第七章 宝物発掘師④

「なに? 滝の音?」

 行く手から激しい水の音が聞こえていた。さっきは、そんな音はしなかったはずだ。奇妙に思い、岩壁をよじのぼった無量は、狭い穴から上半身を抜け出して、息をんだ。

「水が……っ」

 最上部の洞穴内に大量の水が流れ込んでいる。さっきまで水などなく、普通に歩けた場所だった。無量たちが外から入った時に通った穴の一つが、水の流入口になってしまっていて、滝のようだ。

「なにこれ!」

「ヤバイ……。海水だ。風穴のもう一方の出口が海に面してたんだ。潮位が上がって、外から流れ込んできたらしい」

「まさか、このままだと水でいっぱいになっちゃう?」

「下の洞の水は真水だったから、どうやらこっち側だけまる仕組みだな。でも、もたもたしてると帰れなくなる」

 後ろからはチャンが追ってくる。だが出口からは大量の水が滝のように噴き出している。

「水の勢いが強すぎる。ザイルで体を結ぼう」

 無量がリュックからザイルを取りだし、萌絵と自分の腰とを手早く繫いだ。無量は流水に腰までかり、先頭をきって渡り始めた。向こう岸で体勢を確保すると、

「ゆっくり来い! 岩に摑まって! ゆっくり!」

 ごおごお、と激しい水の音で声もよく聞こえない。萌絵は必死で渡りきった。無量は辺りを見回し、他の出口を探したが、流入口になっているそこしか、やはり脱出口はないようだ。

「俺が先に行くから、この岩にしっかり摑まって確保してろ!」

 無量は流入口に取りついた。少しでも気を抜くと、水の勢いで一気に押し流されてしまう。無量は水の勢いに逆らってい登り、自分がせきになるように岩の口で手足を突っ張った。

「あがってこい! 長くたないから、早く!」

 萌絵も流入口の岩に取りついた。無量が歯を食いしばり、体を張って堰になってくれているおかげで、どうにか流されずにあがれる。最後は手を差し出してくれて、力を合わせて狭い流入口を抜けると、その先はもう出口だ。外の光が射し込んでいる。

「やった!」

 残してきたザイルを頼りに、最後の岩の急こうばいをよじ登り、狭い亀裂を腹這いでくぐり、ようやく出口の穴から明るい外へと這い出た。

「……助かった……死ぬかと思った……」

 ずぶ濡れの二人は息も絶え絶えだ。が、顔をあげ、辺りを見回した途端、凍りついた。しようにゆうどうの出口で二人を待ち構えていたのは、マツダたちだったのだ。

「石は見つかったようですな」

 二人が出てくるのを、しっかり網を張って待ち伏せしていたようだ。

「ご苦労でした。ミスター・サイバラ。さすがは宝物トレジヤー・発掘師デイガー。鮮やかです」

 どうやら、まだ中にいるチャンとはトランシーバーで連絡をとっていたらしい。無量は再びハンマーを握りしめて身構えた。

「……白々しい。さんざんき使って、あとはポイかよ。サイテーだな、あんたら」

「ここで見たもの、したことは、すべて忘れてもらわなきゃなりません」

「あんたら何。製薬会社のまわしもん? 不老不死の薬なんて、本気で作る気?」

 マツダは薄笑いを浮かべるだけで何も答えない。その様子を凝視していた無量は、不意に真意をぎ取った。……いや、そうじゃない?

「違うな。あんたらの目的は『不老不死の仙薬』なんかじゃない」

 無量は確信をこめて言った。

「……銅だ」

 マツダは目を見開いて「ほう?」とつぶやいた。

「あんたらにとって大事なのは、ここに立派な熱水鉱床があると確信できること。そうなんだろ?」

「………」

「あんたたち、上秦から出た『不老石』の成分結果を知ってるっつったよな。銅や鉛なんかだけでなく、レアメタルも入ってまるで宝の塊だった。あんな高品位なサンプルは滅多にない。あれの出所がどこか、確かめたかったんだよな。産出地が分かることで、考古学者でもない人間が得をすることと言ったら、ひとつしかない。……上秦から出た鉱物の産出地がここだって分かれば、その成分分析がまんま、この近海にある鉱床の品揃えってわけだ。そうでなくてもこのかいわい、面倒くさい海域だし、誰かの目を盗んでわざわざ試掘しなくても、海の底に眠ってる金属鉱床のレベルの目星もつく。でかくて濃い銅鉱床がこの下に埋もれてるって分かれば、採掘しようって連中は、本気になる」

「ほう。ただの化石屋かと思っていたら……」

「現代の蓬萊探しする理由なんて、そんなところしか思いつかないもんな」

 鶴谷から聞いた話だ。

 井奈波に対抗して、沖縄トラフの深海開発をもくむ中国系企業。

 そこに情報をリークしていた者がいるという噂。

「君はいい勘をしている。口封じするには惜しい。契約しないか。西原無量。専属契約料は、そうだな。数千……いや億を出してもいい」

「……いやだ、と言ったら……」

「君は無人の孤島で恋人と心中……という筋書きはどうだね」

 無量は萌絵と顔を見合わせた。

「……こんなんと恋人なんかにされてたまるか」

「ちょ、それこっちの台詞せりふ

「捕まえろ」

 マツダの配下たちが萌絵の腕をつかんだ。が、次の瞬間、その男の体はきれいな弧を描いて、地面にたたきつけられていたではないか。びっくりしたのは無量だ。その無量に手を出してきた男のあごには、萌絵の上段そくとうが鮮やかに決まった。男はふっとんだ。

「今度は簡単には捕まらないよ! 逃げて西原くん!」

 萌絵と無量は逃げ出した。マツダの指示で、すぐに男たちが追ってきた。

「お、おまえ何で、そんなつえーの」

「これでも少林寺けんぽう三段」

「マジか」

「でも本場のカンフー習いたくて留学した」

「げ」

「空手もやってた」

 無量たちは必死に逃げたが、そもそも逃げ場などない極小の孤島だ。

「船どこ? とにかくここ離れないと!」

「船は島の裏っ側だ」

「しまった……!」

 こっちだ! と中国語の声が飛んだ。前から挟みこまれた。捕まえられかけたところを萌絵が得意の武術で切り抜けたが、れた服と冷えた体に体力を奪われて、動きのキレはただでさえ落ちている。日頃の体力不足もたたったようだ。

「どけ、永倉!」

 無量の声に反応して、反射的に身をかがめると、つる植物を摑んだ無量が、追っ手の首に蔓をぐるりとひっかけた。無量は素早く蔓を木に絡ませ、動きを封じてしまう。もがく追っ手をおいて、二人は走り出した。

「こっちだ」

 無量の頭には地形が入っている。ただ漫然と岩ばかり見ていたわけではなかった。

 岩をよじのぼり、追っ手をやりすごし、を繰り返して粘ったが、相手は居所が見えているかのように、二人を追い詰めてくる。まさか、と思った無量がリュックをひっくり返した。案の定だ。GPS発信器が紛れ込んでいた。無量はすぐに海に向かって投げ捨てた。

「くそ……っ。なんとかなんねーか」

「西原くん、あっちから登ってきた!」

 逃げて逃げて逃げているうちに、無量と萌絵は次第に岩場へと追い詰められてしまう。両側から挟まれて、逃げ場はない。すぐ後ろで波が派手に砕けている。文字通りがけっぷちだ。

 目の前からはマツダの配下が迫ってくる。完全に囲まれた。

 手には、縛り上げるための縄まで握っている。いや、首を絞めるためか。

「……も、もうだめ……」

「心中なんかごめんだぞ」

「せめて香港映画の潜入捜査官みたいな人と死にたかった……」

 無量の武器は鉱物用ハンマーだけだ。みした。

 これも忍の指示なのか……?

 石を掘らせろ、と指示したのは、忍? こいつらを差し向けたのも、忍?

 殺せ、と指示したのも?

 会いたい。もう一度、会って本当のことが知りたい。こんなところで死ぬわけにはいかない。

「どうしたら……っ」

 無量は強くハンマーを握りしめ、追い詰められた獣のように身構えた、その時だった。

 先程から上空に聞こえていたヘリのローター音が、急に近くなってきた。見上げると、島の真上でホバリングを始めている。何だ? と思った時、海のほうから突然大きなサイレンが聞こえてきた。驚いて振り返ると、島陰から一隻の白いモーターボートが波をって現れたではないか。

「あれは」

 と無量が目を見開くと、船のスピーカーから大きな声が響き渡った。

『──こちらは第十一管区石垣海上保安部です。巡視艇による臨検を行いますので、停泊船舶の乗員はただちに船に戻ってください! 繰り返します、上陸中の船員は、ただちに全員、船に戻りなさい!』

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