ける。隣からは、滔々と話しかける紗枝に、押されるように応じる太一の声が耳に入ってきた。

 どことなく所在無さげになりつつも、一人でビールを飲み、だしまき卵を頬張る。積極的に話に加わろうという気にもなれない。そんな時間がしばらく続いたあと、

「優衣」

 紗枝が唐突に話しかけてきた。振り向けば、太一の肩越しに鋭い眼差しが射抜いてきて、おっかないと思う。

「なに?」

 尋ねれば、紅潮した顔をした女は、太一を後ろから抱きしめ、

「ウチ、もうすぐ太一と結婚すると思うんだけど」

 はっきりと主張するように口にし、

「まだわからないことだらけだから、詳しく結婚について聞かせて欲しい」

 油断ない目付きを向けたまま言い切る。

 もうそこまで話が進んでいたんだ。感心するとも呆れるともつかない気持ちを持ちながら、

「けっこうお金かかるけど大丈夫?」

 先立つ懸念について言及する。途端に子供のように頬を膨らました紗枝は、目を逸らした。

「そこは、これから考える……」

 どうやら、足りてないらしい。そんな紗枝の頭を、太一は、まあまあ、ととりなし撫でる。

「焦らないでもいいだろ。ちょっとずつ金を溜めてから、ゆくゆくはってことでも」

「そんなこと言ってたら、何年後になるかわからない」

「紗枝が早い方がいいって言うなら色々考えるが……どうせなら、どでかくやりたくないか?」

「それは……そうかもだけど」

 二人の微笑ましい会話を頬杖をつき眺める。

 私も年をとったんだな、と優衣は思った。

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