第六章 蓬萊の海へ③
視界いっぱいに、美しい海が広がる。澄んだ青緑色が果てしなく輝いている。
身も心も解放されるような景色だ。
「……ニライカナイを知ってますか。沖縄の伝承で、海の向こうにあるという、祖霊が
忍はさざ波の音を耳に受けながら、遠い目をしていた。
「そのことを思うと、不思議に安らぐ。こんな美しい海を見ていれば、あの水平線の先に理想の楽土がある、と思い描きたくなるのもわかる」
「……上秦古墳の発掘には、やっぱり何か他に事情があったんですね」
萌絵は、あいにく海の青さに浸る気にはなれなかった。
「あなたが東京から来たのも、文化庁の調査なんかじゃない。西原くんを呼んだのも、ただ、学術的な意味で蓬萊の証を見つけたかったんじゃない。まだ何か理由がある」
「そこまで読めているなら、説明も楽だ」
「そんな大昔の出土品に、どうして、何のために、井奈波の人たちが──あなたたち『
「龍禅寺雅信という人は、気宇壮大というやつで、自分を井奈波の天皇と思いこみ、それにふさわしい『三種の神器』が必要だと考えた。そこで目を付けたのが『海翡翠由来書』に書かれた〝古代から皇孫の王朝を承認してきた『蓬萊』なる権威〟だ。この権威にあやかることで、天皇以上の天皇であることを世に示そうと考えた」
「天皇以上の、って……」
「誇大妄想に思えるでしょ。でも本気だった。日本の将来を憂えて、龍禅寺流教育を広めるための私設財団を立ち上げるくらいだ。……その権威にあやかるために、蓬萊の使者の墓を探したんです」
萌絵は、意表をつかれた。つまり、それは……。
「上秦古墳からの出土品が、蓬萊の神器? そういうことですか? そのために発掘を?」
「生まれながらに富と力を握った人間は、凡人には一見、無用の長物と思えるものにこそ、途方もない価値を見いだすようだ。雅信という男は、使者の墓を見つけだすことに過剰とも言える情熱を注いだ。三村教授と親しくなったのも、そのためだ。でも、掘り出す前に寿命が尽きた。氏はそれでも執念深く『蓬萊の神器を揃えた者には、無条件で、後継者の座を与える』などと遺言したんです」
「後継者を決めるための発掘だったというんですか。あなたは、なら跡取りになろうとして」
「まさか。僕なんか幹部に列することすらできない、ただの使いっ走りだ」
「なら……さっき言ってた〝お兄さん〟のことですか」
忍は苦笑いを浮かべた。
「そう。僕の義兄弟のことだ。上秦古墳から出た、あの三つの出土品は、蓬萊製の、三種の神器。『
「あの硫化銅の塊のことですね?」
「そう。由来書によれば、不老不死の仙薬の原料なんだそうだ。
「不老不死の、薬?」
「……もう分かったでしょう? つまり、それが本命。雅信氏は要するに、その不老不死の薬を試したかったわけです。始皇帝も探させた、不老不死の薬を」
「それって『史記』の蓬萊伝説……」
「あわよくば、グループの製薬会社にそれを研究させて、夢の妙薬を売り出すことまで考えてた。商魂
萌絵は
不老不死の仙薬の原料。だから、あの鉱石が出た時、忍は異様に興奮していたというわけか。
「今度の発掘には、井奈波もしっかり金を出している。といっても
萌絵は「もしかして」と食いついた。
「三村教授は脅されてたんですか。蓬萊の神器を絶対見つけろって、あなたのお
「脅してたのは、義兄さんじゃない。……」
「じゃあ、誰……?」
「……それ以上は、聞かないほうがいいんじゃないかな」
こちらを振り返った忍は、さっきとはうって変わって、氷のような
「……さて、今度はあなたが答える番です。永倉さん。小豆原たちはあなたに何を要求しましたか。あなたに『海翡翠』を持ってこいとでも?」
「海翡翠……? いえ、私には何も」
「そうか。確かに君に要求したなら、何も石垣まで連れてくることはない。やっぱり人質にするために連れてきたんだ。つまり要求相手は──」
忍が、不穏な雰囲気に気づいて、はっと
「なんですか。あなたたちは」
「え? なに……? うあ!」
「永倉さん!」
悲鳴をあげたのは、だしぬけに男達のひとりが萌絵を後ろから抱きかかえて、羽交い締めにしたせいだ。
「ちょ、なにすんのよ! はなしてよ、はなせえええ!」
「おまえたちは何だ! その人を放せ……!」
浜辺にうずくまった忍は、うめきながら
「永倉……さん……っ」
声は届かない。虚脱状態になって抵抗もできない萌絵は、男たちに担がれて、待っていた車に乗せられ、何処かへと連れ去られてしまった。
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