第八章 ニライカナイ④
「……条件を聞こう。義兄さん。僕はどうすればいい」
「ようやく素直になったじゃないか。忍。それでいい。それでいいんだ。おまえは私の大切な飼い犬だ。どこに出しても恥ずかしくない、
忍は無量を振り返った。
蓬萊の王が、ヤマトの王に、承認の
忍が、こちらに手を差し出している。無量は首を横に振った。
「駄目だ、忍。そんな奴に渡すわけにいかない」
「おまえたちを守るためだ。僕に渡してくれ。『海翡翠』を」
「駄目だ!」
「鶴谷さんがどうなってもいいのか」
無量は苦しそうにしていたが、拘束された鶴谷を見て気持ちが折れたか、とうとうリュックの中から〈上秦
その手に渡そうとした。……その時だった。
飛び出したのは無量だった。いままさに昌史に渡そうとしていた箱を、横から奪い去ると、中の石だけ取りだして、有無も言わさず、暗い海めがけて力いっぱい放り投げた。
「!」
「無量!」
だが、すでに遅い。
琥珀玉は月の光を受けながら、きれいな放物線を描いて草むらの向こうに消えた。あの先は
「なんてことを……ッ。……おい、捜せ! 今すぐ捜し出せ!」
昌史の部下たちが急いで草むらのほうへと駆けていく。忍も
「無量……」
「いいんだ」
と無量は背を向けたまま
「あんなもののせいで、人が死んだり傷ついたりするくらいなら、蓬萊の証なんか、最初からないほうがいい」
昌史は憤怒のあまり、無量の胸ぐらを乱暴に
「貴っ様あああ……! 自分が何をしたか分かっているのか!」
無量は
「三種の神器? 天皇? 笑わせんな! あんな石ころのせいで三村サンは死んだんだ。こんな騒ぎになるくらいなら掘り出さなきゃよかった。石の声に
永倉! と無量が叫んだ。昌史達がはっと振り返った時には、鶴谷の腕を摑んでいた荒城の至近距離に萌絵が飛び込んでいる。皆の注意が「海翡翠」に集まった隙に、動いていた萌絵だった。萌絵はあっというまに懐に入ると、荒城の
「西原くん! 助けたよ!」
「よし! そのまま逃げろ!」
「き……さま……っ」
絶妙な連係プレイだ。後を追おうとする昌史に立ちはだかったのは、忍だ。その手にはICレコーダーがある。
「いまの話、全部録音させてもらいましたよ。義兄さん」
「忍……、この私を裏切るのか」
「………」
「おまえに目をかけて、高級官僚への道を用意してやったのは、この私だぞ。おまえはいずれ文科省のトップに立つはずだった。たるみきった日本の亡国教育を一から破壊して、井奈波の教育思想をこの国の根底に植え込むために! そのために、おまえは教育行政の
「井奈波の思想……? あんな人間性のかけらもない競争至上主義が? 負けた者は人間ともみなさないような、偏狭な選民主義が? 誰がそんなもののために生きるもんか。僕が今日まで、砂利を
昌史は
忍は追い詰めるように更に迫った。
「父さんの研究の
「……く……忍、きさま……」
「あなたですね。剣持昌史!」
その張りつめきった空気を破るように──。
祖納の港のほうから、数台の車のライトが近づいてきた。
車は墓地を照らすようにして次々と停まり、数人の男たちが降りてきた。手には警察章を振りかざしている。私服警官だ。彼らを伴って現れたのは和服姿の女性だった。
年齢は五十代半ばほど、髪をきりりと結い上げ、厳しい顔つきと
「あれは……確か」
真っ先に気づいたのは萌絵だった。そして、忍と昌史も、目を疑った。
「
近づいてくる女は、龍禅寺笙子。
龍禅寺雅信の実娘で、龍禅寺家における実質上の当主でもあった。
「久しぶりですね。昌史さん。忍さん」
落ち着き払った声は、女性ながら重みがあり、目線の配り方といい、
「……全く『龍の子供』ともあろう者たちが、このようなところで世間様を騒がすとは」
「笙子様、なぜここに」
「井奈波の者から知らせを受けました。忍を追って、あなたたちが与那国に向かったと」
「笙子様、私は忍の暴挙を……!」
「お黙りなさい。昌史」
切れ長の瞳が、刃のように昌史を睨みつけた。
「小豆原が何をするためにここへ来たかは明白です。弁解は結構。十二年前のことも含め、あなたの言い分は、岐阜に戻ってからゆっくり聞くことにしましょう。……さて忍さん」
さすがの忍も、龍禅寺笙子の前では、どこか緊張気味だった。
「……笙子様。これは一体」
「あなたが送ってくれた三村さんの動画、見せて
私服警官たちは、すでに小豆原の身柄確保を始めている。昌史は動揺し、追い詰められた表情で、
「あんな
「──剣持昌史さんですね」
現場を取り仕切る年配刑事がやってきて、そう声をかけた。
「……十二年前に起きた相良邸放火事件について、少しお話を伺いたいので、ご同行願えますか」
「お行きなさい。昌史」
と突き放すように笙子が言った。
「そして本当のことを話すのです。あなたが知っている限りのことを全て」
「笙子様……ッ」
「どの道、あなたが『龍の頭』を取ることは、今後、永久にありません。往生際が悪いですよ。さあ、行くのです」
昌史は顔面
「すまん、無量。ありがとう、永倉さん」
「ううん。怪我がなくてよかったです」
「連中、事務所の外に呼びだして、いきなりだ。あんなやり方、暴力団と変わりない」
振り返ると、すぐ近くに龍禅寺笙子と忍が立っていた。笙子は深々と頭を下げた。
「身内の者が大変ご迷惑をおかけ致しました」
「い、いえ……」
「あなたは以前、当家にお見えになった方ですね。確か、三村さんのご親族として」
「ああ……ええー…と、そのー」
萌絵は頭を
「そう。あなたが西原無量……。お噂は忍からかねがね聞いていますよ。今回の発掘では、素晴らしい成果を収められたそうですね」
無量は、黙って頭を深く下げた。龍禅寺の当主が直々にこんな遠方の島まで駆けつけたのは、ひとえに忍を救うためだと、無量にも分かったからだ。
笙子は月に照らされる亀甲墓を振り返った。
「……あれが、あなたのご家族のお墓ですか。忍さん」
「はい」
笙子は石垣の中に進んでいくと、墓前にしゃがみこみ、手を合わせた。無量も、それに続くようにして手を合わせた。萌絵と鶴谷も二人に倣った。
「……ここが蓬萊の海なのですね」
合掌を解いて、笙子は亀甲墓の向こうから聞こえてくる波の音に耳を傾けた。海風に
忍は、自分の身に万が一のことが起きたときに備え、笙子に事件の解決を
「相良家の事件については、内々に調べさせました。父の遺品にあった琉球古代文字に関する資料を始め、一通りのものを、警察の方に鑑定してもらうことにしました。何か手がかりになるかもしれません」
「笙子様」
「小豆原たちの周辺にも間もなく捜査の手が伸びるでしょう。……これで少しは、あなたの気持ちを鎮めることができそうですか。忍さん」
小豆原が与那国まで忍を追ってきたのは、昌史のもとに連れ戻すためだったが、忍が同行を拒否したら、
無量たちが先に見つけなかったら、と思うと、無量も萌絵も、背筋がぞっとしてしまう。だが忍は覚悟の上だったようだ。きっと一人で決着をつけるつもりだったのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます