第五章 化石なんかじゃない⑤

    *


 萌絵と鶴谷は、ホテルのそばのファミレスに落ち着いた。亀石いわく「剃刀かみそりみたいな女」を前にして初めは緊張した萌絵だったが、鶴谷は見かけよりもソフトな物腰で、会話をかわすうちに存外話しやすいと感じた。もつとも、相手はフリージャーナリストだ。人から話を聞き出すのが商売みたいなものだから、職業柄、聞き上手なのは当然だが。

 おごってくれたチョコ・ブラウニーの甘さが、徐々に萌絵の口をも滑らかにしたのか、とりとめのない話をしているうちに、だんだん無量への愚痴がこぼれだした。

「大体、生意気なんですよ。いつも人を邪魔者扱いして。お世話してあげてるのはこっちですよ。なのにエラソーに、自分だけが分かってればいい、みたいな顔して何様のつもりなんだか」

「お世話しているの?」

「へっ? 変な意味じゃないです」

「永倉さんも、三村教授殺害の、第一発見者だったね」

 ぴた、とフォークが止まった。口にクリームをつけたまま、萌絵は顔をあげた。

「そ、そうですけど……」

「もしかして、犯人を見た?」

「み、みみみみてませんッ」

「もしかして、現場で相良忍を目撃した?」

 単刀直入に切り込まれ、萌絵は固まってしまった。

 我に返り、あわあわと言い繕おうとしたが、時すでに遅し。百戦錬磨のルポライターの目はごまかせない。鶴谷は「なるほどな」と珈琲コーヒーカップに口をつけた。

「そういうことか。だから無量の奴、相良忍の経歴を調べさせたんだな」

「し、調べ終わったんですか」

「例の海底写真を撮影した人物は、相良忍の父親・悦史氏と見て間違いない。調べたところ、三村氏とは繫がりがあった。相良悦史は、三村教授の古墳調査チームに何度か参加している。あの海底遺跡の写真が撮影される、つい半年前にも発掘があった。しかも無量によると、息子の相良忍は、三村教授を目の敵にしていたようだ」

「じゃあ、やっぱり……っ」

「いや。犯人の可能性も高いが、断定はできない。教授は上秦古墳で相良忍と会ったんだっけね。どんな様子だった?」

 奈文研の早川から忍を紹介された時の三村の反応は、別段平素と変わらなかった。過去に恨みを買うような相手だったなら、現れた時点でもっと警戒してもよさそうなものだが、特にそんな様子は見られなかった。単に「相良の息子」と気づいていなかっただけかもしれないが。

「相良さんが教授を目の敵にしてるって言いましたけど、それ、家族が火事で亡くなったことと何か関係ありますか」

 すると、鶴谷は「鋭いな」という目をして、カバンからクリアファイルを取りだした。新聞記事のコピーが入っている。十二年前の地方新聞だ。相良家の火事で家族三名が死亡した、という記事が載っている。原因は「不審火」との疑いがある、とそこには書いてあった。

「放火の可能性が高いが、犯人はまだ捕まっていない。念のため、三村教授のアリバイも調べたが、この火事があった頃、三村教授は海外研修でインドネシアに行っていた」

「て、ことは三村教授が放火犯じゃ、ない……」

「直接は、な」

 と言って鶴谷は窓の外を見やった。

「ただ、この二人の関係が厄介だ。三村教授が初期天皇家の南方海洋民説を唱えたきっかけは、相良悦史氏だった可能性がある」

「どういうことですか」

「どうも海底遺跡の存在を三村教授に教えたのは、相良悦史だったようだ。相良氏は沖縄出身。十八歳まで町在住だった。海底遺跡が出たちやたんにも近く、海中遺構に興味を持って、若い頃から独自に調べていたらしい。地元の考古学会へも論文を寄せている」

「じゃあ、きっかけは相良さんのお父さん」

「三村教授たちは、龍禅寺文書の記述を検証しようとしてたんだろう。今、相良悦史氏の論文を探しているが、なにぶん四十年近く前のものだからな……。ただ、妙な噂を耳にした。かつて三村教授は『蓬萊山実在説』なるものを発表している。琉球の大陸交易の最古のものは秦の時代にまでさかのぼるというもので、発表当時はざんしんであるともてはやされたが、その頃から、るアマチュア考古学者の論文に酷似しているとの噂がささやかれていた。もしかすると、三村教授の説は相良氏の説がベースになってる可能性がある」

「盗んだってことですか。三村教授が」

「そこまでは言いきれない。だが少なくとも、相良氏とのいがなければ、蓬萊が実在する場所だという発想はしなかったろう」

 鶴谷の言おうとしていることを察して、萌絵も身を固くした。

「……相良忍は当時、子供だったから、かつて面識があったとしても、教授は今の彼を〝相良の息子〟と気づかないことはありそうだ。相良忍が三村教授にただならぬ悪意を抱いていたとすれば、理由は、やはり父親絡みと考えるのが自然だろうが」

〝罪滅ぼし〟という教授の遺言がやけに説得力を帯びてきた。負い目を抱いていた相手は、忍の父・悦史だとすれば、やはり、

「三村教授は自分がいずれ殺されること、まるで予想してたみたいでした」

 萌絵の口も重くなっていく。……やっぱり、相良忍が犯人なのか? に落ちる一方で、今も信じたくはない。あんなに朗らかで、人懐こくて、心遣いのある優しい人だったのに。

「警察に言いましょう。やっぱり犯人は相良さんなんだ。西原くんは脅されてるんだ。だから、かばってる……ッ」

「庇ってる、か。まあ、そうと見るのが自然だが……」

 鶴谷には引っかかることがあるようだ。

「相良忍がえんで三村教授を殺害したなら、何のために、龍禅寺の連中は上秦から出たはくだまを捜してるんだ?」

「それどういうことですか」

「無量の証言によれば、三村の死後、井奈波の関係者がわざわざ上秦古墳に来ている。まるで出土品を待つように。何か、学術目的の発掘調査とは違う意図を感じる。もしかしたら、無量は利用されたのかもしれない」

「西原くんが利用? 派遣要請されたのは古墳調査のためじゃないっていうんですか」

「無量は〝宝物トレジヤー・発掘師デイガー〟の異名をとる、たぐまれな発掘屋だ。天性の発掘勘で、その遺跡に隠された遺物の在処ありかを読みとり、出土させる。もちろん、その遺跡に何もなければ何も出ないし空振りもあるが、高確率で重要遺物の出土にかかわって、海外では高い評価を得ている。無量の評判を聞いた三村教授が、限られた調査期間で確実に目標物を出土させるために、あいつを呼んだに違いない」

 そういえば、確かに、無量が呼ばれたのは発掘終盤だ。すでにメインとなる第一トレンチの石室発掘は大方終わりかけていたが、めぼしい副葬品は出ていなかった。仮に目標物があったとすれば、期限が近づくにつれ、焦りも増しただろう。だから無量の海外契約を自腹を切ってキャンセルさせてまで呼び寄せた。

「確実に出土させなければならない、何らかのプレッシャーにさらされていたとしか思えない」

「後ろに龍禅寺の人たちがいたって言うんですか」

「ああ。それに相良忍は家族の死後、龍禅寺雅信に引き取られていたしな」

「ええっ! それ、どういうことですか」

 忍の経歴を聞かされた。勿論「りゆうの子供たち」の一人かもしれないということも含めてだ。

 萌絵は絶句してしまった。

 話がどんどんあらぬ方向に転がっていくようで、空恐ろしくなってきた。

「……私……、やっぱり警察に言います。見たこと全部」

「相良忍のこと、言うのか」

「だって私たちじゃ解決できないし、西原くんがこれ以上、巻き込まれることにでもなったら……。もう警察に調べてもらったほうがいい。明日あしたの朝、一番で警察に行ってきます」

 止めはしないが、と鶴谷は珈琲を飲み干した。「今度の件、少々、奥は深そうだぞ」

 萌絵はフォークを置いてしまう。不意に忍の笑顔が、脳裏に浮かんだ。無量を眺める目は、あんなに温かかったのに。

 もしかしたら、無量は忍に利用されていたのかもしれない。

 ──人間って十年もあれば、充分変わっちゃうよ。

 自分が無量に投げた言葉が今頃になって、鉛のように重く萌絵の胸にこごった。やっぱり週末、彼は忍と会っていたのだ。あの香は、忍が渡したものに違いない。無量がふさぎ込んでいるのは、もう確定的に今回の事件に忍が係わっていると知ったせいだ。

 十年も経てば充分、人は変わる。

 一番分かっているのは、無量のほうなのではないのか。

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