第六章 蓬萊の海へ⑤

    *


 飛行機は石垣空港に着陸した。

 まるで駅のように小さな発着ターミナルへは、タラップを下りてから直接歩いていける近さだ。昭和の香りを残す改札口めいたゲートをくぐり、到着ロビーへと入ってきたた無量を、ひとりの中年男が待ち受けていた。

「西原無量さんですね」

 無量は警戒気味に「はい」と答えた。ノーネクタイの小太りな男は、無量に一枚の封筒を渡した。

「十七時三十分の最終便です。時間がないので、このまま出発ロビーに行ってください」

 封筒には、与那国空港行きの航空券が入っている。それと一緒に一枚の写真があった。

 無量は目をいた。──萌絵が写っている。

 日付は今日のものだ。無量は思わず振り返ったが、中年男は外に停めてあった車に、もう乗り込んでいる。「待て」と追いすがったが、一歩遅かった。男を乗せた車は走り去ってしまった。

「どうした。無量」

「鶴谷さん。これ……」

 写真には萌絵が写っている。場所はどこかの岩場だ。どこか遠くから盗み撮りしたもののようだが、背景にはどうくつの入口らしきものも写っている。その少し奥に若い男の後ろ姿がある。

「……忍……?」

 小さく写り込んでいて鮮明ではないが、かつこうといい、髪型といい、そっくりだ。

「相良忍か。それじゃ、永倉さんを連れ去ったのは、やはり」

「………。さっきの男、言葉に中国語なまりがあった」

 鶴谷は途端に顔をこわばらせた。無量は覚悟を固め、

「与那国に行きます」

「私も行く」

「いえ。鶴谷さんは予定通り『アラキ』との待ち合わせ場所に向かってください。嫌な感じがする。何かあったら、すぐに連絡を入れるようにします」

「……分かった。だが気をつけろ。私も後から追いつく」

 とは言ったが、与那国島行きの飛行機は、これが最終便だ。後は明日あしたにならねば飛ばない。

「大丈夫。無茶はしません。何かあったら、すぐ警察に」

 そう言い残して、無量は搭乗口へと慌ただしく向かった。心に余裕がない証拠に、もう、いつものぞんざいな口調ではなくなってしまっている。

 状況が妙な方向に転がりつつあることは、鶴谷にも察知できた。胸騒ぎを抑えながら、指定されたリゾートホテルのロビーへと向かった。空港から車で五分ほどのところにある、城壁を思わせる白い建物は、ひときわ目立っていた。

 二階の広いロビーには南国の花が飾られ、正面の大きなガラスの向こうに海が見渡せる。鶴谷は周りをしきりにうかがった。待ち合わせ場所はここで間違いないのだが、それらしき者の姿は見えない。すると、

「西原様でございますか」

 突然、ホテルの従業員から声をかけられた。代理、とは言わずに応じると、

「メッセージをお預かりしております。こちらを」

 渡された封筒の中に、手紙とも言えぬ一行の伝言が書き記してある。「チャペルで待っています」。見やると、大きな庭の先に、小さな白いチャペルが建っている。宮殿めいた階段を一階に下りて、庭へ出ると、空は雲がたちこめて暗く、ぽつぽつ、と小雨が降り始めていた。

 チャペルの扉は開いていた。中に入ると、数列ほど並んだ長椅子の一番前に、スーツの男がひとり、腰掛けていた。他にひとはないようだ。

「アラキ……さんですか」

 振り返ったのは、眼鏡をかけた会社員風の中年男だ。

「あなたは?」

「……亀石発掘派遣事務所の者です。西原無量の代理で来ました」

「西原さんは?」

「石垣空港まで一緒でしたが、空港で待ち伏せていた男に、与那国島に行くよう指示されて、彼はそちらに向かいました」

 与那国ですと? とげんな顔をしたので、やはり、と鶴谷は合点した。この男は知らない。どうやら、空港にいた中国語訛りの男は「アラキ」とは別の一味のようだ。

「永倉萌絵の写真を見せられて、与那国島に向かうよう指示されました。彼女はどこですか。すぐに会わせてください」

 アラキと名乗った男は、明らかにろうばいしている。

「例の品物は」

「西原無量が所持しています。永倉萌絵がここにいない以上、取引は不成立ですね。どうしますか。このまま警察に行きますか」

「待ってください。西原無量と会わなければ」

「もういい。荒城。ここからは私が事情を説明しよう」

 チャペルの入口から別の男の声があがった。振り向いた鶴谷は、あっと息をんだ。現れたのはいずれもスーツ姿の男たちだ。声をかけたのは、ハーフリムの眼鏡をかけた中年男だった。かっちりと整髪し、きつね目がれいな印象を与え、いかにも仕立てのいいダークスーツを着こなし、その胸には井奈波マテリアルの社章をつけている。

 鶴谷は目を疑った。

「剣持昌史……だと?」

 井奈波マテリアルの執行役員だ。「りゆうの子供たち」の中でも「七剣」のひとりと噂されている。まさか張本人が現れるとは思いもしなかったので、鶴谷は肝を冷やした。わざわざ石垣島ここまで出向いてくるとは。

 背後にはあの小豆原もいる。面長の異相は、威圧感すら漂わせる。剣持の影のように付き従う小豆原は、剣持の右腕とも懐刀とも呼ばれた男だった。

「先程、忍が救急車で病院に運ばれた。サビチの洞窟で暴漢に襲われて、怪我を負っている。その暴漢たちが永倉萌絵さんを連れ去ったそうだ」

「忍とは、相良忍のことですか。来ているのですか。永倉さんを呼び出したのも彼だと?」

「私の弟分のような者です。忍は何者かの依頼を受けて、出土品の横流しに手を貸していたものと思われます。永倉さんはそのトラブルに巻き込まれたものと。このたびの件は、すべて我が愚弟が独断でしでかしたこと。どうおびをしていいのか。小豆原、荒城、君たちからも陳謝なさい」

 二人の男が深々と頭を下げた。

 鶴谷は怪訝に思った。吞み込めない様子で、

「相良忍の指示だったんですか。〈上秦はく〉と引き替えにすることを要求したのは」

「愚弟が迷惑をかけました。永倉萌絵さんを連れ去った暴漢の行方は、いま、警察にも連絡して、捜しているところです」

「なぜ相良忍は〈上秦琥珀〉を手に入れようと?」

「わかりません。こつとう品だか宝飾品だかを扱うブローカーの指示でしょう」

「ならお尋ねしますが、剣持さん。あなたは数日前に上秦古墳に来てましたね。なにが目的だったのですか。今回の騒ぎと、どう関係が」

 剣持昌史は無感動そうに眼鏡のつるを押し上げ、

「あれは、忍が〝卑弥呼の金印が出るかも知れない〟と話していたので、近くまで来たついでに、その発掘現場を見ておきたいと思っただけですよ。取引先に歴史好きの方がおられるのでね。あくまで話の種として。それが何か」

「………。そう、ですか」

 だが鶴谷は言葉通りには受け取っていない。

「ここに来るはずだった西原無量は、その暴漢の指示に従って与那国島に向かいました。彼の身に危険が及ぶ前に手を打たねば。相良忍に会わせてもらえませんか。直接話がしたい」

 しかし、剣持は忍の怪我を理由に応じなかった。捜索は警察に任せたと説明し、鶴谷には東京に引き返すか、さもなくば、このホテルでの待機を求めた。

「手がかりなどがつかめたら、逐一、この小豆原に連絡させます。我々が責任を持って対処いたしますので」

 早々にやりとりを切り上げたい様子がありありと見える。問いつめたい気持ちは山々だったが、ここで無理に答えを迫ったところで、かえって警戒を強めさせてしまうだけだろうし、後々の立ち回りにも支障を来しそうだ。

 剣持たちは慌ただしく去っていった。

 が、おとなしく従う鶴谷ではない。剣持たちを見送って、すぐに動き出した。

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