第六章 蓬萊の海へ⑦
*
無量が与那国空港に降り立ったのは、夕方六時を少し回ったところだった。
もう日没はしていたが、空は夕焼け色に染まって、まだほんのり明るい。暖かい風が頰を
タラップを降りた無量は、風に石灰岩の匂いがする、と感じた。地質を
機上から見た与那国島は、そのほとんどが
離島の小さな空港は、人を見つけるのも早い。無量を迎えたのは、二人の男だった。ひとりはチャコールグレイのジャケットを着た中年男で、もうひとりはガタイのいい若い男だ。
「西原無量くんですね。迎えに来ました。車、待たせてあります。こちらへ」
「永倉はここにいるんですか」
「すぐに会わせてあげます」
無量は努めて冷静だが、体いっぱい警戒している。やはり中国語訛りがある。無量は中国での発掘経験もあるから、そのニュアンスが分かる。韓国訛りとも違う。中国人か台湾人だ。与那国島は日本の最西端にあり、台湾は目と鼻の先だ。石垣島よりも近い。
だが、この男たちは……。
乗せられたワンボックス・カーが向かった先は、
降ろされたのは、祖納港だった。漁船に混じって、一隻、観光船と見まごう大きなプレジャーボートが停泊している。
「西原くん……!」
「永倉!」
船室には萌絵がいた。無量の姿を見ると、途端に抱きついて、
「大丈夫か、いったい何があったんだ」
「ごめんね、ごめんね西原くん、あたしにも何が何だか……って」
船のエンジン音が響き始めた。気づいた時には、すでに船は沖に向けて出港している。
「おい、どこへ行くつもりだ!」
「ようこそ。西原くん」
デッキに出た無量に、そう
「お前は誰だ。なんでこんなことをした」
「私のことはマツダと呼んでください。事を荒立てるのは我々の流儀ではないのですが、あなたに是非協力してもらいたい頼み事あって、少々強引な手を取りました」
「俺に協力させたいこと? なんだ」
「発掘です」
とマツダは笑った。
「あなたは優秀なトレジャー・ディガーだそうですね。噂聞いてます。その発掘の腕、貸して欲しいのです。
「断ったら」
「もう二度と日本の土、踏めなくなります」
選択の余地もない。これは依頼なんかじゃない。明らかに脅迫だ。
「………。高くつくぞ」
「これでよろしいですか」
とマツダはさらさらと小切手に金額を書いて、見せた。これには萌絵も無量もグッと詰まった。二人が自分の通帳では見たこともない
ろくな目的ではないのも分かっていたが、どの道、逃げることもできない海上だ。港の
隣には萌絵もいる。自分ひとりならばいざ知らず、ここは
「……それっぽっちの額でサイバラムリョウを買えると思うのか」
精一杯、虚勢を張った。
「成功報酬は別だからな」
夜の海には明かりひとつない。
空は晴れてきて波も高くはないが、時折、船体が波とぶつかる衝撃が伝わった。
無量と萌絵は、同じ船室に押し込められた。
携帯電話は取り上げられて、電源を切られた。これでは万が一の時に亀石へ居所を
「荷物も没収か。これじゃ手も足も出ない……」
「うう。あの人たち、きっとチャイニーズ・マフィアとかだ。このままセメント
「自分売れるとでも思ってんの」
「はい?」
「せいぜい魚の餌でしょ。あの男も、マツダだかスズキだか知らないが、偽名なのバレバレ」
「なんでこんなことになっちゃったんだろ」
「おまえが変な連中についてったりするからだろ」
「ちょ、ついに『おまえ』呼ばわりキタ? だって井奈波マテリアルなんて名乗るから」
「その井奈波が問題なんだろ。その上ラチられるなんて、どんだけボンヤリなんだよ」
「あたしだってヌンチャク持ってたら、捕まったりしてないよ!」
「じゃ持って歩けよ!」
「重いんだよ?」
「はー……。なにやってんだ俺。こんな馬鹿につきあう羽目になるなら、おとなしく恐竜掘ってりゃよかった」
「馬鹿って言った? いま馬鹿って言いましたね。言うに事欠いて馬鹿ですか? 馬鹿って言うと馬鹿って言うよ? ……そう。相良さんから聞き出した大事な話、知りたくないんだ」
「忍から?」
無量がたちまち真顔になった。いがみあっている場合ではなかった。萌絵はこれまでの経緯を無量へと洗いざらい語った。サビチ洞で、忍が語った内容についても全て。
終わりのほうは、無量も顔を押さえて、
「……なんてこった。やっぱり、あいつら全部、初めから分かってたんだ」
卑弥呼の金印だなんて、とんだ口実だ。上秦古墳は、蓬萊からの使者の墓。それ自体、にわかには信じがたいが、現実に「海翡翠」と「蓬萊文神獣鏡」と「不老石」は出土したのだ。
事実だとすれば、教科書を書き直すほどの重大な発見だ。
忍があの時、異様にはしゃいだ理由も、今ならば理解できる。
ようやく三村教授の真の目的が判明し、無量はもやもやが晴れて
だが、それはそれだ。
忍が語ったことだけでは、今のこの状況を説明できない。
「あの人たち、何なんだろう。西原くんのこと知ってるなんて」
「少なくとも井奈波の関係者とは違うな。『海翡翠』のことには一言も触れなかった。要求もしてこなかった」
「じゃあ、本当に西原くんに発掘させるためだけに? でも、どうして」
「マツダとかいう連中は、俺が石垣島に来ることを知ってた。おまえが忍と一緒にサビチ洞にいることも。……忍は一度、監視の尾行を川平湾でまいてるんだったよな」
「うん」
「てことは忍の段取りも、マツダは知ってたってことになる。サビチ洞に向かうことも。そういう行動の全部を初めから把握してた。つまり」
と言って、無量は苦々しい顔になった。萌絵は青くなり、
「マツダと相良さんがグルだってこと? でもあんなに殴られてたよ」
「死なない程度に殴ることはできる」
「自作自演? そんな。じゃあ、相良さんは初めから……」
三村教授殺害の容疑をきっぱり否定した忍だったが、萌絵はまた
簡易ベッドに腰掛けた無量は、苦しそうに
「忍は、
「復讐……? どうして」
「分からない。この十二年間、ずいぶんつらい境遇にあったみたいだった」
三村教授には、父・悦史の論文を盗んだという疑惑がある。その三村教授に「龍禅寺文書」の解読を依頼したのは、龍禅寺雅信だった。蓬萊の証を探していたのも。
「だが問題は、あの連中の正体だ。忍とグルらしいけど、どこの国の連中なのか」
「あの人達、中国人だよ。言葉が上海
「なんでわかる?」
「だって中国語で話してるの聞いちゃったから。台湾の
「マジか? 何か言ってなかったか? 他に何か」
「うん。どこかの島の調査で、試しに掘って、ナントカカントカが出たら、本国に連絡をつける。調査船を用意しろとかなんとかって」
無量は息を吞んだ。
「井奈波マテリアルには商売敵がいる。中国の同業者だ」
「えっ」
「シンガポールの子会社を使って、東シナ海の海底鉱床開発を進めてる」
「つまり……、井奈波マテリアルの商売敵と相良さんがつるんでるってこと?」
そう考えれば、
忍の「復讐」の正体も。
無量は苦しそうに、組んだ手を、額に押しあてた。
今から自分にさせようとしてることも、その「復讐」の一環か? 全部、忍の差し金なのか?
忍はやはり、自分を利用しようとして「再会」を仕組んだのか。
丸窓から黒い夜の海を見る。先程から北極星を左手に見て進んでいる。与那国島の北東に向かっているということだ。
発掘依頼だ、とマツダは言っていた。
いったい、自分たちに何を掘らせるつもりなのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます