第八章 ニライカナイ④

「……条件を聞こう。義兄さん。僕はどうすればいい」

「ようやく素直になったじゃないか。忍。それでいい。それでいいんだ。おまえは私の大切な飼い犬だ。どこに出しても恥ずかしくない、そうめいで従順な犬だ。まずは、上秦の『海翡翠』を渡してもらおうか」

 忍は無量を振り返った。

 蓬萊の王が、ヤマトの王に、承認のあかしとして贈った「海翡翠」だ。魏の皇帝の金印にも匹敵する。

 忍が、こちらに手を差し出している。無量は首を横に振った。

「駄目だ、忍。そんな奴に渡すわけにいかない」

「おまえたちを守るためだ。僕に渡してくれ。『海翡翠』を」

「駄目だ!」

「鶴谷さんがどうなってもいいのか」

 無量は苦しそうにしていたが、拘束された鶴谷を見て気持ちが折れたか、とうとうリュックの中から〈上秦はく〉の入った箱を取りだし、忍に渡した。忍は中を確認すると、昌史のもとへと持っていった。

 その手に渡そうとした。……その時だった。

 飛び出したのは無量だった。いままさに昌史に渡そうとしていた箱を、横から奪い去ると、中の石だけ取りだして、有無も言わさず、暗い海めがけて力いっぱい放り投げた。

「!」

「無量!」

 だが、すでに遅い。

 琥珀玉は月の光を受けながら、きれいな放物線を描いて草むらの向こうに消えた。あの先はだんがいだ。全員が一瞬、沈黙した。後には波の音が残るばかりだ。がくぜんとしたのは昌史だ。

「なんてことを……ッ。……おい、捜せ! 今すぐ捜し出せ!」

 昌史の部下たちが急いで草むらのほうへと駆けていく。忍もぼうぜんと立ち尽くしている。古代史の謎に触れるかぎでもある重要遺物を、まさか投げ捨てるとは思わなかったのだ。

「無量……」

「いいんだ」

 と無量は背を向けたままつぶやいた。

「あんなもののせいで、人が死んだり傷ついたりするくらいなら、蓬萊の証なんか、最初からないほうがいい」

 昌史は憤怒のあまり、無量の胸ぐらを乱暴につかみあげた。

「貴っ様あああ……! 自分が何をしたか分かっているのか!」

 無量はにらみつけ、昌史の手を、右手で握り返した。

「三種の神器? 天皇? 笑わせんな! あんな石ころのせいで三村サンは死んだんだ。こんな騒ぎになるくらいなら掘り出さなきゃよかった。石の声にこたえて、永遠に土の中に眠らせておけばよかったんだ!」

 永倉! と無量が叫んだ。昌史達がはっと振り返った時には、鶴谷の腕を摑んでいた荒城の至近距離に萌絵が飛び込んでいる。皆の注意が「海翡翠」に集まった隙に、動いていた萌絵だった。萌絵はあっというまに懐に入ると、荒城のあごめがけ、上段回しりを決めていた。荒城はたまらず吹っ飛び、解放された鶴谷を、萌絵が横から抱え込むようにして確保した。

「西原くん! 助けたよ!」

「よし! そのまま逃げろ!」

「き……さま……っ」

 絶妙な連係プレイだ。後を追おうとする昌史に立ちはだかったのは、忍だ。その手にはICレコーダーがある。

「いまの話、全部録音させてもらいましたよ。義兄さん」

「忍……、この私を裏切るのか」

「………」

「おまえに目をかけて、高級官僚への道を用意してやったのは、この私だぞ。おまえはいずれ文科省のトップに立つはずだった。たるみきった日本の亡国教育を一から破壊して、井奈波の教育思想をこの国の根底に植え込むために! そのために、おまえは教育行政のかなめにつくはずだった!」

「井奈波の思想……? あんな人間性のかけらもない競争至上主義が? 負けた者は人間ともみなさないような、偏狭な選民主義が? 誰がそんなもののために生きるもんか。僕が今日まで、砂利をむような想いであなたに仕えてきたのは、ひとえにこのためだ。あなたに罪を認めてもらうためです。十二年前、父さんを殺すように部下へ指示したのは、剣持昌史、あなたですね」

 昌史はみしている。怒りのあまり、目が血走っている。

 忍は追い詰めるように更に迫った。

「父さんの研究のこんせきをこの世から消すために、家ごと焼け。目撃した家族ごと殺せ、と小豆原に指示したのは、あなたですね」

「……く……忍、きさま……」

「あなたですね。剣持昌史!」

 のどもとに刃を突き付けるように、忍が言った。

 その張りつめきった空気を破るように──。

 祖納の港のほうから、数台の車のライトが近づいてきた。

 車は墓地を照らすようにして次々と停まり、数人の男たちが降りてきた。手には警察章を振りかざしている。私服警官だ。彼らを伴って現れたのは和服姿の女性だった。

 年齢は五十代半ばほど、髪をきりりと結い上げ、厳しい顔つきとぜんとした立ち姿は、ただ者とは思われない。

「あれは……確か」

 真っ先に気づいたのは萌絵だった。そして、忍と昌史も、目を疑った。

しよう…様……」

 近づいてくる女は、龍禅寺笙子。

 龍禅寺雅信の実娘で、龍禅寺家における実質上の当主でもあった。

「久しぶりですね。昌史さん。忍さん」

 落ち着き払った声は、女性ながら重みがあり、目線の配り方といい、たたずまいといい、どこか迫力めいたものがある。昌史は、なぜ笙子がここにいるのか、理解できなかった。

「……全く『龍の子供』ともあろう者たちが、このようなところで世間様を騒がすとは」

「笙子様、なぜここに」

「井奈波の者から知らせを受けました。忍を追って、あなたたちが与那国に向かったと」

「笙子様、私は忍の暴挙を……!」

「お黙りなさい。昌史」

 切れ長の瞳が、刃のように昌史を睨みつけた。

「小豆原が何をするためにここへ来たかは明白です。弁解は結構。十二年前のことも含め、あなたの言い分は、岐阜に戻ってからゆっくり聞くことにしましょう。……さて忍さん」

 さすがの忍も、龍禅寺笙子の前では、どこか緊張気味だった。

「……笙子様。これは一体」

「あなたが送ってくれた三村さんの動画、見せてもらいました。なんてむごい。一族の者として、黙って見過ごすことはできないと思い、警察に通報しました」

 私服警官たちは、すでに小豆原の身柄確保を始めている。昌史は動揺し、追い詰められた表情で、

「あんなねつぞう動画を真に受けるのですか、笙子様。これは全て忍が私を陥れようとして謀ったことです! 根も葉もない……!」

「──剣持昌史さんですね」

 現場を取り仕切る年配刑事がやってきて、そう声をかけた。

「……十二年前に起きた相良邸放火事件について、少しお話を伺いたいので、ご同行願えますか」

「お行きなさい。昌史」

 と突き放すように笙子が言った。

「そして本当のことを話すのです。あなたが知っている限りのことを全て」

「笙子様……ッ」

「どの道、あなたが『龍の頭』を取ることは、今後、永久にありません。往生際が悪いですよ。さあ、行くのです」

 昌史は顔面そうはくになりながら、魂が抜けたように立ち尽くしていたが、やがて年配刑事に誘導されて、車に乗り込んでいった。萌絵に助けられた鶴谷も、無量が手伝って縄を解いたので、やっと自由の身となった。

「すまん、無量。ありがとう、永倉さん」

「ううん。怪我がなくてよかったです」

「連中、事務所の外に呼びだして、いきなりだ。あんなやり方、暴力団と変わりない」

 振り返ると、すぐ近くに龍禅寺笙子と忍が立っていた。笙子は深々と頭を下げた。

「身内の者が大変ご迷惑をおかけ致しました」

「い、いえ……」

「あなたは以前、当家にお見えになった方ですね。確か、三村さんのご親族として」

「ああ……ええー…と、そのー」

 萌絵は頭をいてとぼけるばかりだ。忍が改めて笙子に三人を紹介した。

「そう。あなたが西原無量……。お噂は忍からかねがね聞いていますよ。今回の発掘では、素晴らしい成果を収められたそうですね」

 無量は、黙って頭を深く下げた。龍禅寺の当主が直々にこんな遠方の島まで駆けつけたのは、ひとえに忍を救うためだと、無量にも分かったからだ。

 笙子は月に照らされる亀甲墓を振り返った。

「……あれが、あなたのご家族のお墓ですか。忍さん」

「はい」

 笙子は石垣の中に進んでいくと、墓前にしゃがみこみ、手を合わせた。無量も、それに続くようにして手を合わせた。萌絵と鶴谷も二人に倣った。

「……ここが蓬萊の海なのですね」

 合掌を解いて、笙子は亀甲墓の向こうから聞こえてくる波の音に耳を傾けた。海風にのぼりばたなびいている。一面の草原をさざめかせている。

 忍は、自分の身に万が一のことが起きたときに備え、笙子に事件の解決をゆだねようとして、動画を送っていたのだ。が、こんなに早く笙子が直々に動くとは、思ってもみなかった。

「相良家の事件については、内々に調べさせました。父の遺品にあった琉球古代文字に関する資料を始め、一通りのものを、警察の方に鑑定してもらうことにしました。何か手がかりになるかもしれません」

「笙子様」

「小豆原たちの周辺にも間もなく捜査の手が伸びるでしょう。……これで少しは、あなたの気持ちを鎮めることができそうですか。忍さん」

 小豆原が与那国まで忍を追ってきたのは、昌史のもとに連れ戻すためだったが、忍が同行を拒否したら、あるいは口封じのために、そのまま殺害していたかもしれない。

 無量たちが先に見つけなかったら、と思うと、無量も萌絵も、背筋がぞっとしてしまう。だが忍は覚悟の上だったようだ。きっと一人で決着をつけるつもりだったのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る