第八章 ニライカナイ②

 小豆原から電話を受けて、身の危険を覚えた三村に、忍が指示した。三村はひそかにそれを物陰に設置し、一部始終を記録させていたのである。

 忍が動画を再生し、小豆原へと画面を突きつける。動画には、犯人とのやりとりが克明に録画されていた。音声も画像も粗いが、生の現場がそのまま、小さな携帯端末スマートフオンに収められている。

 三村と向き合うのは、黒っぽいジャンパーを着た、がたいのいい中年男だ。

 小豆原の異相が、さすがにこわばった。忍も、沈痛そうに、

「……僕も、まさか三村教授が殺されるとは思わなかった」

 無量と萌絵も、小さな液晶画面に再生される生々しいやりとりに、かたを吞んでいる。

「いま思えば、あの時、すぐに研究室から出るよう、三村教授に指示するべきだった。犯人からの脅迫が証拠として押さえられれば、後で役に立つだなんて考えた、自分の浅はかさを悔いたよ。一度殺人を犯した人間は、二度も三度も同じだということに、僕は気づくべきだった。……見ろ。教授は海翡翠が手元にないと告げて、犯人の要求を拒んでる。犯人は言い逃れと思って、この後、研究室を家捜しし始めたが、これを止めようとした三村教授に暴行を働いた。耐えかねた教授は、とうとう犯人を脅しにかかったんだ。──つまり、十二年前の放火殺人の犯人が何者かを、全て暴露すると」

 まさか、と無量はつぶやいた。忍は、こくり、とうなずき、

「脅迫をほのめかした教授は……それが命取りになった。犯人は口封じのために、三村教授を殺害したんだ」

 無量と萌絵は、息を吞んだ。

 小豆原の異相は、ますます、張り付いたような無表情になった。

「さあ、どうする。最後まで、ここで、その無惨なシーンを皆で鑑賞するか。どうやって三村教授を死に至らしめたか、その目で見るか」

「そんなものはねつぞうだ」

「捏造じゃない」

 と忍は言いきった。

「この動画はしかるべきところに保存してあるから、端末を壊したところでなくなりはしないよ。どころか、手元の操作ひとつでウェブの動画投稿サイトに送りつけられるようにしておいた。……不特定多数の目にさらされる」

 小豆原は「貴様……っ」とうめいて、こぶしを振り上げたが、忍は動じず、その鼻先へなお強くスマホをつきつけた。そうして怒りの眼力で容疑者を刺し貫こうとするように、一瞬のまばたきもなくにらみつけている。小豆原は、眼前で再生される自らの罪の場面に、力を奪われたように、忍を殴りつけることもできず、拳のやり場を失った。

 無量はぼうぜんとしていた。

「なら、忍。あの日おまえが研究室から走り去ったのは」

「そう。あの場から教授のスマホを持ち去ったのは、僕だ。犯人は僕が駆けつけた時には、すでに逃げた後だったが、物陰から隠し撮りされてたことまでは気づかなかったんだろう」

 駆けつけた忍は、三村教授が即死状態であると気づくと、隠し撮りのスマホを回収し、そのまま現場を立ち去った。

 自らが第一発見者になることを避けたのは、三村との結託を暴かれて、義兄に警戒されるのを恐れたためだ。

「僕たちの関係は、まだ知られるわけにはいかなかった。この計画が終わるまでは」

「なんて愚かな……っ。それでも『りゆうの子供』か!」

「この証拠動画はいいように使わせてもらったよ。ウォール会長も、自分のビジネス・パートナーに大変失望したようだ」

「見せたのか、ウォール会長にまで!」

「ああ。全部見せた。これが井奈波のやり方だと」

「貴様!」

「JBスタンフォードは、井奈波マテリアルの大株主でもある。ウォール会長はウーチヤン銅業と組んで海外企業のM&A(企業の買収・合併)を本格化させるつもりでいる。さあ、次は本丸だ。新実をうしなった井奈波が泣きつくところを狙ってね!」

「もういい」

 一際、鋭い声が、背後からあがった。振り返ると、道路に停まっていた高級車の後部座席から降り立つ男の姿があった。仕立てのいいダークスーツに身を包んだ、強面の男だ。ハーフリム眼鏡をかけ、暗がりの向こうから、眼光鋭くこちらを見ている。

 さしもの忍も、絶句した。

「義兄……さん……。なぜ」

 無量にもすぐに分かった。それはあの朝、上秦古墳に現れた男だ。場違いなビジネス・スーツと高級車、一分の隙もなく整髪したそのようぼうは、間違いなく、あの時の男──。

 井奈波マテリアルの次期CEOで「七剣」のひとり、剣持昌史だった。

「かわいさ余って、東京から戻ってきてしまったよ。忍。話は全部聞かせてもらった」

 とヘッドセットを外す。小豆原はわざわざ小型マイクで音声を拾っていたようだ。墓のほうへと降りてきて、無量と忍の前に立った。昌史は不気味なほどの無表情だったが、いきなり忍の頰へ力一杯、平手打ちをくらわした。すぐにかばったのは、無量だ。

「てめ何すんだ!」

「……馬鹿なことをしたもんだな、忍。飼い犬に手をまれるとは、このことだ」

 昌史が青白い顔をしているのは、月光のせいだけではあるまい。怒り心頭であるのを抑え込んでいるのが、語尾の震えで分かる。それが証拠に、血管の浮くこめかみは細かく震えていた。

「育ててやった恩義も忘れて、恩をあだで返すとはこのことだ。さあ、来い。すぐにウォール会長と連絡をとれ。仕置きはその後だ」

「忍に触るな!」

 腕をつかんだ昌史の手を、無量が強く振り払った。昌史は無量を睨みつけ、

西さいばら無量。……リユウの飼い犬に捕まって『蓬萊』に連れていかれたそうだな。それで不老石は見つけられたのか?」

「……ああ。見つけたとも」

 無量がリュックから取りだして見せたのは、あの島で掘り当てた三つの鉱石のサンプルだった。

「あんたらもこいつを見つけたかったんだろう。『蓬萊』の銅鉱床があるあかし

 昌史は無量の手から石を奪い取った。いまいましそうにそれを見つめ、やがて、なぜか不気味に笑い始めた。

「……蓬萊の不老石まで見つけてくるとは。これで『龍禅寺文書』がまゆつばでなかったことが証明されたわけだ。大したものだ、西原無量。もっと早く、君をあの島に連れていくべきだったよ。そうすれば、大御所様がご存命のうちに『蓬萊』を見つけられただろうに。そうすれば後継者指名も揺るぎなかった。私は名実ともに『龍の頭』を拝命できたはずだ。伝説の『蓬萊』が、あの近海であったことは、すでに調査でほぼ確定していた。なのに、この馬鹿者が、リユウごときにリークした」

 昌史が忍を指さすと、忍はくちもとを押さえながら、肩を揺らして笑った。

「もう遅いですよ。義兄さん。ジオ社の親会社・ウーチヤン銅業は中国最大手。そもそも井奈波とは資金力からしてケタ違いだ。なにせ世界の銅需要の三分の一は、中国が占めてる。これから更なる需要が見込まれる。そんな巨大市場の前に、井奈波なんか入り込む余地はない。新実はチリの銅鉱山を持つ上に、製錬技術でもトップクラスでしたね。これを奪われたら、井奈波の銅生産事業計画にも、大変な影響を及ぼしますね」

「きさま……ッ」

「これで万一御社の屋台骨が傾いて、ウーチヤンに身売りとでもなったらどうなりますか。みすみす中国企業の傘下となって、尖閣諸島を始めとする沖縄トラフの開発! そんなこと世間が許すはずがない! さあ大変だ。前代未聞の大失態だ。政治家は大騒ぎ、世間からはバッシング、井奈波の面目は丸つぶれ。井奈波は創業以来の……!」

「ふざけた真似を!」

 昌史はますます青白い顔で、怒りに声を震わせた。

「何様のつもりだ、忍。今日まで育ててやった恩も忘れて、今のおまえがあるのは誰のおかげだと思ってる」

「ええ、大御所様とあなたのおかげだ。大御所・龍禅寺雅信が僕を引き取ったのは、父の蓬萊研究の成果を独占するためだった。いずれは僕に継がす気だったんだろう。そのために地獄みたいな英才教育を受けさせてくれた。そしてあなたは、僕を弟と可愛がるあまりに下僕のように育ててくれた。これは立派な御礼返しというものだ」

 言い切ると、小豆原を振り返り、「おまえもそうだぞ、小豆原」と呼びかけた。

「こんな男のために、何度刑務所行きになるつもりだ。この卑劣な男にそんな値打ちはない。いい加減に目を覚ませ!」

「それで、この私を脅したつもりか」

 憤怒した昌史が合図を送ると、後続車の後部座席から、更にもう二人現れた。引きずり出された女を見て、驚いたのは、無量と萌絵だ。

「鶴谷さん!」

 荒城に伴われて降りてきたのは、縄で後ろ手に縛られた鶴谷だった。漁協の事務所にいたはずだ。鶴谷は無念そうに、

「……すまん、無量。油断した」

 無量はたまらず昌史に摑みかかろうとして、忍に止められた。

「なんのつもりだ! 関係ない人間を巻き込むのが、おまえらのやり方か……!」

「あの女がどうなってもいいのか」

「きたねえぞ!」

「すぐに動画を削除しろ、忍。全て作り事だ。捏造であると、ウォール会長に説明するんだ」

「いやだ」

 やけにキッパリとした忍の声に、驚いたのは無量だ。忍は、鶴谷を人質に取られても全く動じなかった。

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