第六章 蓬萊の海へ②
乗り換えた車で、島の北部に向かう。
「
目の前には荒々しい
「サビチ……。って、あ!」
萌絵は思い出した。あの写真だ。忍の父親が撮った。
三村教授と龍禅寺雅信が写っていた、古い洞窟の写真。
あの裏書き──〝サビチにて〟。
「こっちだ」
忍は、洞窟に入っていく。中は暗く、ひんやりして足元が湿っている。目が慣れると、鍾乳石がつららのように天井から垂れ下がっていた。石垣島は石灰岩質で、鍾乳洞が多い。このサビチ洞もそのひとつで、はんな岳の真下にできた横穴は海まで貫通している。ライトの明かりを頼りに歩き出すと、ちょっとした冒険気分だ。地面から突きだす
「まさか、ここがあの写真の……?」
「因縁の地だ。僕ら親子の運命を狂わせた……。上秦古墳の発掘も、全てはここから始まったんだ」
「それどういう意味ですか」
おいで、と忍が手招きし、懐中電灯で照らしながら、右手の岩場をあがっていく。暗い空間をライトが照らしあげて、
「あった……。よかった。まだ残ってたな。見てください」
萌絵が
「これ……。もしかして、岩刻文字?」
「これと同じものを、あなたも見ているはずですよ」
あ! と萌絵は声をあげた。すぐに察しがついた。あの写真だ。三村教授の遺品にあった、三十年前の洞窟写真。あの古代文字のことではないか?
「そう。そして、上秦から出た画文帯神獣鏡にあったのと、同じ古代文字」
「まさか……。これ」
「四十年前、父さんが見つけた」
岩のそばにしゃがみこんだ忍は、父の面影をたどるように、彫られた古代文字の跡を、指先で丁寧になぞった。
「ここだけじゃない。父さんは沖縄の各地で古代文字の
忍の父親・相良悦史。
彼の古代文字研究に関心を持ったのは、三村だけではなかった。
あの龍禅寺雅信が、石垣島に別荘を建てたのも、そもそもは、このためだった。
「龍禅寺雅信は、
「『
「へえ……。さすが亀石さんだな。そんなことまで調べあげてるとはね」
亀石がただの派遣業者でないことは、業界人なら大方、知っている。無量が関われば亀石も絡んでくるだろうことは、忍も想定していたようだ。
「大昔の天皇が即位すると、蓬萊から贈られてくる石だと聞きました……。八尺瓊
「そう。その『蓬萊』だ。龍禅寺雅信は『蓬萊』こそが高天原、つまり皇孫の……天皇家の出自の地だと解釈して、それを証明することをライフワークにしていたからね」
「画文帯神獣鏡の文字が、ここに彫られた文字と同じだから、ここが『蓬萊』って、ことですか」
「それだけじゃない。龍禅寺文書にも、この琉球古代文字が載っていたんだ。蓬萊の文字、としてね」
萌絵は「あっ」と口を押さえた。
亀石が見たがっていた、残りの「龍禅寺文書」のことに違いない。
「その部分には『海翡翠由来書』とただし書きが入ってた。龍禅寺文書は、戦国時代のものだが、元々は東大寺文書を書き写したものだ。東大寺文書は古くは聖武天皇の代まで
「じゃあ、本当に、ここが蓬萊……」
忍がおもむろに立ち上がった。岩から降りると、ひんやりと暗い鍾乳洞を先へと歩き出した。萌絵は慌てて後を追った。
奥まで歩いていくと、先が明るくなってきた。波の音がする。
海だ。
この鍾乳洞は、海に
外に出ると南国独特のシダや
「……だけど、物証はなく、文字だけだ。魏の皇帝みたいにヤマト王権を承認できるような権威が、本当にこの地にあったかどうかまでは、何も証明できない。説明もできない。でも父さんは初めて『龍禅寺文書』を見せられた時、すごく興奮したと思う。そして信じた。……ここが蓬萊の海なんだって」
忍は潮風に吹かれながら
萌絵は遠慮がちに、口を開いた。
「でも……。そのことと上秦古墳がどう関係あるんですか。上秦は邪馬台国の時代っていうから、それより少なくとも四、五百年は前のもののはず」
「確かに。上秦古墳の年代は、聖徳太子なんかよりも
「最初の……使者?」
「ええ。その使者は、海翡翠の他に、多数の銅鏡を持ち込んだ。蓬萊文字の刻まれた鏡だ。それは、別の古墳からすでに三村教授が発掘してた。他にもたくさんの後漢鏡が一緒に副葬されていたから、それで年代がおおよそ
「三世紀……やっぱり邪馬台国の時代、ですか」
「そう。教授も当初は後漢鏡と見ていたようだが、鉛同位体の違いに気づいた。それからは蓬萊文神獣鏡と、名付けたけどね。だが、それが本当に蓬萊産であるとの確信は持てなかった。更に揺るぎない
「海翡翠と鏡と三ツ石……。それって」
無量が発掘した、あの三点の出土品だ。
「場所は、三輪山の
ごくり、と萌絵は
遠くの白波を眺めている忍の横顔は、冷静だった。
「……あの古墳からは、きっと、蓬萊の証が出てくる。三村教授は、そう踏んで今回の調査に挑んだんだ」
「三つの証を見つけだすために、西原くんを呼んだ……そういうことですか」
忍はコクリとうなずいた。
「無量なら、確実に探し当てることができる。そう思ったんだろう」
「でも、でもなんで! 蓬萊の証が出ると読めてたのは分かりました。でも、じゃあ、なんで三村教授は殺されたんですか!」
「さあ……。なんでだろう」
「あなたは何か知ってるはずです!」
「話したら、今度の件は一切忘れてもらえますか。僕があの現場にいたことも」
「!」
萌絵が答えに窮すると、忍は振り返って、ふわりと笑い、散歩をするような足取りで、岩場沿いの道を先導するように歩き出した。三十年前の写真にもあった、岩場の小道だ。行き止まりが猫の額ほどの砂浜になっている。忍を追って、萌絵も波打ち際に降りた。
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