第六章 蓬萊の海へ⑥

    *


 怪我人が救急車で運びこまれる島内の病院は限られている。鶴谷は調べ上げるのはお手の物だ。すぐにあたりをつけると、身内を装って駆けつけた。

 忍は幸い、命に別状はなかったようだ。ろつこつにひびが入った他、何カ所かの打撲傷を負っていたが、内臓破裂などもなく、複数から暴行を受けたわりには軽い怪我で済んだ。念のため、大事をとって経過観察のため一晩入院することになったようだ。鶴谷が身内顔で病棟を訪れると、忍のもとには先客がいる。見れば、剣持たちではないか。

 鶴谷は物陰に身を潜めた。

 忍たちは病室ではなく、面会用の談話室にいた。青い病院着をまとって車椅子に座り、剣持たちと話をしている。

「僕の責任です。義兄にいさん……」

「本当に犯人に心当たりはないのか」

「さっき警察にもかれたけど、見覚えのない男達でした」

 剣持の目つきは鋭く、忍を見つめる眼はまるで看守のようだ。義兄弟の契りを結んだというが、二人の間に身内の親しさはなく、それどころか、妙な緊張感をはらんでいて、血潮の通ったきずなはぐくんだ間柄には、とても見えない。

「足を引っ張ってくれたな。忍。この落とし前はどうつける」

「すみません。義兄さん」

「この無能が! 二十四にもなって少しは使えるかと思ったが……。私の買いかぶりだったようだ。石ひとつ、手に入れられんとは」

「ごめんなさい。ごめんなさい、義兄さん」

「これで万一、石が人手に渡ろうものなら、おまえが死んで詫びても足りないぞ。蓬萊山を連中にもっていかれることにでもなったら、井奈波のけんに関わる! 井奈波どころか日本の沽券だ! 井奈波の面目はまるつぶれだ!」

 険悪極まりない雰囲気だ。患者をとうする面会人に、とうとう忍は車椅子からい降り、土下座をした。

「このとおりです。許してください!」

 すると、次の瞬間、あろうことか、剣持昌史が忍の肩をり倒した。鶴谷は「あっ」と思ったが、かろうじて声をこらえた。

「もういい。我々はこれから与那国に飛ぶ」

「与那国に? なぜ」

「おまえを襲った連中が、サイバラムリョウに与那国行きを指示した。連中は恐らく、我々の目的に気づいている。石を手に入れるのが先だ。おまえの仕置きはそれが済んでからだ」

「待ってください。チャンスをください。ばんかいのチャンスを」

「チャンスなどない。おまえには全く失望した。あてにした私が愚かだった。犬はしよせん、犬以上の働きはできんということだ。いいや、犬以下だ」

「許してください。義兄さん。見捨てないで」

「もう二度と兄などと呼ぶな。クズが」

 いまいましげに吐き捨てると、剣持は冷然と談話室から立ち去った。鶴谷は慌てて物陰に隠れ、やりすごした。残された忍は、がっくりと肩を落としてうなれている。

 だが、剣持がフロアから去ったと見るや、様子が変わった。うつむくちもとが、うっすら微笑している。鶴谷がハッとすると、忍はすっくと床から立ち上がった。

「そこにいるのは、誰ですか」

 鶴谷が聞き耳を立てていたことに、気づいていたのである。先程の頼りない印象がガラリと覆されて、面食らった。鶴谷は腹をくくって進み出た。

「亀石発掘派遣事務所の関係者です。鶴谷といいます」

「無量が与那国島に連れて行かれたと聞きました。本当ですか」

「ええ。空港にいた中国語なまりの男は、井奈波の人間ではないようですね。……永倉萌絵をこの島に連れてきたのは、相良忍、あなたですか」

「……そう言ったのは、剣持昌史ですか」

「ええ」

「都合の悪いことは全部、僕にお仕着せか。まあいい。今に始まったことじゃない。無量は、例の琥珀を持ってきているんですか」

「永倉萌絵の身柄と引き替えだと言われました」

「……無量のヤツ。捨ててもいいって言ったのに」

 と舌打ちする。剣持と話していた時とは別人のような振る舞いだ。

「社用機で飛ばれたら困る。なんとか足止めしないと」

「相良忍。君は何者なんだ。剣持たちの仲間じゃないのか」

「僕は文化庁の一職員として、文化財を私物化しようとするやからから、出土品を守ろうとしてるだけですよ。いい手がある」

 忍はスマホでどこかしらと連絡をとり始めた。話の内容からすると、相手は社用機のパイロットのようだった。

「……ああ。そう。予定が変わった。義兄さんは今日はもう飛ばない。ドイツのクライアントの移動が先だ。すぐに那覇まで迎えに来てくれ」

「相良忍……。君は一体」

「……いや、義兄さんなら明日あしたの与那国便で飛ぶから大丈夫だよ。例のクライアントは今夜中にどうしてもインチヨンに行かなきゃならないそうだ。大切な顧客だからね。僕が連れていくまで那覇空港で給油して、待機してて」

 これでいい、と言って電話を切った。

「この時間じゃ船便もない。これで義兄さんを明日まで石垣に足止めできる。どの道、あの人は明日には東京に帰らなきゃならない羽目になる」

「え?」

「僕は今から与那国に行きます。あなたはどうしますか」

「でも最終便はすでに」

「まだ那覇行きがある。那覇から社用機で与那国に飛びます」

 言うと、忍は部屋に戻り、根回しの電話を数カ所にかけながら、慌ただしく着替えを始めている。「その体で」と鶴谷は案じたが、忍は聞かなかった。

「構っている場合じゃない。無量が心配だ。与那国に呼びつけるなんて聞いてない。僕は、無量が石垣空港に着いたら、その足で彼女と一緒に東京に帰らせろと指示してたのに。あいつら何のつもりだ。まさか……。駄目だ。連中が血迷ったことをしでかす前に、何としても止めないと」

 あいつら? と聞いて鶴谷はぴんと来た。それは剣持たちのことではない。あの中国語訛りの男のことか。看護師の目を盗んでエレベーターへと飛び込む忍の後を、鶴谷は慌てて追いかけた。

「どういうことだ、今のは。永倉さんを連れ去った男達というのは……。もしや!」

 忍は玄関に走り、コルセットを巻いた胸を押さえながら、タクシーに乗り込むと「石垣空港へ」と言った。鶴谷も閉まりかけたドアに身をねじ込んだ。車が走り出すと、忍は怪我の痛みを堪えるため、背もたれによりかかった。

「鶴谷さんと言いましたね。……永倉さんと無量は無事に帰します。約束する。だから僕のすることは黙って見てて欲しいんです」

「やっぱり、自作自演だったのか! わざと自分を襲わせて、永倉さんを!」

「………」

「ちゃんと説明しろ。君たちは何をしようとしてる。あの中国語訛りの男は何者だ。あれは君の仲間だな。上秦古墳とは何なんだ」

 ただの古墳だ、と忍は答えた。

「……父さんが見つけた蓬萊のあかしがある、ただの古墳だ」

 石垣市街は、すでに日も暮れて、街灯の明かりがつき始めている。ソテツが風に揺れている。海は夕闇に黒く沈もうとしていた。

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