第八章 ニライカナイ③

「……僕はその人とは縁もゆかりもない。赤の他人がどうなろうと知ったこっちゃない」

「忍!」

「そのかわり、その人に手を出したら、ただちに動画をネットに流します」

 とスマホを突きつける。

 互いに譲らない。こうちやく状態となった。

 だが、昌史も容易には折れなかった。

「面白い。やってみろ。泣きっ面を見るのは、ここにいるおまえの幼なじみだぞ」

 意表を突かれたのは、忍だ。無量のことか。

「どういう意味ですか」

「西原無量。君のおじいさんは有名人だったね」

 突然、自分に水を向けられた無量は、一瞬頭がついていけず、困惑した。

「……なにを、いきなり」

「西原瑛一朗。元・北関東大学教授。考古学界の重鎮と呼ばれて、先史時代の発掘で目覚ましい発見を次々と成し遂げたが、十三年前、ある発掘調査の現場において、研究室ぐるみのねつぞう事件が発覚したかどにより、学界を追われた」

「!」

 萌絵も「あっ」と口を覆い、忍も目をいた。後ずさった無量に、昌史は自ら追い詰めるように近づき、

「……大変な騒ぎになったのを、私も覚えているよ。君のおじいさんは、助手に指示して、発掘中だった遺跡に、ありものの石器を埋めさせた。それを経験の浅い学生に『発掘』させて、新発見と騒いだんだ。その不正をマスコミにリークした研究者がいた。おかげで、君のおじいさんが研究室ぐるみでやらかした一連の捏造が、世間に発覚して、学界中が大騒動になった」

 無量は真っ青になって、絶句している。

 忍がとつにフォローできなかったのは、それをリークしたのが、自分の父親・相良悦史であったからだ。

「……当時、君のおじいさんが唱えていた学説は、ライバル研究者と対立してたそうじゃないか。しかし証明する遺物が一向に出なかった。ライバルが着々と発見を重ねて学説を固めていくのを見て、焦ったんだろうね。実に周到な計画のもと、研究室の助手に報酬を与えて、次々と捏造を指示し、分析データの数値まで書き換えた。噓で塗り固めたおじいさんの研究成果は、一時は目覚ましいともてはやされたが、全ては自分の学説に都合良く塗り替えた偽物だった。君のおじいさんは否認したが、助手は認めて世間にばれた」

 うろたえたのは萌絵だった。その事件は無量にとって一番触れられたくない傷だと分かる。無量の表情を確かめたかったが、背中越しで見えない。

「あの捏造事件は、日本の考古学界の信用をガタ落ちさせたそうだね。よりにもよって高名な大学教授が自ら捏造に手を染めるなんて、ありえない話だ。若い頃から、素晴らしい発見を重ねて学界をリードしてきた人物だとか。過去の功績が輝かしいばかりに、今の不振に焦るのはよくあることだ。しかも学長選がかかってたと聞けば、さもありなんだ」

 無量自身が無関係でも、彼の右手の火傷やけどが、身内の不名誉を忘れさせない。単なる不名誉では済まされない。昌史の言うとおり、それまで西原瑛一朗が関わった発掘は、一から検証し直すことになり、おかげで日本の先史研究は停滞を余儀なくされた。瑛一朗は大学を去り、以後、学界はもとより、あらゆる公の場から姿を消した。それまでの功績も、全て無に帰した。

「そんなおじいさんの孫だというだけで、君もさんざん苦労しただろうが、海外はともかく、この日本で同じフィールドにいること自体、神経を疑われやしないか。良心は痛まないのか。きっと世間は同じ事を思うだろうね」

「……いったい、何が言いたい」

「君がこつこつ積み重ねてきた信用を、地に落とすのは、難しいことじゃないということだよ。君に捏造疑惑があるという噂を流すだけでいい」

「なんだと!」

 怒鳴ったのは、忍だった。

「馬鹿なことを! そんなもの誰も信じるわけが!」

「火のないところに煙は立たない。世間は皆そう思うものだ。元々疑惑の目で見られる西原の孫が、やらかした、という噂だけで、充分ダメージにはなる。そうは思わないか」

「ふざけるな! そんなことさせないぞ!」

「そもそも『宝物トレジヤー・発掘師デイガー』だの『鬼の手オーガ・ハンド』だのと呼ばれてる事自体、すでにして怪しい。そういう、うさんくさい奇跡のたぐいを疑っている者は大勢いる」

「ふざけたこと言わないでください! 西原くんは潔白です! 本物です!」

 萌絵も黙っていられなかった。彼の発掘眼は、偶然や奇跡の類なんかじゃない。養われたものだ。この目で見たし! ──だが昌史は耳を貸さず、

「上秦古墳の発掘に疑惑あり。そういう見出しはどうだろう」

「捏造を捏造する気か」

「大体、なにも出なかった古墳から、彼が参加した途端に大発見が相次ぐのは不自然だ。実際、何かしてるんじゃないか。それこそ」

 と忍のほうを見、

「おまえの手先だった三村教授が『龍禅寺文書』にある通りの発見をさせるよう、夜中に緑色はくを埋めさせた……なんてことも考えられる」

 萌絵が思わず忍を振り返った。まさか、と思ったが、ありえないことではない。

 忍は沈黙していたが、やがて、くぐもった声で笑い始めた。

「ふふ……ははは。さすがだね義兄さん。そうだよ。そのつもりだったよ。何も出ないなら、捏造もいとわないつもりだった。わざと『龍禅寺文書』の通りになるよう古墳に手を加えて、あなたたちをいいように踊らせてやるつもりだった。無量が参加するまでは」

「忍……っ」

「安心しろ、無量。あれは捏造したものなんかじゃない。そんなことしなくても、おまえは自力で見つけだした。土の中に千八百年眠っていたうみすいを、自分の手で。今度の発掘に一切、裏はない。僕は当初、捏造も厭わないつもりだったが、三村教授の口から、おまえの名を聞いた瞬間、ぐらり、と心が大きく揺れた」

 無量は少年のように目を見開いた。

 忍は苦しげに目を伏せ、

「手段なんか選ばないつもりだったが、おまえの名を聞いて、初めてちゆうちよした。迷いが出た。おまえを上秦に呼ぶ、と三村教授から聞いたその時から。すぐに、おまえとおまえのおじいさんのことが頭に浮かんだ。捏造は、おまえを傷つけるばかりじゃない。無量のおじいさんの罪を見逃せずリークした、僕の父さんの心までも裏切ることになる。……そんなことはできない。それだけはやっちゃいけないと思い直したんだ」

 忍の言葉に偽りはなかった。

 無量の名が、忍の心の魔を断ち切った。

 無量の参加が決まったからこそ、思いとどまることができたのだ。

「それに、捏造したところで、おまえなら、すぐに見破るだろう。僕の目を覚ましたのは無量、おまえだ。無量のおかげで、過ちを犯さずにすんだ。あと少しで父さんに恥じることをしてしまうところだった。僕は捏造だけはしない。真実だけで闘う、と心に誓った。おまえが何も掘り出せず、『蓬萊』の存在が永久に証明できなかったとしても、それはそれでかまわないと思った……。本当だよ」

 そう語るひとみは誠実だった。無量は胸が熱くなるのを感じた。

 忍は再びきつい表情に戻ると、昌史にたいした。

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