第五章 化石なんかじゃない⑦

    *


 萌絵を乗せた車は、大阪方面に向かった。

 白手袋の運転手と立派な高級車、隣に座るのは、身なりの整った中年男性。高そうなスーツをかっちりと着こなし、足元もよく磨かれた高級革靴を履いている。襟元には稲穂マークの社員バッジが誇らしげに輝いている。

 きたいことはたくさんあったが、何だか空気が張りつめていて、おいそれとたずねられる雰囲気ではない。小豆原なる男の苦み走った顔は、じっと前方をにらんでいる。モアイ像を思わせる長いあごに白髪まじりの短いひげを生やしている。萌絵は亀石と無量にメールを打とうとしたが、小豆原に止められた。内密の調査だから、外部には知らせないで欲しい、とくぎを刺されてしまった。なので「急用で遅れる」とだけ送信した。

 萌絵には先程から気になることが、ひとつ、ある。

 車内にほのかに漂う、この香りだ。

 龍禅寺の屋敷でかれていた、きやの香りではないか。

 昨夜、無量が焚いてみせた「りゅう」だ。

 小豆原と名乗るこの男から香ってくるようなのだ。

 高速道路に乗り、過ぎる道路標識はどれも大阪方面を指していたが、市内に降りる気配はなく、神戸方面を目指している。一体どこまで連れて行かれるのか、と萌絵が不安になった頃、ようやく車は高速を降りた。標識の下に空港マークが出てきた。

 まさか空港に行くんじゃ……。

 そのまさかだった。車はたみ空港に到着した。

「ここから社用機で飛びます」

「社用機って……いったいどこまで行くんですか。東京まで行っちゃうんじゃ?」

「社の施設があるところまで行きます」

 ハンガーの先に止まっているのは、小型ジェット機だ。さすが大企業はこんなものまで持っているのか、と驚く一方、そこまで重大なことなのか、とすくむ。

 忍は文化庁の職員ではなかった? 身分詐称?

 自分の証言は、忍の罪を暴くために必要だというのか。

「さあ、どうぞ」

 白く細い機体についている小さなタラップをあがった。携帯電話は電源を切るだけでなく、なぜか預けさせられた。乗り込む前に、一度後ろを振り返った。ぼうばくと滑走路が広がっている。急に不安がこみあげてきた。この翼の向かう先に恐ろしいものが待っているようで、無量に何も言わずに出てきたことを後悔した。だが後戻りできない。

「……どうしよう、西原くん……」

 高まるジェットエンジンの音が、萌絵の不安に勢いをつける。

 小型ジェット機は伊丹空港を飛び立った。


    *


 一方、無量は妙な胸騒ぎがして、その日はとうとう現場を休んでしまった。

 萌絵には何度も電話をかけたが、いっこうに出ない。無量を不安にさせるのは、あの黒塗りの車だ。ナンバーこそ確認できなかったが、井奈波マテリアルの剣持や忍を乗せて去った車両と、よく似ていたせいだ。

「あいつ、一体どこに」

 こんなことならGPSにでも登録しておけばよかった、と後悔する無量のそばには、亀石もいる。ホテルの部屋だ。亀石も、ある場所に電話中だった。「分かりました。失礼します」と言って受話器を置いた亀石は、落胆気味に深いためいきをついた。電話をかけていた相手は、岐阜の龍禅寺家だった。

「〝龍禅寺文書はお見せできません。うちには置いてございません〟だとよ。こないだとずいぶん態度が違うな。けんもほろろに切られた」

「ダメだったんですか」

「ああ。夫人に当たったのがまずかった。為夫氏に直接訊けばよかった」

 龍禅寺為夫の妻・笙子は、雅信氏の実娘だ。実質上の当主は、この笙子夫人なのだ。ブロックされた亀石は「しくじった」と舌打ちしている。

「三村さんが『ほうらいうみすい』の存在を知ったのは『龍禅寺文書』であることには間違いない。上秦古墳との関わりを示す何かがあると踏んでるんだが、そいつさえ分かれば、今度の事件も、何か解けるはずなんだ」

 だが、ブロックされた。この分では、龍禅寺に自分たちが調べていることをぎ取られている。

「しくじったな……。永倉のほうはどうだ。連絡ついたか」

「いえ。まだ」

 無量は携帯電話を握りしめた。

「やっぱり、井奈波マテリアルの剣持という男に連絡をとります。今度の件、あの男がかぎを握ってる。忍のことも何か知ってるはずなんだ。あの男は俺のことを知っていた。俺が連絡をつければ、無視はできないはずです」

「おまえの勘がそう判断してんのか」

 うなずくと、亀石はあごひげに手を当てて無量を凝視する。

 無量が発掘の腕を高く評価されるのは、単に遺物を探し当てるからではない。土に埋もれた遺物は原形をとどめずに発掘されることがほとんどだ。恐竜の骨しかり、土器の破片しかり。パズルのピースに見立てられる、その小さな破片のひとつひとつから、全体像を読み取る力が優れているためだ。いわば脳内復元力だ。復元勘が人並み外れている。

 その能力が及ぶのは、何も出土物に対してだけではないと亀石は思っていたから、

「なら、止めん」

 と答えた。

「だが動く時は俺も動く。ひとりで走んなよ」

 剣持昌史は経営陣に名を連ねている。井奈波マテリアルの本社に電話をかけるだけで、おのずと連絡はつくはずだった。もちろん、事がスムーズに運ぶわけはない。秘書から用件を訊ねられ「上秦古墳の件で訊ねたいことがある」と正直に話すと、案の定、不在を理由にこちらの連絡先だけ訊ねてきた。

 返事があるかは、向こう次第だ。

「……やっぱり会社まで行きましょう。直接会って話すしかない」

「大企業の重役相手にそう簡単に会えると思うのか。アポなしで行っても、警備員につまみ出されるのがオチだ」

「上秦の緑色はくが見つかった、と持ちかければ、きっと応じる。俺を脅した男は、剣持って奴とどこかでつながってるはずだから」

 無量には確信があった。

 亀石は腕組みをして険しい顔つきだ。

 そのときだ。

 無量の携帯電話に着信があった。

 萌絵の携帯からだった。すぐに出た。

「永倉サン? あんた、いまどこに!」

『サイバラムリョウくんだね』

 返ってきた声は、中年男性のものだった。息をんだ。

「誰だ、あんた」

『永倉くんは今、我々と一緒にいる。いろいろと協力してもらいたいことがあるんだ。君にも来てもらいたい』

「協力だと? どういうことだ」

 無量の警戒を鼻でいなし、電話の向こうの中年男性はしかつめらしく言った。

『詳しい話は来てもらってからだ。ああ、来る際は、上秦から出た琥珀玉を必ず持ってきてくれたまえ。そうでなければ、彼女の身の安全は保証できない』

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